古レンズのMTF曲線?

 「レンズは40本以上もってはいけない」と常々いっている。経験的には、20本を超えると、年に一度も使わないレンズが出てくる。人よりは“使っている”と自認する私でもそうなのだから、普通のアマならまあ、40本が許容できるすれすれ、という意味である。
 しかし、これがなかなか守れない。35ミリ判が主だったころは、常時80本を超えていた。こうなると毎日のようにカメラを変えても追いつかない。「私を使って」と訴えるレンズ(むろんカメラも)が増えていくのはつらいものだ。
◆レンズがどんどん増える訳◆
 これが大判になると、様相が変わる。いわゆる専用交換レンズという概念がなくなって、レンズはどのカメラにでもつけられる。むろん、イメージサークルがあるからグループは分かれるが、「大は小を兼ねる」と話はまことにシンプルになる。
 ただ、35ミリ判や中判なら、カメラを手放せば当然交換レンズもなくなるのだが、大判はカメラとレンズが別だから、カメラを手放してもレンズはたまる一方になってしまう。むろん高価なレンズは買えないから、大方はがらくた同然なのだが、それぞれに個性やクセがあって、使っていれば愛着もわく。
 実用派にとってひとつの歯止めは、写りそのものはどれもたいした違いはないということである。ごく初期のメニスカス1枚玉とかペッツバールには、とんでもない写りのものもあるが、それら変種はむしろ貴重品である。














 テッサー以前の標準レンズだった、ラピッド・レクチリネア(RR、アプラナートと同じ)とか「ポートレート」と名のついた改良ペッツバールは、ブランドだろうと無名だろうと、どれも似たようなものである。つまり一本持っていれば同じ。あとはイメージサークル(画角)の大小だけである。(上の写真は、セネカポートレート。大判で犬の目にピントが合うなんて。しかもスローシャッターで動かなかった。まさに奇跡的)
 困るのは、テッサー以後だ。テッサーの出現によってレンズの近代化が始まり、ブランドの名レンズが次々に生まれた。本当はブランドなんか忘れて、焦点距離イメージサークルのバリエーションを増やした方が遊びの幅は広がる。これが古レンズ遊びの王道なのだが、さりとて、手元のがらくたアナスチグマットとブランドものとはどう違うのかというのが、絶えず頭にある。
 経験的には、テッサー以後でもレンズの性能にそう大きな違いはない。テッサーを超えるレンズなんてあったか? しかし、そう言い切るだけの手がかりがない。ソフトレンズなんてものが出てくるとさらに話はややこしくなる。最後は「高いレンズはいいんだろうよ」と、なかばやけっぱちである。
◆定番ブランド・レンズがぞろぞろ◆
 ところが驚いたことに、その大判ブランドものの実力を測ったという記録があったのである。なんと、MTF曲線まで出ている。これが実に面白い。
 商業写真館などの研究組織だった印画紙研究会が1977年に、古いレンズとカラーフィルムとの組み合わせをみる実技テストを行った。その際、持ち寄ったレンズの工学的特性を知りたいと、某所に測定を依頼した。その結果なのだという。
 77年といえば、キヤノンのFDレンズがコーティングでニッコールを追い越したなどと話題になったころだ。つまりレンズのカラー対応が焦点で、写真館も、主力であるポートレート・レンズのカラー能力を知りたかったのであろう。
 実際の測定は、光学工業技術研究組合の測定センターで行われた。レンズは以下の11本である。
【通常レンズ】
1)Carl Zeiss Protarlinse ? F6.3  f = 184mm(実測)
2)C.P.Goerz Dogmar F4.5 f = 270mm
3)Voigtlœnder Heliar F4.5 f = 420mm
4)Voigtlœnder Kollinear F6.3 f = 370mm
5)Berthiot Olor F5.7 f = 200mm
6)Kodak Commercial Ektar F6.3 f = 305mm
【ソフトフォーカスレンズ】
1)Emil Busch Nicola Perscheid F4.5 f = 360mm
2)Wollensak Verito F4 f = 184mm
3)Rodenstok Soft Focus F4 f = 220mm
4)Dallmeyer Soft Focus F4.5 f = 229mm
5)Kodak Portrait F4.8 f = 305mm
 研究会のメンバーが持ち寄って実写テストしたものだから、写真館で実際に使われていたものである。いずれも写真館の定番、名レンズと評判の高いものもある。それが、新しいカラーの時代に適応できるかどうかは、確かに切実な問題だったろう。むろん、実写の結果で見当はついているにしても、科学の目でどうなのかは、やはり知りたいところである。
 測定項目は以下の3つ。カラー描写に影響する特性に注目したという。
1) MTF(modulation transfer function コントラスト伝達関数
画面中心と周辺部(40mmの距離を放射状R方向、円周状T方向)
2) フレアー率 画面中心のみ 絞りによる変化
3) 分光透過率 波長350nm(紫外)から700nm(赤外)まで(nm=ナノメートル) 
◆結果は見てのお楽しみ◆
 以下はその結果である。長過ぎて全部はとても無理なので、さわりの抜き書きだけだが、MTF曲線など読める方には、楽しい暇つぶしになると思う。(画像は上から順に、Heliar、Nicola Perscheid、Veritoだが、むろん測定したレンズとは違う。上のHeliarは30cm。描写は軟らかく、後ろの作品がダゴールなので、シャープネスでは完全に負けている)
◇Protar
1) 開放では中心以外はあまりよくない。F16で中心、周辺ともコントラスト上昇。非点収差も少なくなる。
2) フレアー率は最大6%とやや多いが、実用上許容範囲。突きキズやレンズ縁の塗装のはげが影響。
3) 400nm-480nmの吸収が目立ち、黄味の着色が目立つはず。
◇Heliar
1) 焦点距離が長過ぎて、周辺部の測定できず。中央ではコントラスト良好。色収差はやや多いがクリアーな像。
2) フレアー率も、レンズが大きすぎて測定できず。キズ、鏡胴内面はげなどであまりよくない。
3) 短波長部がかなり顕著に吸収されており、黄味が強くカラー向きではない。
◇Commercial Ektar
1) 中心部のMTFはほぼ理想的。周辺部もコントラストが高いが、非点収差が目立つ。
2) フレアー率は2%以内で非常によい。コーティングの良さ。
3) 紫外部の透過率がやや高いが、くせはなく、カラー向き。
Nicola Perscheid
1) 中心、周辺ともに極端にコントラストが低い。絞りの効果もなく、主として色収差によるソフト効果を出している。
2) フレアー率12%を超える。絞り羽根に油、後玉のエッジが光っているため。
3) 紫外部の透過率が高すぎて、青味が強くなりそう。総じてカラーには不向きであろう。
◇Verito
1) 中心も周辺もコントラストが低い。F8まで絞っても効きが悪い。球面収差と色収差でソフト効果を出していると思われる。
2) フレアー率は開放で異常に大きな値が出ている。鏡胴内面の反射など悪条件のため。
3) 分光透過率は比較的無難な感じだが、やや淡黄緑色を帯びる。カラー向きではない。
Kodak Portrait
1) Rodenstok、Dallmeyerの Soft Focusと同様、色収差を補正して、球面収差でソフト効果を出している。とくに色収差の補正は、今回テストしたレンズの中で最もよかった。
2) フレアー率は2%以下で非常に少ない。コーティングの効果。
3) 全体的に透過率が高く、とくに紫外部が高いので、青味を帯びる。カラー撮影には淡黄色の補正フィルターが必要。
◆レンズはくせものに限る◆
 とまあ、こんな調子である。レポートは結びとして、「カラーフィルムのなかった時代のレンズだから当然だが」としながらも、総じてカラーには不向き。近代レンズとの差は大きいと、まことに当たり前の結果である。
 ちなみに現代のレンズは、透過率では90%以上、390nmあたりで50%に落ちるのが標準。フレア率は1%以下だ。コントラスト(MTF)にいたっては、現代では、こんなカーブを描くレンズは探してもないだろう。
 また、長年の使用によるキズやカビ、絞り羽根がすり減って真鍮が出ていたり、鏡胴の内側の塗りがはげたりで、測定値に大きく響くから、同じレンズでも状態のいいものだと、かなり違うはずだという。
 とはいえ、研究会の面々のがっかりした顔が浮かぶようである。長年これらで撮り続けて結果を出してきたものが、カラーという時代の要請には合わないと、ほとんどが引導を渡されてしまったのだから。
 ただし、これはあくまで「カラー時代」と「商業写真館」の使用の目安にすぎない。モノクロで撮る限り何の支障もないのだし、科学的には不完全かもしれないが、それがまた味でもある。写真としてのあがりを云々する要素は、MTFや透過率ばかりではないのだ。
 どころか、不完全であればあるほど、それは個性的だということである。もともと手磨きのレンズは、厳密にいえば一本一本違うのだから、さらに長年の使用でキズやカビ、バルサムが出たりすれば、ますますレンズは自分だけのものになる。
 客商売ではないアマにとっては、「ちょっと癖があるねぇ」なんてのは、自慢できること。「このレンズの写りは、アレを撮るのにぴったりだ」と思いめぐらすなんて、なんと贅沢で優雅な遊びではないか。
◆世界にたった一本◆
 手元にひとつ、名レンズといわれるものがある。テッサーを作ったパウル・ルドルフが、フーゴ・マイヤーに移って作ったダブル・プラズマット12in. f4。「Dr. Rudolph」とでっかく書いてある。


 ただし、曇っている。数が少ないから、きれいなものはとんでもない値段だが、曇っているから二束三文。前後玉の張り合わせにバルサムではない新素材(当時の)を使ったために、変質してしまったのである。
 白状すると「山崎さんなら、何とかなるかな」という期待がちょっとあった。北新宿の山崎光学写真レンズ研究所である。「きれいになったらもうけもの」とばかりにさっそく持ち込んだが、そうは問屋が卸さなかった。(左は、曇った前玉をはずしたところ)
 山崎和夫さんは「玉がでかすぎて修理できません」。張り合わせをはがせないという。「鍋で煮てみたらどうでしょう?」「だめです。割れてしまいます」。確かに前後玉は分厚くて巨大だ。おそらく熱伝導率の違うガラスの貼り合わせだから、均一に熱が伝わらないというのだ。
 結局「このままお使いになった方がいい」と。なるほど。曇りといっても向こうがちゃんと見えるのだから、やってみるか。どうやらそれが正解だった。
 戸外で直射日光でも当てればともかく、室内で順光で撮るかぎり、ちょっとフレアっぽくてコントラストが低いというだけのことであろう。ピントグラスで見ても結像はしっかりしている。腐ってもプラズマットか。いや、ソフト・プラズマットと思えばいい。世界に一本しかないレンズってことだ。(上の写真、人物のキャラもばらばら場所もミスマッチで、気に入っている)
 実際に撮ってみても、なーに、写りはごく普通だった。友人がセットしてくれたスペースで、ほかの古いレンズと撮り較べたのだったが、別にもやもやするでもなく、違いなんかわからなかった。コントラストを少し上げるくらいは、プリントでもできるし、デジタルならもっと簡単だ。
 要するに、安い値段で名のあるレンズが一本増えて、古レンズとはそういうもの、使い方ひとつなんだという確信を、ますます深めたのだった。Dr. ルドルフが生きていたら、何かいうかもしれないが、なに、レンズをどう使おうと、こっちの勝手だ。
 しかしこのレンズ、あまりに重量がありすぎて、使えるカメラが限られるために出動回数がきわめて少ない。いつも本棚のガラス戸の奥で寂しそうにしている。最近は見るたびに、「お前さんのMTFはどうなんだろうねぇ」と、気になってしかたがない。
 すでに手放してしまったレンズでも、アポランターの150ミリと300ミリ、エクター203ミリ、127ミリ。あれらがどんな曲線を描くのか。こういう測定結果を見ると、あらためてちょっと見てみたいなと思う。
 これらはいずれもブランドの威力で売れて、別のがらくたに化けた。むろん、十分に元がとれるほど楽しんではいるのだが、がらくたは買い手がいないから、ますますたまる一方だ。本当に困ったことである。