大判で何が撮れるか

 写真展を観ていると、「あ、これ大判でも撮れるな」と思うことがしばしばある。いつも大判マインドなので、そういう目になってしまったらしい。あらためて考えるまでもなく、大判ではスナップや決定的瞬間みたいなものは無理だが、風景、静物、肖像写真の多くは、小型カメラと同じ土俵に立っている。

 ひとたびプリントになってしまえば、カメラがなんだろうと、フィルムもデジタルも関係ない。だれも、大判だから「偉い偉い」なんていってくれない。しかし、機材の不自由は間違いないのだから、これは恐ろしいハンデを背負わされていることになる。
 なにしろ相手は、速写、連写が可能なうえに色もトーンも調整自在、おまけに高画質は、4x5(インチ、以下同じ)くらいは追い越しているというのだから、そこへ三脚かついで暗箱もって、しかもモノクロというのは、チャプリンドンキホーテ……しかし、勝負はしなければならない。だから、写真展を観るのは大いに闘争心を奮い立たせることになるのである。
◆不自由からのスタート
 ちょうど「世界報道写真展2010」をやっていたので、その気になって観てみると、多分100%デジカメで撮ったものばかりだと思うが、大判でもいけそうなものはやっぱりある。砲撃で破壊された部屋とか、干ばつで死んだキリン(あまり撮りたくないが)とか、むろんポートレート部門の作品は、大方重なる。家族や若い男女の群像なんてのは、大判向きである。このあたりになると、必ずしも動きのあるなしではない。
 むしろ問題は、報道写真になるような事柄の現場まで、えっさえっさ大判かついでいけるかどうかだ。大判しかない時代には、それでも写真師たちはでかけていった。
 マシュー・ブレイディーは、馬車に湿板用のガラス板と薬品を積んで、南北戦争の戦場を歩き回り、6000枚もの記録を残している。日清戦争では、日本陸軍の記録班はすべて乾板だった。ツタンカーメンの発掘記録は、特注のガンドルフィで撮られたし、太平洋戦争までは、米国の報道の主力はまだ4x5だった。
 その頃ポパイのアメリカ人は、スピグラをいまの35mmカメラくらいの感覚で撮っていた。さすがに8x10となるとそうはいかないのだが、できあがった画像で見るかぎり、小型カメラと大差ない絵というのは大いにある。たいしたものである。(大きなハンデ 右の8x10カメラはおそらくもっとも小型、軽量の部類だが、小型カメラとはけた違い。さらに三脚、フィルムが要る)
 座礁した大きな貨物船を大判で撮った作品をみたことがある。バイテンで超広角という話だったが、濱に乗り上げているのを下から見上げる絵柄。船底をさらしてそびえ立つ船腹の下に見物人が大勢いる。F64とかに絞り込んでのスローシャッターなので、かなりの人が動いていて、これが実にいい感じだった。
 大判の人たちがいう「高画質」でもなければ、報道が旨とする「状況説明」でもない。といってただの「記録」でもない。むろん「アート」でもない。ただ巨大な船がそこにあるだけ。絵柄としては多分、携帯カメラで撮ったものと大差ないだろう。しかし、存在感が違った。
 事件の現場だから報道も撮ったはずだが、小型カメラで撮ったものとは、ひと味もふた味も違う。報道にいた人間として正直、「やられたな。これが大判なんだな」と実感したものだった。ただ、そういう目で見た人は、あまりいなかったようだ。大判を本気で撮っていないと、わからないかもしれない。また、撮影者の意図は違うのかもしれないし、この辺りはなかなか微妙である。
 小型カメラなら、広角レンズで寄ることもできるし、少し引いて望遠で撮ることもできる。しかし、大判はそんな融通はきかない。広角はまだしも、望遠となるとレンズが大きくなり過ぎる。大判はよろず不自由なのである。だから、できる写真も不自由になるのは仕方がない。それを承知の上での勝負——だからこそドンキホーテ。しかし、考えてみれば、古い写真はみなこうである。写真に境目なんかない。(上は日本リンホフクラブの大判セミナーで。下は浅草・伝法院の散策)  
◆撮らなくてもいい写真
 かつて、ライカなどの小型カメラが登場したとき、真っ先に使ったのは、社会派の軽い写真を撮るカメラマンだった(むろん、重い写真だって撮れるが)。多くはスナップであり決定的瞬間であり、カメラの特性から生まれた新しい写真だった。
 まだ不自由な大判カメラで撮っていた報道写真の連中は、そうしたカメラマンたちを、「撮っても撮らなくてもいい写真を撮る人たち」と呼んだ。そう呼ばれたのが木村伊兵衛土門拳だったのだから恐れ入るが、けだし名言ではある。
 写真はうまいかもしれない。が、チャラチャラ撮っている連中だからと、事件の現場なんかでは、報道の連中から「どいてどいて」なんていわれていたらしい。不自由は不自由なりに、使命感があった。出来不出来はともかく、報道の写真は「撮らなくてはならない写真」だったからだ。即ち写真の原点、記録である。
 この話をしてくれた元新聞のカメラマンはまた、「うまい下手じゃなくて、時がいい写真にするんです」ともいっていた。それ自体はつまらない状況説明や記念写真に近いものでも、時が経てば様々な意味をもつようになる。それが記録というものだと。まさしくその通りだろう。
 しかし実際に、記録や報道で撮っている人間は、ほんの一握りにすぎない。圧倒的多数の写真好きが撮っているのは、「撮っても撮らなくてもいい写真」ばかりである。とくにデジタルになってからは、フィルムのコストを考えなくていいからだろう、メモや日記がわりに、あるいはレストランで食べる料理やワインのボトルまで撮ったりするようになった。
 これで少なくとも、これまで写真を傲慢に隔てていた垣根みたいなものは、力づくで押しつぶされてしまった。アートという垣根である。その多くは、名のある写真家の思い入れや心象風景であり、写真雑誌のグラビアを飾って、アマチュアのお手本になるものであった。ただしそれらは、普通の人が無邪気に撮った写真を拒否していた。家族写真やペットの写真は、写真のうちにいれてもらえなかったのである。
 しかし、そうしたアート写真が、50年経っても普遍的であるなどと、だれがいえるだろう。それよりも、新宿駅やヨドバシの店の前で人の流れを撮った1枚は、時が経つと自ずと語り出す。何年経っても語り続ける。そしてそれらは誰でも撮れる写真なのである。
アンデパンダンのエネルギー
 先頃新宿で、そうした「誰でも写真」がずらりと並べられた写真展があった。日本写真協会の主催で、1000人の写真展「私のこの一枚」という。参加料を払えば、だれでも写真を並べられる。お偉い写真家先生の審査なんてものがないアンデパンダンである。(上の写真)
 まあありとあらゆる写真が並んだ。思い出写真あり、記念写真あり、スナップ写真あり。押し付けがましいアートなんぞはかすんでしまう。そのエネルギーのすさまじさに、ほんの一部を見ただけでへとへとになった。しかし、来ている人たちの何と楽しそうだったことか。これこそが写真。写真には上手も下手も、まして垣根なんかないのだ。
 サクラの頃だったが、誘われてスカイツリーを撮りにいった。まあ、どんな高級カメラでどう撮ったところで、どうにもならない被写体なのだが、小ぶりの大判をかついでいった。小型カメラももっていたし、携帯カメラもあった。何で撮ろうとスカイツリースカイツリー。上手に撮る必要もない。
 沢山のカメラマンが撮っていた。ちゃんとした機材もあるが、大方は携帯カメラ。この数たるやどれくらいになるか。大判写真は明らかに、この側に立つものである。ズームで切り取るわけでもなく、あるがままに被写体と向き合う。動いているものは撮れないが、撮ること自体が楽しい。それでいいではないか。(上は大判、下は小型カメラでのスナップ)

 この時はシャッターが壊れて、大判は1枚しか撮れなかったが、途中でバイテンで撮っている人に出会った。大きなバレルレンズなので、「シャッターはどうするんですか?」と聞いたら、嬉しそうにソーントン・シャッターを見せてくれた。なんとありがたいことに、写真工業の連載を読んでくれていた人だった。私のたわごとも少しは役に立っているらしい。
 さて本題に戻ろう。大判でも撮れる写真とは、どんなものか。展覧会の写真をここに出すのは難しいから、手元の写真集とか、ネットや新聞で目にしたものから、思い浮かぶままに取り上げてみよう。
 東京新聞に、「忠犬ハチ公 晩年の写真」というのが載った。死ぬ1年前の実に堂々とした姿。写真を持っていた家族と一緒に写っているのだが、大きいのに驚いた。渋谷駅前の銅像だと、柴犬くらいにしか見えないが、さすが秋田犬だ。いまならこんな大きなイヌが放し飼いになっていたら、美談どころか、たちまち捕獲されて処分されちまう。(東京新聞 2010年7月3日付け)
◆時が作る写真
 この写真、まさしく「時がいい写真にした」好例である。昭和9年の撮影で、すでに渋谷駅前に銅像も建っていた。家族はみな着飾っているから、どうやら、その有名な忠犬ハチ公を迎えて記念写真を撮ったものらしい。人と一緒だから、ハチ公の大きさがよくわかる。
 写真はこの春、白根記念渋谷区郷土博物館・文学館に寄贈された。寄贈した婦人(80)によると、場所は神宮前の自宅で、当時ハチ公の面倒をみていた植木職人が連れてきた。婦人はまだ3、4歳で、写真の左端の女の子。なぜ写真を撮ったのかはわからない。「ハチ公はおとなしかった」という。博物館によると、ハチ公の写真は案外少ないのだそうだ。
 有名な犬と写真に納まるんだと、人間の方が緊張しているのが面白い。なのに翌年、ハチ公は渋谷駅近くの道端で死ぬ。どうして?と詮索したくもなる。写真を見る目は、人それぞれだろうが、1枚くらい、詮索される写真を撮ってみたいものである。
 わたしは集合写真を撮ることが多いが、これで多くのヒントをもらえるのが、意外かもしれないがファッション写真である。リチャード・アヴェドン、アンディ・ウォーホル、とりわけアーヴィング・ペンは、ポートレート、群像のコンポジションがすばらしい。http://lens.blogs.nytimes.com/2009/10/07/parting-glance-irving-penn/

 ただ、わたしが撮るのは、普通のおじさん、おばさんばかりだから、ペンにならうには、まずはモデルの教育から始めないといけない。ここにあげた立木義浩は、アイデアである。ファッションを笑いのめした視点がなんともいえない。さすが立木だが、これも素人には真似のできない仕掛けかもしれない。
 コンポジションといえば植田正治がいる。鳥取砂丘に家族や近所の子どもたちを配した、独特の世界。http://fotonoma.jp/photographer/2000_09ueda/index.html

 ちょっと真似てみたくなるが、こちらが相当厚かましくならないないとできそうもない。一度浅草の仲見世でそれらしいものを試みたことがあったが、こちらの意図が伝わらないうえに、役者がみな大根で、どうにもならなかった。(上と下、「昭和をとらえた写真家の目」朝日新聞社刊から。右は植田正治写真展のHPから)
◆スリルも撮ってみたい 
 小型カメラで撮った動きのある写真でも、「大判でも撮れるんじゃないか」と思うものがある。ここにあげた秋山亮二の宮島の1枚は、一度見たら忘れない写真である。若い人には何だかわからないかもしれないが、昔は昼間でも逆光にはこうしてマグネシウムを焚いたものだ。

 秋山は当然ライカで撮っているに違いないが、これは予測がつく画面だ。写真師が客を並べ、ピントを合わせて、マグネシウムを準備して‥‥と時間がかかる。それを、じっと待って撮ったものだから、これなら大判でも撮れるはず。予測がつかないのはマグネシウムの煙で、こればかりは、ライカでも大判でも一発勝負になるだろう。こういうスリルのある場面は、見ていて楽しい。ニューヨークの町中で撮った、大判によるファッション写真なんかにもよくある。
 撮りたいものを素直に撮る。誰はばかることもない。結果にいい悪いはあるだろうが、「わあ、面白い」といってもらえれば大成功。写真とはそういうものであろう。全ては「撮らないといけない写真」なのである。
 ただ、大判だけは、強い意欲の上に暗箱担いで三脚担いで、という力仕事になる。ピントグラスをのぞく手間(老眼にはきつい)を考えても、本来若いうちにやるのがいちばんなのだが、大判というとなぜか年配の人が多い。おかしなことである。