コンピュータとだまし合い
真っ先に向かったのは新宿駅の西口構内、交番の前に広がるコンコースだった。初めてのスキャナカメラだ。ここで以前、バイテン(8x10インチ)でダゴールを試したことがあって、スローシャッターで動き回る人たちが半分消えてしまうのが面白かった(写真右)。そのイメージが、なぜか新しい機材に重なったのだった。
人通りは激しいが、太い柱の陰だと、大判の三脚をおっ立てて長い時間いても邪魔にならない。カメラはいつものヤツだが、スキャナとパソコン操作は初めてである。間違えないようにじっくり時間をかけて、やおらキーを押した。「あーらら、何じゃこれは」。ダリもジャコメッティも真っ青のとんだシュールレアリスムである。「こいつぁ、おもちれぇ」(右下)
◆棚からぼたもち
スキャナカメラであれこれ試みていた「ムさん」が突然、「パソコンとスキャナをあげます」といってきた。どうやらより小型の強力パソコンを手に入れたのと、これまでの直接スキャンから間接方式に転換するかららしい。このブログでいろいろ紹介して、はやしたてていただけの私も、これでいよいよ逃げるわけにはいかなくなった。
二の足を踏んでいたのは、白状すると、スキャナの仕組みや細工がさっぱり飲み込めなかったからだ。最初に始めたSさん、そのSさんから仕掛けを飲み込んだムさん、さらにムさんがSさんと一緒に披露したワークショッップ。これを見てその気になった横浜の堀江忠男さん‥‥みな、それなりの結果を出していた。
その全部をずっと見て、聞き書きをして、次々に出る結果を互いに伝える役割を受け持ってきたのだが、なにせ当方の頭は文系である。デジタルという目に見えないものを信ずる気にはなかなかなれなかった。もひとついうと、ピント合わせの簡単な木工細工も、歳のせいかおっくうであった。
[:W300]
[:W350] とはいえ、投入するカメラは早くから決まっていた。スキャナはA4サイズだから、バイテンは大きすぎる。イギリスのフルサイズ(6.5 x 8.5 in.)だと、ちょうどA4の中央に真四角な絵が撮れる。バックを工夫して、普段はバイテンとして使っている広角専用の暗箱がある。無名のテイルボードだが、薄っぺらで軽いので、持ち歩きには最適である。(本体は大きいが薄っぺら。左は付け替えレンズボード。下の写真は、左が本体のバック、右ができあがったスキャナバック、奥にあるのが8x10バック)
ムさんにそう伝えると、「カメラを送ってくれれば細工をします」という。だが、このカメラは世界に何台もないだろうという珍品だ。さすがに宅急便で送るのは怖い。結局、車でとりにきてくれて、コーヒーを飲みながら「フンフン」と構造を確かめて持っていった。ついでに、堀江さんからいただいたスキャナも預けた。
◆持つべきものは友だち
と、その日のうちにメールで「できました」という。面倒な木工細工をさっさと終えて、持っていったスキャナも改造して、そのテスト画像まで送ってきた。いつもの「オグリキャップ」のぬいぐるみである。「新しいスキャナは感度が高過ぎて、キャリブレーションがどうとかこうとかで‥‥古い方がいい」と。
この辺りから文系頭には話が分からなくなる。が、まあ理屈なんかどうでもいい。自分でやっていたら何週間もかかることを、1日でやってくれて、「さあ、持ってけ」というのだ。持つべきものは友だちである。生まれて初めて南武線に乗って、ムさん宅まで受け取りに行った。
ムさんがやっていたのは、フラットベッド・スキャナを横倒し(タテ置き)にして、大判カメラのバックにとりつけ、スキャナの動く受光バー(センサー)で、大判レンズからの光を直接受けるという発想である。ただしスキャナは本来、原稿台(ガラス面)の絵柄にLEDライトを当てて、その反射光を集光レンズで読みとるものだ。大判レンズの光を直に読みとらせるには、LEDライトも集光レンズも取り除かないといけない。
スキャナは電源が入った時にまずLEDが光って、準備OKとなる。これをキャリブレーションというらしいが、LEDをはずしてあるから光らない。そこで、機械をだまくらかす必要がある。Sさんもムさんも、これでちょっと苦労したらしい。だが、当方はその理屈がよく飲み込めないまま、結果だけをいただいて、勝手なことを書いていたのだった。
つまり、「キャリブレーションて、何だぁ」と訳のわからないまま、実践に突入することになった。なに、パソコンとのセッティングを飲み込めば、「プレビュー」と「スキャン」で画像はつかまえられる。かくて勇んでスキャナカメラへの道を踏み出したのだった。
[:W300]
◆やっぱりツケが回ってきた
まずは、食卓のイヌの置物から始まって、窓の外の植え込み、近所の公園などで試して、最適のレンズを選び出した。かくて新宿である。駅構内でジャコメッティも顔負けの絵を撮ったあと、工学院大学の広場へ行って、そびえ立つビルをハイパーゴンで撮ってみた。
写りは今ひとつだったが、隣のおじさんがのぞきこんできた。「撮ってみましょうか」といったら、素直に座った。レンズを替えて「動いちゃダメですよ」と撮ったのがこれ(右)。「写るのかな」と好奇心いっぱいの表情がいい。近頃の若者は好奇心がないが、人間は素直でなくちゃいけない。
画面でおわかりだろうが、いずれも左上にゴーストが出る。なぜだかわからないとムさんはいう。Sさんは「機械の特性だろうとあきらめた」という。スキャナによって出方はいろいろだが、同じ機械なら形は相似形で、レンズと絞りによって微妙に出方が異なる。決まった場所で出るのだから、スキャナをずらしてみたらどうか、などとポジションを変えて試したりしているうちに、スキャナが反応しなくなった。
「スキャナから補正データを取得(キャリブレーション)中です。原稿台カバーを開けないでください。約1分かかります」と表示が出たまま、焦げ付いてしまった。「開けないでください」もなにも、カバーなんかはずしちゃってるのである。何が起こったのかわからない。
ムさんに連絡すると、「だからいったでしょう」という。「そういえば、なんかいってたなぁ」と聞き流していたツケが、とうとう回ってきたのだった。
要するに、スキャナ・ドライバ(ソフト)をだまくらかしていたのである。本来LEDが光って準備が整う(キャリブレーション)ところを、LEDを取り除いてあるから、代わりに外光を当てて、ドライバをだます。キャノスキャンのLiDE40だと、これで見事だませるのだ。ところが、ここから先が面白い。
◆愉快なだまし合い
だまされたドライバは、スキャンを繰り返しているうちに、「おかしいぞ」と気づく。それが前出のサイン、つまり「お前の使い方は正常でない」と、作動を拒否するのである。するとムさんは「ばれたか」とばかりに、正常な(改造していない)LiDE40につないで、またキャリブレーションをする。その際、PCのバッテリーも数秒間はずして、“過去のしがらみ”を絶つという念の入れようだ。するとまた、しばらくはだませるという、まあとんでもない手口なのだった。
「プレビュー」と「スキャン」の頻度にもよるのだろうが、その限度がだいたい10回とか20回とか、そんな話である。「だからいったでしょう」とはこのことで、だまくらかすための「正常なスキャナ」を1台余分に持っていないといけないというのだった。やれやれ、もう生産終了しているそいつをどこかでみつけないといけない。とんだツケである。
面白いのは、だましやすさが機械によって違うこと。後期の型のLiDE70になると、キャリブレーションがより厳密で、生半可な光ではドライバが立ち上がらない。太陽光でもダメなので、結局外への持ち歩きはできないと、ムさんはいう。(写真はいずれも、LiDE40。レンズは右が後玉のないHypergon 65mm、他はフランスのBoyer Saphir B 210/4.5 古い引き伸ばし用レンズだが、写りは素晴らしい)
そこで不思議なのが、堀江さんである。堀江さんのやり方は、原稿台のガラスにすりガラス状の樹脂を貼付けて、そこにレンズが映し出した画像を読みとる「間接方式」である。しかし、外光を読むのだから当然LEDは外しているはず。
また、スキャナの真ん中に小さな窓が開いていて、あとは全部カバーで覆われていた。だましの外光も入らない。しかもLiDE70なのに、外へ持ち歩いて結果を出している。キャリブレーションはどうなっているのか? そこであらためて電話で聞いてみて驚いた。
◆これもまただましの手口
堀江さんのカメラは5x7で、A4のスキャナよりかなり小さい。スキャナの真ん中の窓は7インチ四方で、カメラのサイズだった。また、「LEDをはずすと、抵抗が変わって正常な作動はしないから」と、LEDはそのままに、7x7の窓を通る部分だけ光が出ないようににテープを貼っていたのだった。
つまり7インチをはずれる端の部分ではLEDが光る。これでキャリブレーションができ、スキャナは通常通りに反射原稿を読んでる“つもり”で、レンズからの絵を読んでいたのだった。スキャナ全体にカバーをかけていたのは、余分なLEDの光がスキャン中もれないため。機械はすっかりだまされているから、何度スキャンしても不審に思わない。これもまた、みごとなだましの手口である。
ただこれだと、スキャナの幅いっぱいは無理で、真ん中の7x7インチの絵しか撮れない。堀江さんは、レンズが結ぶ画像のさらに真ん中だけを切り取って、周辺光量が落ちる「間接方式」の弱点を補っていた。堀江さんの写真の不思議な写りの訳も、これでようやく解けたのだった。いやはや、人の知恵とはたいしたものである。
それはいいのだが、不審を抱いて焦付いた機材を何とかしないといけない。ムさんに泣きついたら、「パソコンを持ってくれば、キャリブレーションできる」というので、またまた南武線である。なぜか正常なスキャナをもっていて、まただまくらかしてくれた。これでしばらくは撮れるというわけだ。やれやれである。(下は、骨董ジャンボリーでの坂崎幸之助さん。ゴースト部分をトリミング。一見普通の写りだが、よく見ると動いた人は歪んでいる)
◆スキャナだけがもつ特性
さてそこで、これで何を撮るかと、大判の基本命題に戻る。まずは動かないもので、かつ大判でなければならないもの。結論からいうと、もう大判に居場所なんかないのである。かつては、圧倒的な高画質が大判の値打ちであったが、デジタル技術の進歩で、4x5程度ではもはや優位に立てなくなった。
大判のもうひとつの拠り所だった「アオリ」なんぞ、もうだれも気にしない。判が大きいから「偉い」なんてこともない。かろうじて対抗できるのが、ポートレートと広い風景、コンポジションくらいだが、これらも、大方はデジタルで置き換えが可能だ。どころか、敵は速写・連写ができて、色でもトーンでも調整自在だ。とても勝負にならない。
これがフィルム大判の現状である。そのフィルムをスキャナに置き換えたからといって、いったい何ができるか。展望なんか何ひとつなかった。だが、テスト撮影を繰り返しているうちに気づいた。スキャナだけが持つ特性である。
受光部分が動くのだから、動く被写体は撮れないと、だれもが思っていた。私もそういってきた。風景はもちろん、ポートレートや集合写真でも、「坂本龍馬になれば写るよ」と。だが、これはフィルムをひきずった思い込みにすぎなかった。
新宿のヨドバシカメラの周辺に三脚を立てて、通り過ぎる人たちをやみくもに写していてわかったのである。バックが動くからこそ写る画像があるのだと。なぜこうなるのか見当もつかない。どの動きがどうなるのかもわからない。まことに奇妙な絵が次々に現れた。こんなもの、いまだかつてあったか?
テスト画像をご覧いただければわかる通り、ゴーストはある、シマは出る、赤外線まで写ってしまう、画質なんてとてもいえるレベルではない‥‥もともとスキャナが想定していない使い方をした結果である。スキャナの受光素子の性能もあるだろう。しかしこんなもの、技術者に解析させれば、たちどころにわかる話ではないのか。
◆面白画像に市民権を
それよりも、この面白画像を何とかしたい。市民権を与えることはできないか。この方が先ではないのか。(骨董ジャンボリーの会場に三脚を立てて、流し撮りの奇妙。下はその部分拡大だ。奇妙にピントがいい。スリット効果なのかもしれない)
そもそもはデジタル話である。すでにCCDやCMOSはあるが、小型カメラで完結しているから、だれも大判なんか考えない。キヤノンはすでに作ったが、製品化はしないという。目の玉が飛び出る値段だからだ。だったら、手近にある安いデジタルは?というのが、スキャナカメラの発想である。
多くの人がこれを追及して、画質にこだわる向きは、高性能のCCDで中判カメラで素晴らしい結果を出している。私の仲間たちは、画質よりも大きさにこだわったのと持ち歩きの必要から、USBでパソコンから電源をとれるキャノスキャンになった。中古の活用だから、入手に手間はかかるが金はかからない。
やってみてしみじみわかった。大判の泣き所は、フィルム代と現像代だ。エッサエッサ重い機材を持ち歩いて撮って、何日も経って現像があがって「やっぱりダメだったか」というのは心臓によくない。間違いなく意欲にも響く。大判をやる人がどんどん減っていくわけである。ところがスキャナは何枚撮っても金がかからない。結果は目の前で見える。画像は問題だらけだが、立派にデジタルのはしくれなのだった。
試行錯誤はまだ続くだろう。だまし合いも続くし、ゴーストを解明する必要もある。ただ、面白いことがいろいろわかってもきた。次のご報告では意外な展開があるかもしれない。乞うご期待である。