スキャナのあと先
実際に手がけてみると、スキャナカメラは思っていた以上に面白い。画質でいえば、CCDやCMOSとは似て非なるものといってもいいほどだが、本来のスキャナが想定していない使い方をしているのだから、これは仕方がない。それよりむしろ、従来のフィルム大判では思いも及ばない諸々が現出して、しかもまぎれもなくデジタルなのである。順を追ってお話ししよう。
◆なんでピントがいいのか
最初におやと思ったのはピントだった。大判レンズのピント面は紙のように薄い。大判の失敗の大半はこれ、といっていいくらいなのだが、スキャナカメラは妙にピタッとくるのである。(右の写真、こんなぐにゃぐにゃでも、ピントが合っている奇妙)
ムさんが私のカメラに作ってくれた仕掛けは、木工工作はすばらしいのだが、ピントでいうとまことに大雑把だった。ピントグラスの枠と同じ形にスキャナの取り付け枠をつくって、そこにスキャナが収まっている。しかしスキャナの位置は、ピントグラスからはずいぶん後ろになる。
そこでムさんは、ピンとを合わせたあと、蛇腹を縮めてスキャナをピングラの位置まで移動させるようにしてあった。その差が「19㍉。20㍉でもいい」なんていってる。19㍉間隔に線を引いた紙をあてがって、その目盛りをひとつずらすのである。これには驚いた。(左の写真 ピントグラスと左のスキャナでは厚みが違う。その差が19mmだという)
大判のピント合わせは、蛇腹を繰り出すラック・アンド・ピニオンのノブをミリ単位で動かすのだから、ピント面は大げさにいえば100分の1㍉の世界だ。それが1㍉違ったら完全にアウトである。「19㍉か20㍉」なんてとんでもない話なのだが、結論からいうと、これが不思議に合うのである。
ムさんの本職はコンピュータの技術者で、写真は35㍉から中判まで手がけるが、大判には縁がなかった。それがデジタルになるというので、大判カメラにバックから入ってきた。つまりスキャナとパソコンから話が始まっている。せっかちで手も早いもんだから、まだカメラがないからと、段ボールで作っちゃったという面白い人だ。
しかし、その後手に入れたフィールドカメラのピント合わせはアイデア賞もので、ベニヤの薄板をピントグラスにはさんだりして、微妙なピントを探り当てていた。私のカメラはテイルボードで、造りが全然違うから、ここでもアイデアを働かせたのだった。
ひとついえるのは、スキャナでは「プレビュー」で結果が見えるから、パソコン画面の見にくさを割り引いてもかなりの微調整が可能で、19㍉はそうして割り出したメド。ムさんは、これまでのトライアルから「ピントはそう厳密ではない」と自信たっぷりにいう。そしてその通りであった。むしろこっちがびっくりである。
◆スリットの効果?
実をいうと、スキャナカメラになかなか手を出せなかった理由のひとつが、このピント合わせだった。どんな形にしたら、分厚いスキャナをピングラと同じ位置にセットできるか、イメージできなかった。ピングラと受光面は同じところにないといけない。これが大判の鉄則だ。いわばフィルムを引きずった思い込みである。
スキャナから考えるムさんは、そんなことはおかまいなし。結果的に同じところにもってくればいいだろうと、まずはスキャナを取り付けておいて、それからピングラを浮かせたり、蛇腹を縮めたりしてピントを追いかける。最後は「プレビュー」で確認ができる。100分の1㍉なんぞくそくらえ。全く発想が違ったのである。面白いものだ。
このピントの良さは、おそらくスリットの効果である。コダックとかパノンとか、昔からあるスリット式のカメラはどれもパノラマ撮影用だ。レンズがグルリと回転して細いスリットの光を連続してフィルムに焼き付ける。これで並の広角レンズではカバーしきれない広い範囲を、普通のレンズで写し取れるのである。
スリットカメラを実際に使ったことがある人は、ピント面ではほとんど失敗がなかったことを覚えていると思う。カメラとしての造りはまあ安物で、レンズの回転も速いのと遅いのと2つくらい、ピント合わせは目測だし、レンズだって大方並みのものなのに、不思議にピントはよかった。
スリットは線だが、小さな点(ピンホール)が線になったものだと思えば、スリット効果は、ピンホールが全面展開したようなものではないのか。スキャナカメラは、これをA4の大きさでやってしまうのである。もとはまともな大判レンズの画像だから、ぼけもちゃんと出る。スリットの補正がどう働くのか定かではないが、とくに動いているものが、歪んでいるにもかかわらず、妙にシャンと写るのである。
◆大判の常識が通用しない
そこで、銀座のホコテンでいい加減な操作をやってみた。一度きちんとセットして何枚か撮ったあと、カメラを少し移動したのだが、あらためてピント合わせもせずに、適当に蛇腹を調整してそのまま撮った。パソコンのキーを押してから、のこのこ歩いていってイスに座って、自画像である。
もういいだろうと、立ち上がってパソコンをのぞいたら、まだスキャナが動いていた。それが1枚目(左上)。動き始めるまでにちょっと時間がある。そこで次はたっぷり坂本龍馬になってみたら、今度は周りがえらいことになっていた。それが次のコマ(左下)。ここで注目はピントだ。
レンズは、カメラについていた古いイタリアン・プロターの超広角で、開放値がf18。これをさらにf45まで絞ってはあったが、カメラを動かそうが、蛇腹をどうしようが、あまり変わりがない。ピントも合わさず別の方角へ向けて撮ったコマもあるが、近景から遠景まで適当にピントがきていた。なんとも不思議。もしフィルムだったら100%アウトである。
スリットカメラは、動くものを撮ると当然おかしなことになる。ジーッとレンズが回転している間に、前を横切ったり、カメラを上下に動かしたりすると、けっこう面白い。が、それはあくまでいたずら。そうした歪みが出ないように、動くものは撮らない。人は動いてはいけない。それがルールだ。
前回載せた骨董ジャンボリーでの坂崎幸之助さんは、ルール通りに撮った。ボケもあってなかなかいい感じだった(これは別のコマ。少し動いてもらっている)。が、同じ時に同じレンズで、坂崎商店のお客さんを撮った1枚は、珍妙画像とピントの不思議の両方が出た。
4人の女性はいずれも動いているのだが、動き方の少なかった2人は、ほぼ正常に写っていて、しかもピントがおそろしくいい。f4.5の開放でろくにピントも合わせず、しかも数秒間の露光だから、フィルムだったら全員ピンぼけのうえに、動いてもやもやのはずである。(右)
もうひとつは芦花公園だ。絞りは多分f22で、遠くのガスタンクにピントを合わせたが、結果は手前からほぼパンフォーカス。大判の常識をはずれている。ちょうど来合わせた自転車の子どもたちも、歪んではいてもピントは来ている。彼らがもう少し右にいればいい雰囲気だったが、こればかりはどうにもならない。(右下)
◆撮る前に結果が見える
ムさんやSさんが撮っているのをみて、露出はどうなっているんだろうと、これも不思議だった。理系のSさんは感度や画素数まで割り出していたが、本来はLEDの強烈なライトを当てて、その反射を読みとる機械である。弱い自然光を直接受けても感光するのだろうかと。
実際にやってみると、そんな心配はまったく無用であった。「プレビュー」をかけると、とにかく画像が出てくる。白く飛んでいればオーバーだから絞り込み、暗ければ絞りを開けて、「プレビュー」を繰り返せば、やがて適正な画像が得られる。そこで「スキャン」する。それだけである。要するに手探りの出たとこ勝負だ。
キャノスキャンLiDE40の感度がどうなのか知らないが、スキャナカメラとして遊ぶには十分である。むしろ戸外では高過ぎるくらい。ピーカンのときはf64くらいまで絞り込む必要があるだろう。ハイパーゴンなんてもともとf48とかf96なのに、ちゃんと写る。
こうした手探りができるのも、デジタルなればこそである。とにかくフィルム代がかからない。何十枚、何百枚と撮ってもゼロ。これは大きい。おまけに結果がすぐ見えるどころか、撮る前に(プレビューで)見えるのである。
ネットにはいま、自分が食べるメシの写真があふれているが、あんなもの、フィルム時代には考えられないことだった。私はいまも絶対にやらないが、面白写真ならいくらでもやってやる。まして大判だと、デジタルとの落差はとてつもなく大きい。
フィルム大判では、集合写真でも1枚しか撮らない。撮り終わって「はい、ありがとう」というと必ず、「もう1枚撮らないの?」というのがいる。「ばかたれ、お前らの汚い顔に1500円もかけられるか」てなもんである。バイテンだとフィルムと現像代でいまそれくらいになる。だから、1枚1枚が真剣勝負だった。悲しいことだが、デジタルだとこの緊張感もゼロになる。
◆だまし合いは続く
当然、撮り方も荒くなった。面白写真をねらって街角で店を広げていても、パソコン画面で「プレビュー」を確認したあとは、キーをチョンチョンと押しているだけで、次々に画像が取り込まれる。が、人の動きは複雑で、どんな絵が出てくるかまったく予測がつかない。だからますますチョンチョンとなる。(左は雲の動きを追って、チョンチョンとやった1枚)
結果はゴミの山である。まあ、30枚撮って1枚当たれば御の字か。シャッターの一瞬に、それこそ祈るような思いで撮る写真とはまったく別ものだ。金がかからないというのも、よし悪しである。これには実は、前回もお話しした「だまし」が関わってくる。
スキャナドライバを立ち上げて、正常な「プレビュー」画面が現れれば、「スキャナだまし」は成功だ。何度か「プレビュー」をして構図や露出を決め、「スキャン」すれば画像は画面に現れる。「スキャン」は何度でもできる。ところが、読み込んだ画像は「プレビュー」画面の裏側になっていて、そのままでは見えない。
マックならおそらく自動的にデスクトップに保存され、アイコンになると思うのだが、ウインドウズだとそうはならない。いったんドライバをどけるか閉じるかしておいて、現れた画像を1枚1枚、あらためて保存するのである。路上でこれをやるのもかなわないが、心配はその次である。
ドライバがいつ拒絶反応を起こすかと、びくびくものなのだ。出先で焦付いたらそれっきりだから、ドライバの立ち上げ回数をできるだけ少なくしたい。そこで、一度立ち上がったら、「プレビュー」と「スキャン」ばかりでガンガン撮る。カメラを移動させても、ソフトは開いたまま。立ち上げは1カ所で1回。お陰でまだ、だましは続いている。ただし、明日も大丈夫という保証はない。難儀なカメラではある。
◆求む!ゴースト・バスターズ
一度、「読み込みの確認をお勧めします」みたいな、やんわりとした警告が出たことがある。「確認する」「しない」と選択肢があった。ここで「確認する」とやったら、たちまち「だまし」がばれる。無視するしかないのだが、「しない」というのもおっかなびっくりである。
それにしても、こんな行き届いた警告を組み込むとは、なんと律儀な技術者だろう。正しくスキャナを使っていて、どんな場面で必要になるのか。ご苦労さまなことである。彼が律儀に作った製品を、こんな使い方をしているヤツがいると知ったら、どんな顔をするだろうと可笑しくなった。
しかし、頼みの綱もまたその技術者なのである。例のゴーストだ。いま使っているスキャナでは、画面の左上、全体スペースの8分の1くらいに出る。別のスキャナだと3分の1くらいが黒くなってしまう。形も違う。同じ造りのデジタル機器なのに、これは一体どういうことか。(ゴーストの形はレンズ、絞りによって変わる。予測がつかない。上の写真)
スキャナはA4で、真ん中で真四角に読み込んでいる。左右には余裕があるからと、スキャナのポジションをずらしてみたが、まったく同じに出る。ということは、スキャナではなく取り付け枠のせいか。しかしそれなら、スキャナを変えても同じでないとおかしい。やっぱりスキャナ固有の現象か。さっぱりわからない。
面白いのは、絞りを開いて撮ると、ゴーストの境界あたりが刷毛ではいたように流れる。絞り込むと、見える形はほぼ同じなのに境界がはっきりする。絞りといったいどんな関係が? しかもゴーストの部分でも画像は写っているようにも見える。黒いということは、感光していないはずなのに? ますますわからない。(この写真はぜひ拡大してみてほしい。動いている人間が実に奇妙)
こうなったらもう、理屈のわかっている人に尋ねるしかあるまい。つまりは、設計した人、作った人、「こんな使い方をしやがって」と怒る人たちである。それこそ、面と向かって怒ってくれたらしめたものだが、それにはまず、「こんな悪さをしてますよ」と伝えないといけない。
いまの画像はたしかに「ノイズ」だらけで、ゴーストもその一種かもしれない。が、真っ当に撮れば、レンズの味もはっきりと出る。動くものを撮れば、これまでだれも見たことのない絵が撮れる。新たな地平が開ける予感がある。
間違いない。新しいメディアができかかっているのだ。大判写真に興味を抱く専門家はいないか。これを読んで、こっそりでもいい、誰か怒ってくれないかなぁ。