大判の敵

 何も書かずにさぼっている間に時間ばかりが経つ。昨年後半は考えさせられる写真展がいくつかあった。9月の「TOKYO 8X10写真展2013」と10月の日大芸術資料館「デジタル以前」、ほかにいくつかの中判・大判、デジタル写真展もあった。機材や感剤は違っても、共通して感じたのは「写真とは何なんだろう」「何を撮るか」という、決して答えの出ない課題だった。

◆「悩め悩め」は応援歌
 「8x10 写真展」は相変わらず熱気にあふれていた。2mはあろうかという巨大なプリントをはじめ、正統の、あるいは意欲あふれる大判写真の数々が並び、プリントへのこだわり、機材やレンズいじりの楽しみから“古くて新しい”湿板写真、さらにはデジタルの世界へ切り込んだものまで、実に多彩だった。(写真右)
 中には、レンズの座金に苦しんだあげく、旋盤やフライス盤を買い込んで、自分で削り出す人まで出ていると聞いた。口径が千差万別の古いレンズへのこだわりである。わたしには座金切り出しの名人がいたが、彼が廃業してからは絞り式のユニバーサル・レンズホルダーで逃げた。だが、もうそんなものは探したって見つからない。よくぞそこまでと、その熱意に脱帽である。(写真展の案内もレンズへのこだわり)
 しかし、いったんプリント、ディスプレーになってしまうと、写真はやはりできたものでしかない。どんな手法を使おうがプリントにこだわろうが、競う相手は最新の高画質デジタル写真だ。敵はカラーだし、「大判だから偉い、偉い」なんてだれもいってはくれない。
 だからといって、デジタルでは絶対に撮れない写真をと意気込んでも、たどり着くのが古いレンズのもやもや写真というのでは芸がない。そのレンズが生きる被写体をどうみつけるか、この勝負は話を振り出しに戻してしまう。フィルムの上がりを見て、「くそったれ」と歯ぎしり。大判はどこまでいっても、その繰り返しなのだ。「悩め、悩め」と声をかけたくなる。
 なかで手法で異彩を放っているものが2つあった。主宰者のひとり田村政実さんのコロジオン湿板写真と、理系技術者の柴田剛さんによるオートクロームの試みである。
◆デジタルではできない遊び
 湿板写真は、もう何年も前からアメリカで再生の動きがあって、薬品の簡略化、商品化も行われているという。田村さんはいちはやくそれをつかまえて、3年ほど前から試行錯誤を続けている。昨年の写真展で初めてその結果を並べて注目されたのだったが、今年はさらに磨きがかかっていた。
ご存知のように、湿板は暗室でガラス板に薬液を乗せ、濡れたまま撮影して、すぐさま現像しないといけない。田村さんはラボを経営しているから、それを生かして麻布十番のラボの近辺で撮影を繰り返しては、薬液の調合や「熟成」の度合いによる写りの違いを確認していた。
 最近では,自衛隊の野戦用暗室テント(そんなものがあったとは驚いた)をみつけて、一切合切を車に積んでフィールドに出始めていた。先頃清里で行われた結婚式に出かけて、見事に結果を出していた。結婚式だから、絶対に失敗はできない。しかもテントの中での暗室作業だ。そこでこれまでの研究成果を結実させたのだった。正真正銘の湿板写真師の誕生である。(写真右 下は田村さんと暗室テント)

 田村さんの湿板作法は、多分それだけで本の一冊も書けるような話だから、稿をあらためるとしてここでは深くは触れない。が、湿板の何が印象的だといって、デジカメ写真が撮れる明るさの黄色ランプの下で(写真上)ウソみたいに画像が現れるのが凄い。とくに若い、暗室を知らない人たちの間で関心が高いというのもわかる気がする。
 嬉々として打ち込んでいる田村さんを見ていると、あらためて大判の楽しみ方の幅の広さ、奥深さがうかがえて、嬉しくなる。そうだよ。これだって「デジタルでは絶対にできない」遊びではないか。
◆モノクロから色が出てくる

 柴田さんの発想は実にユニークだ。昨年やったのが、作品にバックライトを当てて見せるというものだった。大判のネガをX線フィルムにプリントしてモノクロのポジをつくり、後ろから光を当てる。夜の住宅を撮って、窓から光がもれてくるという絵柄だった。紙のプリントとは臨場感が全く違った。
 実はそのとき、「100年前のオートクロームの手法を、現代の液晶用カラーフィルターで生かして、カラーを作る」というサンプルが置いてあったのだが、いくら説明を聞いてもよくわからなかった。それがなんと今年の写真展には、作品として出ていたのだった。
 モノクロのフィルムで撮った写真がカラーになるのである。現に結果はそこにある。後ろから光が当たっている。見事に実った稲穂の黄色も木々の緑も出ている。脇にサンプルのカラーフィルターとモノクロフィルムが置いてある。これを重ねて動かしていくと、突然バッとカラーが現れるのである。(バックライトを当てて見えているので、それをデジカメで撮影したのがこれ)
 カラーフィルターは一見グレーに見えるが、拡大すると三原色のフィルターが規則正しく並んでいる。これを通して撮影すると、フィルターを通した光だけがフィルムに写る。現像してフィルターを重ね合わせると、加色法によってオリジナルの色が再現されるのだと、理屈はいう。全然わからねぇよ。
 スマホからデジカメ、パソコン、テレビと、液晶画面には必ずカラーフィルターがある。拡大鏡でのぞくと3つの色が見える、あれだ。だが、市販のフィルターというものはない。必ず何かの液晶画面に引っ付いている。柴田さんがこれをどうやって手に入れ、どう撮ったかという話は、まるで漫談だった。
◆準備に6ヶ月
[:W300:right]
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 要するに、液晶テレビをバラしたのである。ヤフーのオークションでジャンクを買いあさった。「テレビは死んでいていい。液晶画面だけ」というのだから笑える。ところがこれが難物だった。どうバラしたらいいかがわからない。切り取ろうと思ったが、ダイヤモンド・カッターも歯が立たない。そのくせガラスが薄いから、わずかの衝撃で割れる。結局、“ノウハウ”を確立するまでに30台は潰したという。(下の黒く見えるのが外したスクリーン。これをさらに配線ガラスとフィルターに分けないといけない。とちゅうで壊れたのがわかる)
 撮影にかかってからも障害が立ちはだかった。まず、フィルムにフィルターを密着させないといけない。少しでも浮くと色が変わってしまう。最後は特殊なノリを見つけてきてつけたというが、これを、撮影時とフィルムへの焼き付け(ポジづくり)と、さらにディスプレーと都合3回やらないといけない。
 もうひとつ、ゴミの問題があった。CCDやCMOSの表面と同じだ。これにはローラー式の掃除機があって、これが3万円と一番高い買い物だったそうだが、よくとれるそうだ。とにかくそうしたノウハウをひっくるめて、「準備に半年かかりました」と笑った。
 ついでに、元祖オートクロームのやり方を解説してくれたが、これがまた魔法のような話だった。なんでもジャガイモをすりつぶして、その粒子を三原色に染めたものを混ぜ合わせて、これがいわばフィルター。それをガラス板に塗り付けて上から感剤を塗り、反転現像ーーといった話である。ルミエール兄弟も、よくまあそんなものを考え出したものだ。後のコダックの三層式の方がずっとわかりやすい。
 しかし現代の技術者は、100年前のジャガイモ・オートクロームの原理をいただいて液晶文化を築き上げ、柴田さんはせっせとテレビをぶっ壊し続けているわけだ。すげえもんだとは思うが、やっぱりピンとこない。「ンナロー、こちとら文系だぁ」
ダゲレオタイプに負けた
 日大の写真展で一番の衝撃は、トップに1枚だけあったダゲレオタイプだった。写真展のタイトルが「Before Digital(デジタル以前)」とはまことに大雑把。デジタルなんてたかだか10年余ではないか。むしろデジタルのピカピカ最新画像も含めて聞いてみたい。このダゲレオタイプに太刀打ちできるかと。
 撮影禁止でお見せできないのが残念だが、これを見た人はみなショックを受けたと思う。160年以上も前のポートレートである。人物がだれかはどうでもいい。あの不自由なダゲレオタイプで、シュバリエだかペッツバールだか知らない頼りないレンズで、しかも長時間露光で、目の覚めるようなシャープネスと存在感をどうやって出せたのか。言葉も出ない。
 「ホント日大はいいもの持ってるなぁ」と、最初があまりに凄かったから以後は気が抜けた。が、湿板から乾板、フィルムと写真のたどった道はシンプルなのに、印象の違うプリントが延々と続く。そのはずだ。写真展のサブタイトルが「制作技法の変遷から見た写真史」である。人間が、何とかいいものを、あるいは人と違う表現をと葛藤した歴史なのだった。
 中に見たことのある顔があった。木村伊兵衛さんのポートレートだ。1928年に錦古里孝治という人が撮ったブロムオイルのプリントで、ちょっとセピアがかってソフトで、実にいい感じだった。伊兵衛さんも若い。
 ブロムオイル・プリントは、ブロマイド印画をいったん漂白して、そこへブラシでインクを付着させるというややこしい技法だ。元は写真だが、手加減で階調をつくりだすという点では、絵画に近いかもしれない。大正末期から昭和の初期のピクトリアリズムで大いにもてはやされた技法だった。
◆デジタルが忍び寄る
 もっとも、前出の田村さんにいわせると、「ブロムオイルやった人はみな短命」なんだそうだ。ブロム(臭素)だか青酸カリだか何だか、長いこと吸い続けると体によくなかったというのだ。とすると、この伊兵衛さんのポートレートも、なにがしか命と引き換えに残したものなのかもしれない。
 当時はそんなこと意識すらしてなかったろう。何とか思い描いたイメージを定着させたいと、ひたすら打ち込んでいたに違いない。なんともいえない気持ちになったが、ふと「いまのphotoshopならこれくらい簡単に作っちゃうんじゃないの」と思って目が覚めた。
 そうなんだ。あのデジタルというやつは、ピッカピカ画面を作り出すだけではなくて、こんなところまで忍び込んでくる。フィルムでソフト画像を作るのがどんなに大変か。レンズまでがやたら高かったりして、歯ぎしりのタネがふえるというのに、デジカメ画像から似たようなものを苦もなく作ってしまう。デジタルはとことん大判の敵なのだ。くそったれ。


 ならばそのデジタルを、こっちに取り込んでやるのもひとつの手であろう。その少し前に、銀座のニコンサロンであった藤田満さんの写真展「海に日は照る」がまさにそれだった。藤田さんは長年11x14で、超広角レンズで風景を撮り続けている人だ。それが、このときはデジタルのライカで撮ったカラーだった。  
 11x14は、密着焼きで写真展ができる。しかし、1度でも密着をやった人はおわかりだろうが、露光して見える画面はベタの真っ黒だ。何がどこに写っているかがわからない。どこを覆ってどこを焼き込むか、全くの手探りになる。1度焼き損じを見せてもらったことがあるが、途方もない労力であった。
銀塩は任せた
 藤田さんは今回、それを最新のインクジェット・プリンターに置き換えたのだった。元はデジタルのカラー画像である。それを整えて印画にする。アナログから一気にデジタルというので、お歳だけに相当苦労はされたようだが、できた作品はまぎれもない藤田調だ。しかも画面は大きく、カラーは暗く深く、従来の作品とはひと味もふた味も違うものだった。(銀座ニコンサロン、右が藤田さん)
 「撮影は楽になった」と笑う。そりゃそうだ。かつては特製のカメラをはじめ11x14の機材がついて回ったから、東北でも九州でもすべて車で行った。旅程に温泉を組み込むのが唯一の息抜きだったが、ライカなら身ひとつで新幹線に乗ればいい。
 ただ、今年いただいたカレンダーの写真はまだ11x14だったから、そちらも続けているらしい。そのうちこれをデジタルに読み込んで、巨大なプリントが出てくるかもしれない。なにしろ元が11x14なのだ。畳1枚2枚はへっちゃら。いまから楽しみである。
 かくいうわたしもこの1年半近く、大判スキャナカメラとミラーレスのデジカメという、いわば両極端の二足のわらじで撮りまくってきた。撮った枚数とモノになった数の歩留まりでいえば、とくに大判の方は、よくもまあゴミの山を築いてきたものよ、の感が深い。
 しかし、そのコストはゼロだ。もしフィルムでやっていたら、とうの昔に破綻して写真への意欲もなくしていたかもしれない。つくづくデジタルだからできたのだと思う。撮り方は明らかに乱暴になったが、あらためて思う。フィルム時代は、実に細々と写真を楽しんでいたんだなあと。
 わたしのデジタル大判はスキャナだから、機材はかえって多く重くなった。それでも不思議なもので、撮る回数がふえると、店開きも店仕舞も素早くなった。先日芦花公園では、48カットを1時間だった。ただし歩留まりは2枚、きびしくいえばゼロである。(この写真は、影に注目。動くものの影は角度がずれる)
 銀塩でないのは寂しいが、機材の基本はそのままだからいつでも銀塩は撮れる。それが唯一の慰め。まあいい。銀塩はしばらく田村さんと「8x10」の人たちに任せておこう。