伊兵衛流を絶やすな


 本橋成一氏の写真展「上野駅の幕間」をみた。素晴らしいの一語だ。われわれの年代が覚えている上野駅は、まさに混沌だった。その混沌の中で日々展開された人間ドラマを、本橋氏のレンズはしっかり捉えていた。
 弁当を持って上野駅に通ったのだそうだ。「どこで弁当を広げても人の目が気にならないからだ」と解説に書いている。だから弁当を食べている人も撮れた。大荷物を背負ったおじさん、汽車を待つ酒盛り、荷物番のばあちゃん、別れを惜しむ恋人たちを、実に自然に撮っている。
 とにかく人間だ。人がいないのは、終列車が出た後のホームを俯瞰した1枚だけ。あとは人、人、人である。視線に遠慮はまったくない。が、その目はやさしい。自分も画面の中にいるかのような‥‥木村伊兵衛桑原甲子雄氏らにある、一種突き放したような、素知らぬふりがない。
◆肖像権という怪物


 見終わって、「いま、撮れるだろうか」と考え込んでしまった。これら作品の半分以上が、おそらく「通報」されてしまうレベルの写真だからだ。カメラを見ている人もむろんあるが、全く気づかない、自然なシーンが大部分。だからこそ面白いし迫力もある。しかし、顔が特定できる以上、肖像権はすべての被写体に関わってくる。
 肖像権——なんとも嫌な言葉だがいつの間にか当たり前になった。むろん「撮られたくない」という気持ちは、だれにだってあるし昔からあった。それにしては、かつてのカメラマンは無遠慮だったな、とも思う。しかしその結果、数々の名作が生まれたのである。
 もし杓子定規に肖像権を振りかざしたら、伊兵衛氏だって、キャパ、HCB、クラインだってみんな通報されてしまうだろう。くすっと笑ってしまうアーウィットもドワノーも生まれない。それでいいのか。
 むろん大元は最高裁の判決である。怖いのは、判例が規定した肖像権という概念が一人歩きを始めていることだ。間の悪いことに、携帯でスカートの中を撮るバカが増えて、それらがごっちゃになってある種の秩序になった。「電車の中の携帯禁止」みたいなものだ。だれも深く考えてなぞいない。(写真の撮影機材は上がNikon F + 24/2.8、カラーはiPhone 5
 友人が列車内で、化粧をしている女性を撮って、「こういうのは感心しない」とfacebookに載せた。やや後方からのショットで十分控え目とみえる写真なのだが、たちまち知り合いから文句がきたそうである。むろん冗談だろうが、「もう友だちをやめる」なんていうのだそうだ。盗み撮りは悪である、という決めつけが恐ろしい。まったく嫌な時代になったものだ。
 私なんかもっと堂々と、場合によっては1、2mの距離からファインダーをのぞいて撮っているから、「恐ろしくて、こんなもの撮れない」とか、「そのうち通報されるよ」「くれぐれも気をつけて」なんていう忠告もある。なかには、実際にそうしたトラブルに関わった人もいるので、事態はそこまでいってるのかと、ますます暗澹たる思いになる。
◆今の日本をだれが伝える?

 ゼロックスの広報誌「GRAPHICATION」が「写真と出会う」という特集を組んだ。巻頭の対談が,共に写真教育の倉石信乃氏と谷口雅氏で、谷口氏が「最近の傾向は、倫理観とか社会通念に配慮して、結局風景しか撮らなくなっている。人間を撮らないんですよ」といっていた。「自主規制ですけど、スナップしていて盗撮とかいわれるのも嫌ですから」と、ご自分も撮らないらしい。
 対談は現代の写真全般を語り、地方の問題からデジタルにまで及んだのだが、「自主規制」の怖さについてはそれ以上の言及はなかった。詳しくは知らないが、お2人とも木村伊兵衛型をあまりお好きではないのだろう。
 この「社会通念」と「自主規制」は東京だけではないようで、しばらく前に大西みつぐ氏が地方の駅でスナップしたら「不審者のように思われたようだ」とfacebookに書き込んでいた。そのあと、格好の題材にでくわしたのだが、「先ほどのことがあったのでガマンした」と。さっそく色々書き込みがあったが、現実に110番されたり、女性に詰問されたりという人もいて、あらためて驚いた。
 早い話が、30年前に本橋氏が撮ったからこそ、あの時代の上野駅が見られる。人間が写っているからだ。しかし、いまだれもそうした写真を撮らなかったら、日本中のいまが、30年後はおろか1年後にも残らない。肖像権があるんだから仕方がない、か?
 本橋氏の写真をいま、東北地方で巡回して見せたら、「あ、オレだ」「ばあちゃんだ」とそこら中で声があがるに違いない。かくも温かい目で捉えた画像に、感謝の気持ちこそあれ、肖像権が出てくる余地はあるまい。これこそが写真の持つ本当の力なのである。
◆伊兵衛流とは素知らぬふり



 アサヒカメラの連載「木村伊兵衛のこの1枚」で、「那覇の市場」(1936年)について、篠山紀信氏が書いていた。一緒に中国へ行って、人混みの中で撮影した時のこと。「カメラを構えた瞬間、先生の姿が群衆のなかから一瞬消えてなくなる」と。広く知られた伊兵衛伝説である。
 モードラでバシャバシャと撮っていた篠山氏に、先生は「人を撃ってはいけません」ともいったそうだ。篠山氏といえばかつてミノルタのCMだったか、「ぐっと近寄ってバチバチバチバチ撮りまくればいいんです」といっていた人だ。もとより撮り方も写真の流儀も違う。その篠山氏が伊兵衛流の「謎が解けた」といっているのが面白い。
 傍若無人バチバチ撮りまくる新聞カメラマンに、「よくまあ、あんなに厚かましく撮れますね」といったら、「カメラ持ってなかったら、できないよ」と笑っていた。そう、カメラは黄門様の「葵の印籠」みたいなものだった。しかも、そのくそリアリズムを開いたのは、伊兵衛氏らだったはず。(左の3枚は、LUMIX G1 + Hermagis 20mm)
 ところが当の伊兵衛氏は、少しも厚かましくはなかったのである。どころか、フッと気配を断ち、忍者よろしくそっと撮る。撮った後は素知らぬ振り。撮ったことさえわからない。まさしく盗み撮りである。
 この伊兵衛流は小型カメラ写真の原点である。目で見たありのままを作為なしで撮る。いってみれば、アマチュアのお手本だ。しかも終生それを貫いた。最後までアマで通した桑原甲子雄氏もそうだった。
 同じ時代の人でも、土門拳氏は少し違ったようだ。ポートレートを撮られた古今亭志ん生が、「食いつかれるかと思ったぜ」といったという話がある。おそらくはあのギョロ目である。あれでは忍者にはなれまい。また、なる気もなかったろう。当然、できたものは違う。
◆ドキドキ感が真骨頂?
 伊兵衛写真はよく、「決定的瞬間を意図的にはずしてる」とか「カメラ目線がない」、さらには「何のために撮ったのかわからない」などといわれる。へそのない、とりとめのない作品は確かに多い。「意図的に」とは「どんな意図だ?」と突っ込みたくもなるが、好きな人にはそれがたまらないらしいのだ。
 しばらく前、有名な「本郷森川町」(1953年)が新聞に載って、友人がfacebookに引用した。私にはどこがいいのかわからないので、そう書き込んだところ、「ど素人には理解不能」と罵声が浴びせられて、ちょっと驚いた。大先生の作品にケチをつけるとは、ということらしい。
 木村作品は、アサカメの連載だけでなく様々なところに登場する。しかし伊兵衛写真は誉め難い。だからどの解説を見ても、写真家が四苦八苦しているのがありありである。それはそうだろう。「外している」「とらえどころがない」のは、ありていにいえば隠し撮りだからで、それをアートで読み解くのは無理がある、と私は思っている。



 それよりも、伊兵衛氏がシャッターを押した瞬間に興味がある。いかに気配を断って素知らぬ振りを装おうと、撮る瞬間はファインダーをのぞく。被写体のすきをついていつ構えるか。心臓の鼓動は早まっているはず。このドキドキ感こそが、伊兵衛氏を駆り立てていたものではないだろうか。
 土門氏のように「葵の印籠」を振りかざしたとたんに、ドキドキはなくなる。当時は肖像権なんぞだれも考えなかった。だが同じ環境にいながら、なぜ伊兵衛氏はおずおずとした視線で撮り続けていたのか。これがわからない。たどり着いたのがドキドキ感である。(左、上の2枚はG1 + Rokkor 28/2.8、下はContax 139 + Viso Elmar 65/3.5)
◆撮っても撮らなくてもいい写真
 新橋にあったウツキカメラの宇津木発生さんがかつて、面白いことをいっていた。木村伊兵衛氏らを「あれらは、撮っても撮らなくてもいい写真を撮る人たちだと思っていた」と。宇津木さんは戦前、東京新聞のカメラマンだった。
 「わしらは使命感が違うと思ってた。撮らなきゃならないんだ。新聞が紙面を空けて待ってるんだ。だから現場でも、ちゃらちゃらしてるやつらに『どいた、どいた』なんてね」。伊兵衛さんらを蹴散らしていたらしい。確かに伊兵衛写真の大部分は、撮っても撮らなくてもいい写真である。
 しかし宇津木さんはこうもいっていた。「写真の値打ちというのは、時が決めるんです。上手下手じゃない。時間が経って値打ちが出てくる」と。報道写真のほとんどがそれであろう。また、撮っても撮らなくてもいい写真でも、変哲もないスナップでも、自然でさえあれば必ず時代の値打ちはついてくる。
 よく友人が、写真好きの父親が撮ったフィルムをわざわざ焼いて、ネットで見せてくれる。たとえ記念写真であっても、その服装、仕事場の様子、背景に写っている車、すべてが時代の空気を伝えてくれる。温かい気持ちになる。
 だからこそ、撮らないといけないのだ。肖像権がどうであろうと、撮らないといけない。伊兵衛写真の良さをわからないのは私だけらしいが、まあ、それはいい。少なくとも伊兵衛流のシャッターの押し方だけは、守っていかないといけない。プロまでが、人間を撮らなくなっているとなれば、なおさらである。
 しかし、伊兵衛流はきびしい。やってみればわかる。おこがましいが私は20年この方、首からカメラを下げているときは伊兵衛流を実践している。「スッとかまえてスッと撮る」という、それだけの伊兵衛流である。プロじゃないんだから結果なんぞ考えない。


◆ドキドキ写真のすすめ
 まず「スキあらば撮る」という心づもり。家を出た瞬間から、道を歩こうが電車に乗ろうが人と会っていようが、絶えず周囲をにらんでスキをねらい続ける。たいていはくたびれて中断、また再開の繰り返し。これを毎日やっていた伊兵衛さんがいかにすごいか、がわかる。
 カメラはフィルムもデジタルもあるが、レンズはずっとマニュアルだ。町でも電車の中でも、被写体を見つけるとまず目測で距離を合わせ、露出を合わせる。次は周囲を読んで、チャンスを待つ。
 撮る時は必ずアイレベルで構えて撮る。問題はいつ押すかだ。被写体によっては、タイミングをはかりながら、「見つかるのではないか」と胃袋がでんぐり返るくらいの緊張感を味わう。初めのころは、早く知らん顔がしたくて、よく手ぶれを作った。が、うまくいったときの気分は最高だ。(右は上がKodak 35、下2枚はG1 + Rokkor 40/2)
 幸いまだトラブったことはない。被写体にはみつからなくても、脇にいた人が気づくことはある。電車で向いの子どもを撮ったら、私の左脇にいたのがお母さんだったこともあった。まあ、白いヒゲのじいさんだから、許してくれるのかもしれないが‥‥。



 先頃朝日新聞で瀬戸正人氏が「伊兵衛氏はデジカメやスマホを使うだろうか」と書いていた。私にいわせれば、ミラーレス一眼なんてまさに伊兵衛流のためのカメラみたいなものだ。その意味では、伊兵衛氏よりわれわれの方がはるかに恵まれている。
 まずシャッター音が小さい。巻上げがないから、何食わぬ顔で連写もできる。ファインダーはM3より正確だし、露出を心配しなくていい。唯一の問題はシャッターのタイムラグだろうが、失敗は瞬時にわかるから、次への心構えができる。
◆お祭りから伊兵衛流? 
 「スッと構えてスッと撮る」伊兵衛流は、事前の入念な気配りの末の1発勝負である。通報されてしまうのは、このあたりが不用意なのだ。撮るぞ、という気配も見せてはいけない。物欲しげな顔もいけない。キョロキョロするなぞもってのほか。まさに気配を断つ。すべてが、次の一瞬のためなのだ。
 幸いというか、いまの人たちはスマホなどのジーッというのがシャッター音だと思っている。これには実に敏感だ。一方で、あのばかでかいニコンFのシャッター音ですら、カメラだと思わないらしい。また、スマホに熱中している人たちはまことに無防備。どちらも好都合この上ない。変わらないのは、こちらの身の縮む思いというやつだけである。(左のモノクロ2枚は G1 + Rokkor 40/2、以下カラーは Hermagis 20mm)
 友人の話では、ハンガリーでは町で人を撮るときは許可を受けないといけないそうだ。まあ、ハンガリーで人間写真が消えようと知ったことではないが、日本でそれは困る。みんなもっと人間を撮ろうではないか。
 肖像権の話はネットでもしきりに出るが、なかにひとつ面白い書き込みがあった。写真学校の生徒を三社祭に連れて行ったら、人間写真の面白さに目覚めたというのだった。たしかにあそこでは、だれも野暮なことはいわない。そこから伊兵衛流が育つなんて嬉しいではないか。いってみれば、気配を断つのは、波風を立てないための「マナー」でもあるのだ。写真学校で教えてもいいくらいのものである。
 てなことをいっていたら、先日見事にみつかってしまった。渋谷のハチ公前の喫煙所。情けないことにVサインまでされる始末。完敗の記念にここに載せておこう。この写真が30年後まで残ることはなかろうが、その頃にはもう喫煙所なんてないかもしれないのだぞ。ありがとう。気のいいお兄さんたちで本当によかった。
 (ここにお見せした私の写真は、いずれも伊兵衛流実践の結果で、「通報」すれすれの、つまりドキドキ度の高いものばかりである。全部が全部、肖像権に関わるとも思えない。こういう楽しみを、判例ひとつで自粛するなんて、絶対にできない。そんなつもりである)