スキャナカメラ1周年



 半年間「写真師」をさぼっていたが、スキャナカメラの実験はずっと続けていた。この間にわかった諸々をご報告しよう。あまりにも休みが長かったので、いささか季節外れだが、まずは2月の雪の体験から。
 雪の降り始めは粒が大きい。何気なく見ているうちに、「これはいけるかも」とひらめいた。フィルムで雪の粒をピタッと止めて撮るのは、なかなかむずかしい。しかし、スキャナカメラはスリット(スキャン・バー)だから、粒のひとつひとつを捉まえられるのではないか。
 そこで近くの甲州街道・環八の交差点、立体交差でカメラに雪がかからない場所を選んで三脚を立てた。スキャンを始めて見るとドンピシャだった。全部が全部ではないが、見事に雪の粒が全面に散らばって止まった絵がいくつも撮れた。【雪の粒が止まった。車の歪みは、後の説明を参照。(Boyer Saphir《B》210/4.5)】
 スリットは画面の右から左へ動く。だから雪の粒がスリットに向かって動いているときは、すべて粒になって止まる。逆に動く方向が重なったときだけ、流れたようになる。雪の動きは一様ではないから、風の向きによっては筋になったりもある。
 厳密には、動いているものはすべて歪んで写っているはすだが、雪の粒の歪みなんて識別できない。結果として画面全体にピタッと止まるとなかなか見事なものだ。あらためて、あまり見たことのない絵だと気づく。
 面白いもので、かなり写真を撮ってる人でも、この奇妙な効果には気がつかない。自動車が歪んでいたりすると、目がそっちへいってしまうからなおさらだ。雪は概ね流れて写るものだったと、思い至って初めて「アレッ」となる。まあ、人間なんてそんなもの。まして雪の中に大判カメラを持ち出すのが、どんなにやばいか(蛇腹が濡れる)なんて、だれも考えない。
◆裏返しにはびっくり


 スキャナが来たのは1年前だ。町に持って出たその日のうちに動く被写体の面白さを見つけて、止まらなくなった。カメラのバックが動いて、被写体が動いたら何が起るか、期待と肩すかしとほんのわずかの成果、その連続だった。われながらまあ、よく撮ったものだ。
 撮るたびに新たな発見があって、また次ぎが撮りたくなる。冒頭の雪の粒のように、狙いが当たったのは珍しいほうで、しょっちゅう現れる珍画面なのに、どうしてそうなるのか解明できないものもある。
 交差点で撮っていて、車がとんでもない向きで写るのがなぜなのか、初めはわからなかった。右向きは人でも車でも寸詰まりになるのはわかる。問題は左向き、スリットと同じ方向へ動いている物体だ。
 車のスピードは速いから、スリットの動きを追い越す。するとスリットは、通り過ぎる車の前部からスキャンを始めて後部までをなぞる。しかし、スリットは左へ動いているから、画面には車の前部から左向きに記録する。つまり裏返しになってしまうのだった。ナンバーが裏返しに写っていてわかった。【後ろの車は途中から加速した。ナンバーに注目。左のバイクと車も左へ走っていた。(同上)】
 また、徐行していた車が急に加速したりすると、正常な形と裏返しがつながってしまったり、同じ車が2度写ったりもする。これは自転車や早足で歩く人でも同じことで、交差点を渡る自転車はみな右向きに写る。ただし、実際に右向きに走っているのは寸詰まりに、反対向きは、その速さによって奇妙なかたちになる。
 もっと衝撃的なのは左へ歩く人間で、足の動き、手の動きは往復運動だから、手の先、足の先だけが点々と写ったりする。この理屈はいまもって解析できないが、けっこう不気味だ。また動きがゆっくりだと、とんでもないデフォルメ人間が出現したりする。このあたり、ゲテモノと紙一重である。【足だけ写った奇怪な写真。左の女性も裏返しだ。(TTH 7.5in./6.5)】
◆数撃ちゃ当たる
 スキャナカメラの面白さは、スリットの効果だ。多少写真の知識のある人なら、スリットカメラの奇妙な絵のひとつやふたつ見たことがあるはずだ。例えば、丸々ひと列車を先頭から尻尾の車両までダーッと続けて撮るとか、回転する人間を頭から足まで追ってねじれた絵をつかまえるとか。確かに面白画像ではあるが、それだけのものでしかなかった。
 ましてそれで作品を作ろうとか、とことん可能性を追った人はいなかったと思う。歪んだ絵の多くはげてものだし、フィルムでやったら金をどぶに捨てるようなことになる。つまりこれ、スキャナカメラで撮ってみて初めてわかったのだった。
 例えば新宿の街角に三脚を立ててスキャナをセットして、パソコン操作で撮り始める。どんな絵が撮れているかはすぐには見えない。そこで目の前に展開する実景を見ながら、やみくもにスキャンさせる。
 人や自転車、乳母車などの動きを見て、スキャナをスタートさせるのだが、スタートを押してからスキャナが動き出すまでの時間が定かでない。交差点の信号が変わって人が渡り始める、あるいは車が動き出すのをつかまえようとしても、スキャナが動き出した時には渡り終わっていたり、早めに押すと早すぎたり。
 また、動く方向と早さによって、まったく予想外の姿になる。それが面白いかどうか。とにかくできたものでしかない。結局、20枚も30枚も撮って、これはというのが1枚2枚と、そんな歩留まりだ。フィルムではできないとはそういうこと。コストゼロのデジタルだから可能なのである。

◆愉快なタイムラグ
 わが家から表通りに出たところに太極拳の教室があって、ガラス張りだから様子がよく見える。カベの1面が大きな鏡なので、絵になりそうだと目をつけていた。ある日、意を決して扉を叩いた。
 ちょうど先生1人、生徒1人だったが、「写真? いいですよ」という。そこでさっそく機材を持ち込んで撮ってみた。10枚程撮って見てもらうと、先方もびっくりだ。太極拳は動きがゆっくりで、手足の動きが多いから、とんでもない絵になっている。でも「面白い」という。
 そこで次に、もっと人が多い時にうかがった。広角レンズだから、鏡に写る姿までがしっかりと入る。30枚程撮って、そのまま帰って画像を拡大してみて驚いた。いくつかの絵で、同一人物の実像と鏡の中の像とが同じ向きだったのだ。
 なんだこの鏡は?ではなく、スリットがゆっくりと動く間に、どちらかの動きがずれていたのだった。完全なタイムラグだが、ちょっと見ただけでは見過ごしてしまう。しばらく見ているうちに、「アレッ」というやつだ。見事な滑稽写真だった。【太極拳の怪。女性が鏡の中でも同じ向きだ。下の写真はスキャナを上から下へ動かした(Tamron 150/6.3)】
 このときはもうひとつ、カメラを横に倒して、スキャナバーを下から上に動かしても見た。そこで被写体に一点でくるりと回ってもらうと、人間がねじれて写るはずだ。かつて誰かがやった絵はよく知られている。
 残念ながら、このポジションではスキャナが完全には作動せず、レッスン風景が何枚か撮れただけだったが、上半身と下半身が大きくずれてしまうのが愉快だ。こんな写真、どんなカメラでも撮れない。
 実はこととき、不用意にカメラを傾けたために、ボードが外れて落ちてしまい、レンズの重みで絞り式のユニバーサル・レンズホルダーが壊れてしまった。これ自体が貴重品なのだが、絞り羽根の留め金(ボッチ)がボロボロと落ちた。「絞りは、ボッチが落ちたらもうダメ」は常識だ。涙、涙であった。
 しかし実をいうとそのあと、友人がこれを直してしまった。これには驚いた。まさに奇跡、神の手というのはあったのである。
◆ゴーストの正体見たら?
 理由も分からず、どうにもならないのがゴーストだった。カメラはイギリスサイズの全倍(キャビネの2倍)で、広角専用だからレンズは最長でも210mmが限度。これでゴーストは左側上部の5分の1ほどを占める。これをカットすると、本来ほぼ正方形の画面が縦長になってしまう。ただ、そこをあえてゴーストを残したら、かえって面白かったりもある。【渋谷の歩道橋から。黒いのがゴースト(TTH 7.5in./6.5)】
 ゴーストについては知り合いから、「電磁波の影響ではないか」ともいわれた。目に見えないものは信じない質だから、理屈はわからない。それにスキャナの内部スペースは紙1枚挟む余地もないほど、ギリギリの設計なので、手の出しようがない。いまだにこれの解明はできずにいる。
 そうこうするうちに、別の知り合いから、焦点距離の長いレンズだと、ゴーストが小さくなるといわれた。これを試すには、カメラを変えないといけない。長玉となれば8x10の出番である。
 手持ちのカメラはガンドルフィの超高層ビル撮影用。ニューヨークなどで摩天楼が相次いで作られた1920年代に、レンズをうんとライズできるように作られた特注品だ。コダックのエンパイヤステート・カメラと同じ目的だが、さすがガンドルフィで、芸術的ともいえるデリケートな工夫でイギリス式の折り畳みフィールドカメラに作られている。

 ちょっと自慢をさせてもらうと、このカメラはひょっとして世界に1台?という珍品である。もともとガンドルフィは注文生産だから、アメリカの建築写真家が頼んだものに違いないが、同じ注文が2つあったとはとても思えない変形カメラなのだ(写真左)。ついでにいうと、これまで使っていた広角専用カメラ(右)も、造りといい塗りといい、レンズまでが正体不明で、同じものを見たことがない。これまた自慢の逸品である。(スキャナは同じもの)
◆長玉の威力

 話を戻すと、ガンドルフィのバックの留め金はシンプルなので、木工工作は楽だった。東急ハンズで手頃なベニヤ板を選んで、その場で切り抜いてもらって、あとはナイフで細かい造作。スキャナを止めるバンドは、100円ショップで幅広のマジックテープを買ってきてネジ止め。台座の木片を木ネジで締めればできあがりである。
 ついでのことにと、久しぶりにニスを塗って水研ぎなどをしたので日数がかかった。むろん塗りではガンドルフィの足元にも及ばないが、「これがベニヤ?」といえるくらいにはなった。
 かくて1年以上もごぶさたしていたバイテン撮影が、今度はデジタルで復活である。久しぶりにヘリアーの300mmをのぞくと、やっぱり広角とは違う。構造的にピントグラスの位置を同じにはできないので、ピントを探り当てるために自画像で試した。ズレは10mm。ピントを合わせてから蛇腹を縮める。
 早速また甲州街道へ出て、ピントを確かめると、見事に合う。だけでなく、ゴーストがほとんど消えた。まだ残るがスペースとしては10%くらい。トリミングの範囲内である。
 それよりも、開放4.5のヘリアーを22まで絞ったときの素晴らしさに驚いた。ポートレートが主の巨大レンズでは、普通そんな撮り方はしないから未体験だったのだが、ピントがぐっと深くなる。もともとピントがおぼつかないスキャナにはありがたい。トーンもしっかり出ているようだ。【ともにHeliar 300/4.5 上はノートリミング、ゴーストが小さい】
 ただ、カメラがでかくなってレンズも巨大だと、持ち歩きが難儀だ。小さな長玉はないかと探したら、これまで使ったことがなかったフランス製の製版用300mmが出てきた。開放はf10だがf64まで絞れる。スキャナは感度が高いから晴天だとそれくらいになる。スキャナに最適だ。
◆また新たな謎が
 そこでこれまでのザックをカートに替えて、ゴロゴロと引いて東京駅前で試してみた。結果はまずまずだったが、何枚か絞りすぎで露出不足になったら、これがかえって面白い。まるでミニコピーである。本来スキャナの露光不足なんてあり得ないから、どういうしてそうなるのか。見当もつかない。【レンズ Boyer Saphir 300/10】


 実は以前にも一度、不足画像を作ったことがあった。自由ヶ丘駅前で撮ったゴスペルのコンサートだ。うっかり絞りすぎてしまったのだが、絵としてはなかなか面白い。やはりミニコピーで、そのままポスターにでも使えそうなインパクトのある絵だった。
 このときは、ゴスペルのシンガーがスキャナでどう写るかを試したのだった。彼らはリズムをとりながら歌うから、普通の大判では間違いなくブレブレになる。で、結果はというと、これが狙い通りばっちりだった。
 動きがぴったり止まって、スカートがひるがえったりして写ったのである。雪の粒の写真同様、スリットの不思議な効果だった。おまけに正常の露出では、みな一様に黒の服装なのに、黒つぶれせず微妙な濃淡があった。この理屈がまたわからない。技術者に聞いてみたいところだ。【露光不足のミニコピー効果と不思議な衣服のトーン(Boyer Saphir《B》210/4.5)】
 技術者だって困るだろう。スキャナの本来とはまったく違う使い方をしているのだから。しかし、スリット効果による歪みはともかく、ゴースト、シマ模様、スキャナドライバ(ソフト)の不具合など、スキャナ固有の問題は解析してもらわないといけない。
 できれば改造状態で正しく動くようにしたい。つまり、ほどほどに高画質で、キズがなければ、新たな写真用のデジタルバックとして認知されるのではないか。もしこれができると大変な可能性が開けるのだが、これについては次回に語ろう。