ひょうたんからスキャナ


 「はがきスキャナがあるけど、要りますか?」と突然友人がいってきた。はがきスキャナ? そんなものがあるの?と詳しい人に聞いてみた。すると、「3年前にいったじゃないですか。あなたが要らないって言うから捨てちゃった」と叱られてしまった。
 骨董ジャンボリーで、いつも坂崎幸之助さんのお店にいる高木靖夫さんである。そういえばそんな話はあった。SさんとムさんがA4のスキャナで画像を直接捉まえたというので、好き者を集めてワークショップをやった。のぞきにきた高木さんは、しきりと「間接方式」の話をしていた。
 以前紹介した「横浜のスキャナおじさん」堀江忠男さんは、高木さんの話をヒントに、独自のアイデアと工夫で間接スキャナカメラを作ったのだった。高木さんは「間接方式」の人なのである。
◆捨ててしまった理由
 レンズからの光を直接つかまえるのが直接方式。対して間接とは、スキャナのガラス面にすりガラス処置をして、いわばピントグラスに見立てて、その画像をスキャナで読みとるアイデアだ。高木さんはワークショップの後で確かに「小さいスキャナがある」といっていた。
 当時私はまだスキャナカメラで撮ったこともなく、大判作法としては、同じ手間なら大きい方がいいに決まってる、と思っていた。だから、小さなスキャナがあると聞いてもピントこなかった。私の反応のなさにがっかりして、捨ててしまったということだったらしい。
 その後ムさんからスキャナとパソコンを譲り受けて、私もようやくスキャナカメラを始めたのだが、わかってみると、これを支えている仕組みは、まことに頼りないものだった。
 キヤノンのLiDE40は、WindowsXPでしか動かない。おまけにLEDと集光レンズをとりはずしてあるから、スキャナ・ドライバをだまくらかして動かしているわけだ。ときおりドライバも気がついて(笑)、「キャリブレーションしますか?」なんて聞いてくる。うっかり「はい」と答えようものなら、そこで焦げ付いてしまうから、ひたすら無視してだまし続けるのである。
 そのXPも先頃クズかご行きになり、LiDE40自体もとうに生産終了だ。過去のシステムで細々と動いているのが、わがスキャナカメラなのである。ところが、問題のNEC製「はがきスキャナ」ときたら、さらに古いWindows 2000 対応で、そのままではXPでも動かないという。私にはわからない世界である。(これがNECのPetiScan。左が初期型、右が後期型。フタは同じ、外径もほぼ同じだが、内部はかなり違うらしい)
◆甦ったはがきサイズ
 しかし面白いもので、冒頭の友人の「要りますか?」のひとことでまた、歯車が回り出した。高木さんは早速がらくたを引っ掻き回して、やや旧型の「はがきスキャナ」をみつけだし、どうやったのかは知らないが(説明を聞いてもわからない)なんとかXPで動く「秘密のドライバ」を見つけ出したのだった。
 ただし、NECのドライバ・ソフトは厳密にできていて、本体を改造すると、たちまち「エラー」となって動かないのだという。キヤノンの方が融通無碍というのが面白いが、ともあれ「改造せずに」となると、スキャナカメラとしては、前述の「間接方式」でいくしかない。
 可能性があるというので、冒頭の友人から「はがきスキャナ」をもらい受けた。高木さんに見せると、「捨てたのと同じ型ですよ」と嫌味をいう。この個体はまた、内部でカタカタと音がして、どこかが破損している可能性があった。テストしてみたが案の定動かない。「別のソフトが必要かも」という。(画面サイズの比較。5x7>はがき>4x5がわかる。はがきはキャビネにぴったり)

で、動いた方をテストである。用意した5x7暗箱はサイズはOK。レンズはランカスターのRR。新宿駅構内の階段の途中に三脚を立て、パソコンに「秘密のドライバ」をインストールしてもらって、ともかく動かしてみた。電源はUSBでパソコンから。スキャナは手で支えたままである。


 さすがに屋内でf8は暗すぎたが、なんとか絵が出た。次いで屋外に出たら、さらにはっきりした。XPでの動きも安定している。ひょうたんから駒の「はがきスキャナ」は、十分にいけることがわかったのだった。
 テストはディアドルフだったので、スプリングバックにスキャナを押し込んでみたが、さすがに分厚くて入らない。それにディアドルフは不必要に重い。そこで20年来、4x5や5x7バックで使っていたイギリスのキャビネ暗箱を引っぱり出してみた。この方が小さくてはるかに軽い。のみならず、本来のキャビネ画面が、まるで誂えたように「はがき」とぴったり同じだった。
◆100円ショップでクリア
 さらに好都合なことに、スキャナの裏側半分もなぜか素通しのガラスなので、すりガラス処理をしたスキャナ面を裏からのぞける。つまり、そのままピントグラスになるのである。これで決まりだ。さて、どうやってスキャナを固定するか。
 A4スキャナは大きくて重いから、英のフルサイズ、米の8x10ともに支えの木枠を作る必要があった。また構造的に、ピントグラスとスキャナ面を合致させることができないため、ピントを合わせてから蛇腹を調節しないといけない。けっこう面倒なのである。 

 「はがきスキャナ」は、そのどちらも必要ない。ただ、ゴムひもか何かでスキャナを押し付けておけば良い。ところがイギリス・カメラはシンプル過ぎて、前面にはひもを引っ掛けるものが何もない。さ〜てどうするか。
 このカメラには撮り枠(乾板ホルダー)がなかったために、端からキャビネのピントグラスを外して4x5のジナーバックを付けた。それが鎌倉の路上で車にはねられてバラバラになって、再生してからは5x7のスプリングバックで使っていた。これをキャビネに戻したらどうだ?
 木のカメラはよろずシンプルである。木ネジ4本で元に戻る。戻してみると、ピントグラスをはねあげれば金具がフックの代わりになるではないか。こうなれば話は簡単だ。ゴムひもとフックの金具を探せばいい。というわけで近所の100円ショップへいった。100円ショップには何だってある。
 まずゴムひもの類い。「こんなのもありますよ」と店員が指したのは、女性が髪を結わくのに使う編みひもだった。伸びも強度も長さも十分だ。次がフックの類いだが、小さなナス環(カラビナ)がいろいろあってみなフックがついている。欲しいのはフックだけだが、ナス環ごとで100円である。これでよし。締めて216円ナリ。
◆イギリスカメラの泣き所
 ちょっとした目算違いで、結局ナス環も使うことになったが、ゴムひもを輪に結んで、フックをかませただけだから、5分で完成である。柔らかいゴムひもだからスキャナの着脱も楽だし、キャビネの撮り枠面にすっぽりはまっているからまずはずれない。ムさんなら、「すばらしい。オレは天才ではないか」とうそぶくところだろうが、私はそんなことはいわない。
 高木さんに連絡すると、もうひとつのスキャナも動いたというので、さっそくテストである。ただし、レンズの手当がまだできていなかった。イギリス・カメラの泣き所はレンズボードだ。アメリカ人と違って「規格」という概念が無いに等しいから、イギリス人が作ったものは、カメラごとに形も造りも違う。
 ボードだけではない。バックと撮り枠の形、サイズ、三脚穴まで、イギリスものはバラバラである。同じメーカーの同じモデルでも合うとは限らない。まあ木なんだから、ナイフでちょっと削ったらOK、なんてこともないではないが、とても産業革命を起こした国とは思えない。撮り枠のないイギリス・カメラは買ってはいけない、と学んだのも、このカメラからだった。
 無駄口ついでにいうと、フランス人もまた規格という観念がない。イギリス人同様、自分が一番だと思っているのか、ともかく手前勝手。いい技術や工夫はあるのだが、ユニバーサルにならない。ナポレオン以後、この国が戦争でドイツに勝てないのも道理なのだ。近代戦は規格の勝負。アメリカに規格の概念を植え付けたのはドイツ移民である。当然、撮り枠の無いフランス・カメラも買ってはいけない


 閑話休題。そんなわけで、うまい具合に流用できるレンズと座金がみつからない。仕方がないから、パーマセルで張り付けとする。どうせテストである。だめなら手で押さえていたっていい。実をいうとこの手の遊びは、こんなことを考えている段階が一番楽しい。これを面倒だと思う人は、女子供の類いである。
◆驚くべき珍画面
 テストは渋谷の中古カメラ市、デパート廊下の隅から始まった。約240mm、f11のランカスターの単玉はやっぱり暗すぎたが、それでもスキャナ2台とも見事なトーンが出た。そこで外へ出ると、今度は目一杯絞ってもオーバーになる。NDフィルターをかけてようやくだ。ピーカンだとf45〜64が必要になるのは、直接方式と同じだった。
 渋谷のハチ公前に三脚を立てたから、あたりは人間だらけ。それがみんな動いているのだから、まあとんでもない絵になった。はがきスキャナは、小さいくせに受光バーが動き出すのも遅ければ、動き出してからも遅い。だから歪みが極端になる。カメラの前を横切る人間はみな棒になってしまう。なにしろハチ公前である。その棒がズラーッと並ぶ。
 さらに面白いことがわかった。スキャナは小さくても、中心部が明るく周辺が落ちるという、間接方式の特徴がちゃんと出た。もともと大判カメラのピントグラスを真正面から見ると、光軸が逸れた周辺部は暗く見えるものだ。スキャナの集光レンズは真っすぐしか読まないから、ピントグラスの明暗を正直に読むのである。(写真上2枚はランカスター単玉、下はアポ・サフィール300mm)





 明暗の差はレンズが短い(広角)ほど強くなる。180mmでは横長のはがき画面の左右は真っ暗。この日の240mmでも中心部が大方飛んでしまう。そこで、製版用アポ・サフィール300/10を試してみた。重くてパーマセルではもたないから、高木さんが手で支えての試行だったが、これは良好だった。
 この焦点距離だと、光は左右の端までなんとか読みとれる明るさで入ってくる。真ん中のややオーバーは仕方がないが、周辺光量落ちという感じではなくなる。ただし望遠だから、ますます棒人間だらけになってしまって、まるでシマ模様である。
◆悔しい拾いもの?
 レンズはやがて見つけ出した。ジャンクで5000円で買ったジンマーのコンバーチブル。210/5.6〜360/12で、室内ではf5.6はぎりぎりだが、戸外だと360はf64までいくから文句なし。キズだらけだが、モノがスキャナなのだから、直射光さえ避ければ十分である。
 カメラもレンズもPCもスキャナもザックにすっぽり収まって、持ち歩きはまことに具合がいい。三脚は必要だが、8x10カメラだとさらにカートで引いて歩かないといけない。大変な違いである。年寄りには、小さいことはいいことなのだ。
 試行を重ねるうちにコツがわかってきた。棒人間が多いと煩わしいので、三脚のエレベーターを目一杯あげて、頭の上から撮ると具合がいい。ゆっくり動くものや、フラットな光線だと納まりがいい。オーバーより暗い方に強い。
 ただし、間接方式の画質はあまりよくない。すりガラスに写った画像を読むのだから、シャープネスに欠けピリッとしない。むしろその悪さを生かすような被写体を選ぶ方がよさそうだ。といってもさて何ができるか、試行錯誤するしかない。
 そのうち何かの具合で、MaciPhotoに読み込むと、画像が反転しておかしなことになった。元のトーンは自然なのに、iPhoto上ではミニコピーみたいになってしまう。コントラストが強すぎるせいなのか。
 まあ、それはそれで面白いので、いくつかをSNSに載せたら、仲間も面白いという。もともと解像力には難ありだから、思わぬ付加価値がついたような妙な気分。撮る方としては、なんか悔しい気もするのだが。 
 思わぬ失敗もあった。仲間と語らって東写美で「国際報道写真展2014」を見たあと、1人が19世紀のアンソニーの5x8の暗箱で記念写真を撮った。恵比須のコンプレックスは三脚禁止だから、ちょっとした工夫が要る。あれやこれやして、なつかしやレンズキャップ露光で2ショットを終えた。
◆デフォルメ志向?


 そこでだれかに「スキャナで撮らないの?」といわれて気がついた。集合写真——つまり動かない正常なものを撮る気が端からなかったのだ。完全なデフォルメ・マインド。われながら苦笑せざるをえなかった。「じゃああとで撮りましょう」と場所を変えて、たっぷりおしゃべりをして、さて撮ろうかと思ったら、ゲリラ豪雨になってしまったのだった。
 はがきスキャナではまだ集合写真を撮ったことがない。そのうちどこかで撮ろう。ただし、思い描いているのは、銀座の4丁目とか仲見世の真ん真ん中とか。回りを動いている人間がグジャグジャになっているところで、記念写真の仲間だけがじっとしているという図だ。でないと、せっかくスキャナを使う面白みがない。
 こういうマインドって、やっぱりおかしいだろうか?
 (スキャナ写真はいずれも、photoshopなどで明暗の差を調整してある。レンズは冒頭の写真も含め概ねジンマー210/360、詳細は写真に記載)

伊兵衛流を絶やすな


 本橋成一氏の写真展「上野駅の幕間」をみた。素晴らしいの一語だ。われわれの年代が覚えている上野駅は、まさに混沌だった。その混沌の中で日々展開された人間ドラマを、本橋氏のレンズはしっかり捉えていた。
 弁当を持って上野駅に通ったのだそうだ。「どこで弁当を広げても人の目が気にならないからだ」と解説に書いている。だから弁当を食べている人も撮れた。大荷物を背負ったおじさん、汽車を待つ酒盛り、荷物番のばあちゃん、別れを惜しむ恋人たちを、実に自然に撮っている。
 とにかく人間だ。人がいないのは、終列車が出た後のホームを俯瞰した1枚だけ。あとは人、人、人である。視線に遠慮はまったくない。が、その目はやさしい。自分も画面の中にいるかのような‥‥木村伊兵衛桑原甲子雄氏らにある、一種突き放したような、素知らぬふりがない。
◆肖像権という怪物


 見終わって、「いま、撮れるだろうか」と考え込んでしまった。これら作品の半分以上が、おそらく「通報」されてしまうレベルの写真だからだ。カメラを見ている人もむろんあるが、全く気づかない、自然なシーンが大部分。だからこそ面白いし迫力もある。しかし、顔が特定できる以上、肖像権はすべての被写体に関わってくる。
 肖像権——なんとも嫌な言葉だがいつの間にか当たり前になった。むろん「撮られたくない」という気持ちは、だれにだってあるし昔からあった。それにしては、かつてのカメラマンは無遠慮だったな、とも思う。しかしその結果、数々の名作が生まれたのである。
 もし杓子定規に肖像権を振りかざしたら、伊兵衛氏だって、キャパ、HCB、クラインだってみんな通報されてしまうだろう。くすっと笑ってしまうアーウィットもドワノーも生まれない。それでいいのか。
 むろん大元は最高裁の判決である。怖いのは、判例が規定した肖像権という概念が一人歩きを始めていることだ。間の悪いことに、携帯でスカートの中を撮るバカが増えて、それらがごっちゃになってある種の秩序になった。「電車の中の携帯禁止」みたいなものだ。だれも深く考えてなぞいない。(写真の撮影機材は上がNikon F + 24/2.8、カラーはiPhone 5
 友人が列車内で、化粧をしている女性を撮って、「こういうのは感心しない」とfacebookに載せた。やや後方からのショットで十分控え目とみえる写真なのだが、たちまち知り合いから文句がきたそうである。むろん冗談だろうが、「もう友だちをやめる」なんていうのだそうだ。盗み撮りは悪である、という決めつけが恐ろしい。まったく嫌な時代になったものだ。
 私なんかもっと堂々と、場合によっては1、2mの距離からファインダーをのぞいて撮っているから、「恐ろしくて、こんなもの撮れない」とか、「そのうち通報されるよ」「くれぐれも気をつけて」なんていう忠告もある。なかには、実際にそうしたトラブルに関わった人もいるので、事態はそこまでいってるのかと、ますます暗澹たる思いになる。
◆今の日本をだれが伝える?

 ゼロックスの広報誌「GRAPHICATION」が「写真と出会う」という特集を組んだ。巻頭の対談が,共に写真教育の倉石信乃氏と谷口雅氏で、谷口氏が「最近の傾向は、倫理観とか社会通念に配慮して、結局風景しか撮らなくなっている。人間を撮らないんですよ」といっていた。「自主規制ですけど、スナップしていて盗撮とかいわれるのも嫌ですから」と、ご自分も撮らないらしい。
 対談は現代の写真全般を語り、地方の問題からデジタルにまで及んだのだが、「自主規制」の怖さについてはそれ以上の言及はなかった。詳しくは知らないが、お2人とも木村伊兵衛型をあまりお好きではないのだろう。
 この「社会通念」と「自主規制」は東京だけではないようで、しばらく前に大西みつぐ氏が地方の駅でスナップしたら「不審者のように思われたようだ」とfacebookに書き込んでいた。そのあと、格好の題材にでくわしたのだが、「先ほどのことがあったのでガマンした」と。さっそく色々書き込みがあったが、現実に110番されたり、女性に詰問されたりという人もいて、あらためて驚いた。
 早い話が、30年前に本橋氏が撮ったからこそ、あの時代の上野駅が見られる。人間が写っているからだ。しかし、いまだれもそうした写真を撮らなかったら、日本中のいまが、30年後はおろか1年後にも残らない。肖像権があるんだから仕方がない、か?
 本橋氏の写真をいま、東北地方で巡回して見せたら、「あ、オレだ」「ばあちゃんだ」とそこら中で声があがるに違いない。かくも温かい目で捉えた画像に、感謝の気持ちこそあれ、肖像権が出てくる余地はあるまい。これこそが写真の持つ本当の力なのである。
◆伊兵衛流とは素知らぬふり



 アサヒカメラの連載「木村伊兵衛のこの1枚」で、「那覇の市場」(1936年)について、篠山紀信氏が書いていた。一緒に中国へ行って、人混みの中で撮影した時のこと。「カメラを構えた瞬間、先生の姿が群衆のなかから一瞬消えてなくなる」と。広く知られた伊兵衛伝説である。
 モードラでバシャバシャと撮っていた篠山氏に、先生は「人を撃ってはいけません」ともいったそうだ。篠山氏といえばかつてミノルタのCMだったか、「ぐっと近寄ってバチバチバチバチ撮りまくればいいんです」といっていた人だ。もとより撮り方も写真の流儀も違う。その篠山氏が伊兵衛流の「謎が解けた」といっているのが面白い。
 傍若無人バチバチ撮りまくる新聞カメラマンに、「よくまあ、あんなに厚かましく撮れますね」といったら、「カメラ持ってなかったら、できないよ」と笑っていた。そう、カメラは黄門様の「葵の印籠」みたいなものだった。しかも、そのくそリアリズムを開いたのは、伊兵衛氏らだったはず。(左の3枚は、LUMIX G1 + Hermagis 20mm)
 ところが当の伊兵衛氏は、少しも厚かましくはなかったのである。どころか、フッと気配を断ち、忍者よろしくそっと撮る。撮った後は素知らぬ振り。撮ったことさえわからない。まさしく盗み撮りである。
 この伊兵衛流は小型カメラ写真の原点である。目で見たありのままを作為なしで撮る。いってみれば、アマチュアのお手本だ。しかも終生それを貫いた。最後までアマで通した桑原甲子雄氏もそうだった。
 同じ時代の人でも、土門拳氏は少し違ったようだ。ポートレートを撮られた古今亭志ん生が、「食いつかれるかと思ったぜ」といったという話がある。おそらくはあのギョロ目である。あれでは忍者にはなれまい。また、なる気もなかったろう。当然、できたものは違う。
◆ドキドキ感が真骨頂?
 伊兵衛写真はよく、「決定的瞬間を意図的にはずしてる」とか「カメラ目線がない」、さらには「何のために撮ったのかわからない」などといわれる。へそのない、とりとめのない作品は確かに多い。「意図的に」とは「どんな意図だ?」と突っ込みたくもなるが、好きな人にはそれがたまらないらしいのだ。
 しばらく前、有名な「本郷森川町」(1953年)が新聞に載って、友人がfacebookに引用した。私にはどこがいいのかわからないので、そう書き込んだところ、「ど素人には理解不能」と罵声が浴びせられて、ちょっと驚いた。大先生の作品にケチをつけるとは、ということらしい。
 木村作品は、アサカメの連載だけでなく様々なところに登場する。しかし伊兵衛写真は誉め難い。だからどの解説を見ても、写真家が四苦八苦しているのがありありである。それはそうだろう。「外している」「とらえどころがない」のは、ありていにいえば隠し撮りだからで、それをアートで読み解くのは無理がある、と私は思っている。



 それよりも、伊兵衛氏がシャッターを押した瞬間に興味がある。いかに気配を断って素知らぬ振りを装おうと、撮る瞬間はファインダーをのぞく。被写体のすきをついていつ構えるか。心臓の鼓動は早まっているはず。このドキドキ感こそが、伊兵衛氏を駆り立てていたものではないだろうか。
 土門氏のように「葵の印籠」を振りかざしたとたんに、ドキドキはなくなる。当時は肖像権なんぞだれも考えなかった。だが同じ環境にいながら、なぜ伊兵衛氏はおずおずとした視線で撮り続けていたのか。これがわからない。たどり着いたのがドキドキ感である。(左、上の2枚はG1 + Rokkor 28/2.8、下はContax 139 + Viso Elmar 65/3.5)
◆撮っても撮らなくてもいい写真
 新橋にあったウツキカメラの宇津木発生さんがかつて、面白いことをいっていた。木村伊兵衛氏らを「あれらは、撮っても撮らなくてもいい写真を撮る人たちだと思っていた」と。宇津木さんは戦前、東京新聞のカメラマンだった。
 「わしらは使命感が違うと思ってた。撮らなきゃならないんだ。新聞が紙面を空けて待ってるんだ。だから現場でも、ちゃらちゃらしてるやつらに『どいた、どいた』なんてね」。伊兵衛さんらを蹴散らしていたらしい。確かに伊兵衛写真の大部分は、撮っても撮らなくてもいい写真である。
 しかし宇津木さんはこうもいっていた。「写真の値打ちというのは、時が決めるんです。上手下手じゃない。時間が経って値打ちが出てくる」と。報道写真のほとんどがそれであろう。また、撮っても撮らなくてもいい写真でも、変哲もないスナップでも、自然でさえあれば必ず時代の値打ちはついてくる。
 よく友人が、写真好きの父親が撮ったフィルムをわざわざ焼いて、ネットで見せてくれる。たとえ記念写真であっても、その服装、仕事場の様子、背景に写っている車、すべてが時代の空気を伝えてくれる。温かい気持ちになる。
 だからこそ、撮らないといけないのだ。肖像権がどうであろうと、撮らないといけない。伊兵衛写真の良さをわからないのは私だけらしいが、まあ、それはいい。少なくとも伊兵衛流のシャッターの押し方だけは、守っていかないといけない。プロまでが、人間を撮らなくなっているとなれば、なおさらである。
 しかし、伊兵衛流はきびしい。やってみればわかる。おこがましいが私は20年この方、首からカメラを下げているときは伊兵衛流を実践している。「スッとかまえてスッと撮る」という、それだけの伊兵衛流である。プロじゃないんだから結果なんぞ考えない。


◆ドキドキ写真のすすめ
 まず「スキあらば撮る」という心づもり。家を出た瞬間から、道を歩こうが電車に乗ろうが人と会っていようが、絶えず周囲をにらんでスキをねらい続ける。たいていはくたびれて中断、また再開の繰り返し。これを毎日やっていた伊兵衛さんがいかにすごいか、がわかる。
 カメラはフィルムもデジタルもあるが、レンズはずっとマニュアルだ。町でも電車の中でも、被写体を見つけるとまず目測で距離を合わせ、露出を合わせる。次は周囲を読んで、チャンスを待つ。
 撮る時は必ずアイレベルで構えて撮る。問題はいつ押すかだ。被写体によっては、タイミングをはかりながら、「見つかるのではないか」と胃袋がでんぐり返るくらいの緊張感を味わう。初めのころは、早く知らん顔がしたくて、よく手ぶれを作った。が、うまくいったときの気分は最高だ。(右は上がKodak 35、下2枚はG1 + Rokkor 40/2)
 幸いまだトラブったことはない。被写体にはみつからなくても、脇にいた人が気づくことはある。電車で向いの子どもを撮ったら、私の左脇にいたのがお母さんだったこともあった。まあ、白いヒゲのじいさんだから、許してくれるのかもしれないが‥‥。



 先頃朝日新聞で瀬戸正人氏が「伊兵衛氏はデジカメやスマホを使うだろうか」と書いていた。私にいわせれば、ミラーレス一眼なんてまさに伊兵衛流のためのカメラみたいなものだ。その意味では、伊兵衛氏よりわれわれの方がはるかに恵まれている。
 まずシャッター音が小さい。巻上げがないから、何食わぬ顔で連写もできる。ファインダーはM3より正確だし、露出を心配しなくていい。唯一の問題はシャッターのタイムラグだろうが、失敗は瞬時にわかるから、次への心構えができる。
◆お祭りから伊兵衛流? 
 「スッと構えてスッと撮る」伊兵衛流は、事前の入念な気配りの末の1発勝負である。通報されてしまうのは、このあたりが不用意なのだ。撮るぞ、という気配も見せてはいけない。物欲しげな顔もいけない。キョロキョロするなぞもってのほか。まさに気配を断つ。すべてが、次の一瞬のためなのだ。
 幸いというか、いまの人たちはスマホなどのジーッというのがシャッター音だと思っている。これには実に敏感だ。一方で、あのばかでかいニコンFのシャッター音ですら、カメラだと思わないらしい。また、スマホに熱中している人たちはまことに無防備。どちらも好都合この上ない。変わらないのは、こちらの身の縮む思いというやつだけである。(左のモノクロ2枚は G1 + Rokkor 40/2、以下カラーは Hermagis 20mm)
 友人の話では、ハンガリーでは町で人を撮るときは許可を受けないといけないそうだ。まあ、ハンガリーで人間写真が消えようと知ったことではないが、日本でそれは困る。みんなもっと人間を撮ろうではないか。
 肖像権の話はネットでもしきりに出るが、なかにひとつ面白い書き込みがあった。写真学校の生徒を三社祭に連れて行ったら、人間写真の面白さに目覚めたというのだった。たしかにあそこでは、だれも野暮なことはいわない。そこから伊兵衛流が育つなんて嬉しいではないか。いってみれば、気配を断つのは、波風を立てないための「マナー」でもあるのだ。写真学校で教えてもいいくらいのものである。
 てなことをいっていたら、先日見事にみつかってしまった。渋谷のハチ公前の喫煙所。情けないことにVサインまでされる始末。完敗の記念にここに載せておこう。この写真が30年後まで残ることはなかろうが、その頃にはもう喫煙所なんてないかもしれないのだぞ。ありがとう。気のいいお兄さんたちで本当によかった。
 (ここにお見せした私の写真は、いずれも伊兵衛流実践の結果で、「通報」すれすれの、つまりドキドキ度の高いものばかりである。全部が全部、肖像権に関わるとも思えない。こういう楽しみを、判例ひとつで自粛するなんて、絶対にできない。そんなつもりである)

大判の敵

 何も書かずにさぼっている間に時間ばかりが経つ。昨年後半は考えさせられる写真展がいくつかあった。9月の「TOKYO 8X10写真展2013」と10月の日大芸術資料館「デジタル以前」、ほかにいくつかの中判・大判、デジタル写真展もあった。機材や感剤は違っても、共通して感じたのは「写真とは何なんだろう」「何を撮るか」という、決して答えの出ない課題だった。

◆「悩め悩め」は応援歌
 「8x10 写真展」は相変わらず熱気にあふれていた。2mはあろうかという巨大なプリントをはじめ、正統の、あるいは意欲あふれる大判写真の数々が並び、プリントへのこだわり、機材やレンズいじりの楽しみから“古くて新しい”湿板写真、さらにはデジタルの世界へ切り込んだものまで、実に多彩だった。(写真右)
 中には、レンズの座金に苦しんだあげく、旋盤やフライス盤を買い込んで、自分で削り出す人まで出ていると聞いた。口径が千差万別の古いレンズへのこだわりである。わたしには座金切り出しの名人がいたが、彼が廃業してからは絞り式のユニバーサル・レンズホルダーで逃げた。だが、もうそんなものは探したって見つからない。よくぞそこまでと、その熱意に脱帽である。(写真展の案内もレンズへのこだわり)
 しかし、いったんプリント、ディスプレーになってしまうと、写真はやはりできたものでしかない。どんな手法を使おうがプリントにこだわろうが、競う相手は最新の高画質デジタル写真だ。敵はカラーだし、「大判だから偉い、偉い」なんてだれもいってはくれない。
 だからといって、デジタルでは絶対に撮れない写真をと意気込んでも、たどり着くのが古いレンズのもやもや写真というのでは芸がない。そのレンズが生きる被写体をどうみつけるか、この勝負は話を振り出しに戻してしまう。フィルムの上がりを見て、「くそったれ」と歯ぎしり。大判はどこまでいっても、その繰り返しなのだ。「悩め、悩め」と声をかけたくなる。
 なかで手法で異彩を放っているものが2つあった。主宰者のひとり田村政実さんのコロジオン湿板写真と、理系技術者の柴田剛さんによるオートクロームの試みである。
◆デジタルではできない遊び
 湿板写真は、もう何年も前からアメリカで再生の動きがあって、薬品の簡略化、商品化も行われているという。田村さんはいちはやくそれをつかまえて、3年ほど前から試行錯誤を続けている。昨年の写真展で初めてその結果を並べて注目されたのだったが、今年はさらに磨きがかかっていた。
ご存知のように、湿板は暗室でガラス板に薬液を乗せ、濡れたまま撮影して、すぐさま現像しないといけない。田村さんはラボを経営しているから、それを生かして麻布十番のラボの近辺で撮影を繰り返しては、薬液の調合や「熟成」の度合いによる写りの違いを確認していた。
 最近では,自衛隊の野戦用暗室テント(そんなものがあったとは驚いた)をみつけて、一切合切を車に積んでフィールドに出始めていた。先頃清里で行われた結婚式に出かけて、見事に結果を出していた。結婚式だから、絶対に失敗はできない。しかもテントの中での暗室作業だ。そこでこれまでの研究成果を結実させたのだった。正真正銘の湿板写真師の誕生である。(写真右 下は田村さんと暗室テント)

 田村さんの湿板作法は、多分それだけで本の一冊も書けるような話だから、稿をあらためるとしてここでは深くは触れない。が、湿板の何が印象的だといって、デジカメ写真が撮れる明るさの黄色ランプの下で(写真上)ウソみたいに画像が現れるのが凄い。とくに若い、暗室を知らない人たちの間で関心が高いというのもわかる気がする。
 嬉々として打ち込んでいる田村さんを見ていると、あらためて大判の楽しみ方の幅の広さ、奥深さがうかがえて、嬉しくなる。そうだよ。これだって「デジタルでは絶対にできない」遊びではないか。
◆モノクロから色が出てくる

 柴田さんの発想は実にユニークだ。昨年やったのが、作品にバックライトを当てて見せるというものだった。大判のネガをX線フィルムにプリントしてモノクロのポジをつくり、後ろから光を当てる。夜の住宅を撮って、窓から光がもれてくるという絵柄だった。紙のプリントとは臨場感が全く違った。
 実はそのとき、「100年前のオートクロームの手法を、現代の液晶用カラーフィルターで生かして、カラーを作る」というサンプルが置いてあったのだが、いくら説明を聞いてもよくわからなかった。それがなんと今年の写真展には、作品として出ていたのだった。
 モノクロのフィルムで撮った写真がカラーになるのである。現に結果はそこにある。後ろから光が当たっている。見事に実った稲穂の黄色も木々の緑も出ている。脇にサンプルのカラーフィルターとモノクロフィルムが置いてある。これを重ねて動かしていくと、突然バッとカラーが現れるのである。(バックライトを当てて見えているので、それをデジカメで撮影したのがこれ)
 カラーフィルターは一見グレーに見えるが、拡大すると三原色のフィルターが規則正しく並んでいる。これを通して撮影すると、フィルターを通した光だけがフィルムに写る。現像してフィルターを重ね合わせると、加色法によってオリジナルの色が再現されるのだと、理屈はいう。全然わからねぇよ。
 スマホからデジカメ、パソコン、テレビと、液晶画面には必ずカラーフィルターがある。拡大鏡でのぞくと3つの色が見える、あれだ。だが、市販のフィルターというものはない。必ず何かの液晶画面に引っ付いている。柴田さんがこれをどうやって手に入れ、どう撮ったかという話は、まるで漫談だった。
◆準備に6ヶ月
[:W300:right]
[:W300:right]
 要するに、液晶テレビをバラしたのである。ヤフーのオークションでジャンクを買いあさった。「テレビは死んでいていい。液晶画面だけ」というのだから笑える。ところがこれが難物だった。どうバラしたらいいかがわからない。切り取ろうと思ったが、ダイヤモンド・カッターも歯が立たない。そのくせガラスが薄いから、わずかの衝撃で割れる。結局、“ノウハウ”を確立するまでに30台は潰したという。(下の黒く見えるのが外したスクリーン。これをさらに配線ガラスとフィルターに分けないといけない。とちゅうで壊れたのがわかる)
 撮影にかかってからも障害が立ちはだかった。まず、フィルムにフィルターを密着させないといけない。少しでも浮くと色が変わってしまう。最後は特殊なノリを見つけてきてつけたというが、これを、撮影時とフィルムへの焼き付け(ポジづくり)と、さらにディスプレーと都合3回やらないといけない。
 もうひとつ、ゴミの問題があった。CCDやCMOSの表面と同じだ。これにはローラー式の掃除機があって、これが3万円と一番高い買い物だったそうだが、よくとれるそうだ。とにかくそうしたノウハウをひっくるめて、「準備に半年かかりました」と笑った。
 ついでに、元祖オートクロームのやり方を解説してくれたが、これがまた魔法のような話だった。なんでもジャガイモをすりつぶして、その粒子を三原色に染めたものを混ぜ合わせて、これがいわばフィルター。それをガラス板に塗り付けて上から感剤を塗り、反転現像ーーといった話である。ルミエール兄弟も、よくまあそんなものを考え出したものだ。後のコダックの三層式の方がずっとわかりやすい。
 しかし現代の技術者は、100年前のジャガイモ・オートクロームの原理をいただいて液晶文化を築き上げ、柴田さんはせっせとテレビをぶっ壊し続けているわけだ。すげえもんだとは思うが、やっぱりピンとこない。「ンナロー、こちとら文系だぁ」
ダゲレオタイプに負けた
 日大の写真展で一番の衝撃は、トップに1枚だけあったダゲレオタイプだった。写真展のタイトルが「Before Digital(デジタル以前)」とはまことに大雑把。デジタルなんてたかだか10年余ではないか。むしろデジタルのピカピカ最新画像も含めて聞いてみたい。このダゲレオタイプに太刀打ちできるかと。
 撮影禁止でお見せできないのが残念だが、これを見た人はみなショックを受けたと思う。160年以上も前のポートレートである。人物がだれかはどうでもいい。あの不自由なダゲレオタイプで、シュバリエだかペッツバールだか知らない頼りないレンズで、しかも長時間露光で、目の覚めるようなシャープネスと存在感をどうやって出せたのか。言葉も出ない。
 「ホント日大はいいもの持ってるなぁ」と、最初があまりに凄かったから以後は気が抜けた。が、湿板から乾板、フィルムと写真のたどった道はシンプルなのに、印象の違うプリントが延々と続く。そのはずだ。写真展のサブタイトルが「制作技法の変遷から見た写真史」である。人間が、何とかいいものを、あるいは人と違う表現をと葛藤した歴史なのだった。
 中に見たことのある顔があった。木村伊兵衛さんのポートレートだ。1928年に錦古里孝治という人が撮ったブロムオイルのプリントで、ちょっとセピアがかってソフトで、実にいい感じだった。伊兵衛さんも若い。
 ブロムオイル・プリントは、ブロマイド印画をいったん漂白して、そこへブラシでインクを付着させるというややこしい技法だ。元は写真だが、手加減で階調をつくりだすという点では、絵画に近いかもしれない。大正末期から昭和の初期のピクトリアリズムで大いにもてはやされた技法だった。
◆デジタルが忍び寄る
 もっとも、前出の田村さんにいわせると、「ブロムオイルやった人はみな短命」なんだそうだ。ブロム(臭素)だか青酸カリだか何だか、長いこと吸い続けると体によくなかったというのだ。とすると、この伊兵衛さんのポートレートも、なにがしか命と引き換えに残したものなのかもしれない。
 当時はそんなこと意識すらしてなかったろう。何とか思い描いたイメージを定着させたいと、ひたすら打ち込んでいたに違いない。なんともいえない気持ちになったが、ふと「いまのphotoshopならこれくらい簡単に作っちゃうんじゃないの」と思って目が覚めた。
 そうなんだ。あのデジタルというやつは、ピッカピカ画面を作り出すだけではなくて、こんなところまで忍び込んでくる。フィルムでソフト画像を作るのがどんなに大変か。レンズまでがやたら高かったりして、歯ぎしりのタネがふえるというのに、デジカメ画像から似たようなものを苦もなく作ってしまう。デジタルはとことん大判の敵なのだ。くそったれ。


 ならばそのデジタルを、こっちに取り込んでやるのもひとつの手であろう。その少し前に、銀座のニコンサロンであった藤田満さんの写真展「海に日は照る」がまさにそれだった。藤田さんは長年11x14で、超広角レンズで風景を撮り続けている人だ。それが、このときはデジタルのライカで撮ったカラーだった。  
 11x14は、密着焼きで写真展ができる。しかし、1度でも密着をやった人はおわかりだろうが、露光して見える画面はベタの真っ黒だ。何がどこに写っているかがわからない。どこを覆ってどこを焼き込むか、全くの手探りになる。1度焼き損じを見せてもらったことがあるが、途方もない労力であった。
銀塩は任せた
 藤田さんは今回、それを最新のインクジェット・プリンターに置き換えたのだった。元はデジタルのカラー画像である。それを整えて印画にする。アナログから一気にデジタルというので、お歳だけに相当苦労はされたようだが、できた作品はまぎれもない藤田調だ。しかも画面は大きく、カラーは暗く深く、従来の作品とはひと味もふた味も違うものだった。(銀座ニコンサロン、右が藤田さん)
 「撮影は楽になった」と笑う。そりゃそうだ。かつては特製のカメラをはじめ11x14の機材がついて回ったから、東北でも九州でもすべて車で行った。旅程に温泉を組み込むのが唯一の息抜きだったが、ライカなら身ひとつで新幹線に乗ればいい。
 ただ、今年いただいたカレンダーの写真はまだ11x14だったから、そちらも続けているらしい。そのうちこれをデジタルに読み込んで、巨大なプリントが出てくるかもしれない。なにしろ元が11x14なのだ。畳1枚2枚はへっちゃら。いまから楽しみである。
 かくいうわたしもこの1年半近く、大判スキャナカメラとミラーレスのデジカメという、いわば両極端の二足のわらじで撮りまくってきた。撮った枚数とモノになった数の歩留まりでいえば、とくに大判の方は、よくもまあゴミの山を築いてきたものよ、の感が深い。
 しかし、そのコストはゼロだ。もしフィルムでやっていたら、とうの昔に破綻して写真への意欲もなくしていたかもしれない。つくづくデジタルだからできたのだと思う。撮り方は明らかに乱暴になったが、あらためて思う。フィルム時代は、実に細々と写真を楽しんでいたんだなあと。
 わたしのデジタル大判はスキャナだから、機材はかえって多く重くなった。それでも不思議なもので、撮る回数がふえると、店開きも店仕舞も素早くなった。先日芦花公園では、48カットを1時間だった。ただし歩留まりは2枚、きびしくいえばゼロである。(この写真は、影に注目。動くものの影は角度がずれる)
 銀塩でないのは寂しいが、機材の基本はそのままだからいつでも銀塩は撮れる。それが唯一の慰め。まあいい。銀塩はしばらく田村さんと「8x10」の人たちに任せておこう。

スキャナカメラ1周年



 半年間「写真師」をさぼっていたが、スキャナカメラの実験はずっと続けていた。この間にわかった諸々をご報告しよう。あまりにも休みが長かったので、いささか季節外れだが、まずは2月の雪の体験から。
 雪の降り始めは粒が大きい。何気なく見ているうちに、「これはいけるかも」とひらめいた。フィルムで雪の粒をピタッと止めて撮るのは、なかなかむずかしい。しかし、スキャナカメラはスリット(スキャン・バー)だから、粒のひとつひとつを捉まえられるのではないか。
 そこで近くの甲州街道・環八の交差点、立体交差でカメラに雪がかからない場所を選んで三脚を立てた。スキャンを始めて見るとドンピシャだった。全部が全部ではないが、見事に雪の粒が全面に散らばって止まった絵がいくつも撮れた。【雪の粒が止まった。車の歪みは、後の説明を参照。(Boyer Saphir《B》210/4.5)】
 スリットは画面の右から左へ動く。だから雪の粒がスリットに向かって動いているときは、すべて粒になって止まる。逆に動く方向が重なったときだけ、流れたようになる。雪の動きは一様ではないから、風の向きによっては筋になったりもある。
 厳密には、動いているものはすべて歪んで写っているはすだが、雪の粒の歪みなんて識別できない。結果として画面全体にピタッと止まるとなかなか見事なものだ。あらためて、あまり見たことのない絵だと気づく。
 面白いもので、かなり写真を撮ってる人でも、この奇妙な効果には気がつかない。自動車が歪んでいたりすると、目がそっちへいってしまうからなおさらだ。雪は概ね流れて写るものだったと、思い至って初めて「アレッ」となる。まあ、人間なんてそんなもの。まして雪の中に大判カメラを持ち出すのが、どんなにやばいか(蛇腹が濡れる)なんて、だれも考えない。
◆裏返しにはびっくり


 スキャナが来たのは1年前だ。町に持って出たその日のうちに動く被写体の面白さを見つけて、止まらなくなった。カメラのバックが動いて、被写体が動いたら何が起るか、期待と肩すかしとほんのわずかの成果、その連続だった。われながらまあ、よく撮ったものだ。
 撮るたびに新たな発見があって、また次ぎが撮りたくなる。冒頭の雪の粒のように、狙いが当たったのは珍しいほうで、しょっちゅう現れる珍画面なのに、どうしてそうなるのか解明できないものもある。
 交差点で撮っていて、車がとんでもない向きで写るのがなぜなのか、初めはわからなかった。右向きは人でも車でも寸詰まりになるのはわかる。問題は左向き、スリットと同じ方向へ動いている物体だ。
 車のスピードは速いから、スリットの動きを追い越す。するとスリットは、通り過ぎる車の前部からスキャンを始めて後部までをなぞる。しかし、スリットは左へ動いているから、画面には車の前部から左向きに記録する。つまり裏返しになってしまうのだった。ナンバーが裏返しに写っていてわかった。【後ろの車は途中から加速した。ナンバーに注目。左のバイクと車も左へ走っていた。(同上)】
 また、徐行していた車が急に加速したりすると、正常な形と裏返しがつながってしまったり、同じ車が2度写ったりもする。これは自転車や早足で歩く人でも同じことで、交差点を渡る自転車はみな右向きに写る。ただし、実際に右向きに走っているのは寸詰まりに、反対向きは、その速さによって奇妙なかたちになる。
 もっと衝撃的なのは左へ歩く人間で、足の動き、手の動きは往復運動だから、手の先、足の先だけが点々と写ったりする。この理屈はいまもって解析できないが、けっこう不気味だ。また動きがゆっくりだと、とんでもないデフォルメ人間が出現したりする。このあたり、ゲテモノと紙一重である。【足だけ写った奇怪な写真。左の女性も裏返しだ。(TTH 7.5in./6.5)】
◆数撃ちゃ当たる
 スキャナカメラの面白さは、スリットの効果だ。多少写真の知識のある人なら、スリットカメラの奇妙な絵のひとつやふたつ見たことがあるはずだ。例えば、丸々ひと列車を先頭から尻尾の車両までダーッと続けて撮るとか、回転する人間を頭から足まで追ってねじれた絵をつかまえるとか。確かに面白画像ではあるが、それだけのものでしかなかった。
 ましてそれで作品を作ろうとか、とことん可能性を追った人はいなかったと思う。歪んだ絵の多くはげてものだし、フィルムでやったら金をどぶに捨てるようなことになる。つまりこれ、スキャナカメラで撮ってみて初めてわかったのだった。
 例えば新宿の街角に三脚を立ててスキャナをセットして、パソコン操作で撮り始める。どんな絵が撮れているかはすぐには見えない。そこで目の前に展開する実景を見ながら、やみくもにスキャンさせる。
 人や自転車、乳母車などの動きを見て、スキャナをスタートさせるのだが、スタートを押してからスキャナが動き出すまでの時間が定かでない。交差点の信号が変わって人が渡り始める、あるいは車が動き出すのをつかまえようとしても、スキャナが動き出した時には渡り終わっていたり、早めに押すと早すぎたり。
 また、動く方向と早さによって、まったく予想外の姿になる。それが面白いかどうか。とにかくできたものでしかない。結局、20枚も30枚も撮って、これはというのが1枚2枚と、そんな歩留まりだ。フィルムではできないとはそういうこと。コストゼロのデジタルだから可能なのである。

◆愉快なタイムラグ
 わが家から表通りに出たところに太極拳の教室があって、ガラス張りだから様子がよく見える。カベの1面が大きな鏡なので、絵になりそうだと目をつけていた。ある日、意を決して扉を叩いた。
 ちょうど先生1人、生徒1人だったが、「写真? いいですよ」という。そこでさっそく機材を持ち込んで撮ってみた。10枚程撮って見てもらうと、先方もびっくりだ。太極拳は動きがゆっくりで、手足の動きが多いから、とんでもない絵になっている。でも「面白い」という。
 そこで次に、もっと人が多い時にうかがった。広角レンズだから、鏡に写る姿までがしっかりと入る。30枚程撮って、そのまま帰って画像を拡大してみて驚いた。いくつかの絵で、同一人物の実像と鏡の中の像とが同じ向きだったのだ。
 なんだこの鏡は?ではなく、スリットがゆっくりと動く間に、どちらかの動きがずれていたのだった。完全なタイムラグだが、ちょっと見ただけでは見過ごしてしまう。しばらく見ているうちに、「アレッ」というやつだ。見事な滑稽写真だった。【太極拳の怪。女性が鏡の中でも同じ向きだ。下の写真はスキャナを上から下へ動かした(Tamron 150/6.3)】
 このときはもうひとつ、カメラを横に倒して、スキャナバーを下から上に動かしても見た。そこで被写体に一点でくるりと回ってもらうと、人間がねじれて写るはずだ。かつて誰かがやった絵はよく知られている。
 残念ながら、このポジションではスキャナが完全には作動せず、レッスン風景が何枚か撮れただけだったが、上半身と下半身が大きくずれてしまうのが愉快だ。こんな写真、どんなカメラでも撮れない。
 実はこととき、不用意にカメラを傾けたために、ボードが外れて落ちてしまい、レンズの重みで絞り式のユニバーサル・レンズホルダーが壊れてしまった。これ自体が貴重品なのだが、絞り羽根の留め金(ボッチ)がボロボロと落ちた。「絞りは、ボッチが落ちたらもうダメ」は常識だ。涙、涙であった。
 しかし実をいうとそのあと、友人がこれを直してしまった。これには驚いた。まさに奇跡、神の手というのはあったのである。
◆ゴーストの正体見たら?
 理由も分からず、どうにもならないのがゴーストだった。カメラはイギリスサイズの全倍(キャビネの2倍)で、広角専用だからレンズは最長でも210mmが限度。これでゴーストは左側上部の5分の1ほどを占める。これをカットすると、本来ほぼ正方形の画面が縦長になってしまう。ただ、そこをあえてゴーストを残したら、かえって面白かったりもある。【渋谷の歩道橋から。黒いのがゴースト(TTH 7.5in./6.5)】
 ゴーストについては知り合いから、「電磁波の影響ではないか」ともいわれた。目に見えないものは信じない質だから、理屈はわからない。それにスキャナの内部スペースは紙1枚挟む余地もないほど、ギリギリの設計なので、手の出しようがない。いまだにこれの解明はできずにいる。
 そうこうするうちに、別の知り合いから、焦点距離の長いレンズだと、ゴーストが小さくなるといわれた。これを試すには、カメラを変えないといけない。長玉となれば8x10の出番である。
 手持ちのカメラはガンドルフィの超高層ビル撮影用。ニューヨークなどで摩天楼が相次いで作られた1920年代に、レンズをうんとライズできるように作られた特注品だ。コダックのエンパイヤステート・カメラと同じ目的だが、さすがガンドルフィで、芸術的ともいえるデリケートな工夫でイギリス式の折り畳みフィールドカメラに作られている。

 ちょっと自慢をさせてもらうと、このカメラはひょっとして世界に1台?という珍品である。もともとガンドルフィは注文生産だから、アメリカの建築写真家が頼んだものに違いないが、同じ注文が2つあったとはとても思えない変形カメラなのだ(写真左)。ついでにいうと、これまで使っていた広角専用カメラ(右)も、造りといい塗りといい、レンズまでが正体不明で、同じものを見たことがない。これまた自慢の逸品である。(スキャナは同じもの)
◆長玉の威力

 話を戻すと、ガンドルフィのバックの留め金はシンプルなので、木工工作は楽だった。東急ハンズで手頃なベニヤ板を選んで、その場で切り抜いてもらって、あとはナイフで細かい造作。スキャナを止めるバンドは、100円ショップで幅広のマジックテープを買ってきてネジ止め。台座の木片を木ネジで締めればできあがりである。
 ついでのことにと、久しぶりにニスを塗って水研ぎなどをしたので日数がかかった。むろん塗りではガンドルフィの足元にも及ばないが、「これがベニヤ?」といえるくらいにはなった。
 かくて1年以上もごぶさたしていたバイテン撮影が、今度はデジタルで復活である。久しぶりにヘリアーの300mmをのぞくと、やっぱり広角とは違う。構造的にピントグラスの位置を同じにはできないので、ピントを探り当てるために自画像で試した。ズレは10mm。ピントを合わせてから蛇腹を縮める。
 早速また甲州街道へ出て、ピントを確かめると、見事に合う。だけでなく、ゴーストがほとんど消えた。まだ残るがスペースとしては10%くらい。トリミングの範囲内である。
 それよりも、開放4.5のヘリアーを22まで絞ったときの素晴らしさに驚いた。ポートレートが主の巨大レンズでは、普通そんな撮り方はしないから未体験だったのだが、ピントがぐっと深くなる。もともとピントがおぼつかないスキャナにはありがたい。トーンもしっかり出ているようだ。【ともにHeliar 300/4.5 上はノートリミング、ゴーストが小さい】
 ただ、カメラがでかくなってレンズも巨大だと、持ち歩きが難儀だ。小さな長玉はないかと探したら、これまで使ったことがなかったフランス製の製版用300mmが出てきた。開放はf10だがf64まで絞れる。スキャナは感度が高いから晴天だとそれくらいになる。スキャナに最適だ。
◆また新たな謎が
 そこでこれまでのザックをカートに替えて、ゴロゴロと引いて東京駅前で試してみた。結果はまずまずだったが、何枚か絞りすぎで露出不足になったら、これがかえって面白い。まるでミニコピーである。本来スキャナの露光不足なんてあり得ないから、どういうしてそうなるのか。見当もつかない。【レンズ Boyer Saphir 300/10】


 実は以前にも一度、不足画像を作ったことがあった。自由ヶ丘駅前で撮ったゴスペルのコンサートだ。うっかり絞りすぎてしまったのだが、絵としてはなかなか面白い。やはりミニコピーで、そのままポスターにでも使えそうなインパクトのある絵だった。
 このときは、ゴスペルのシンガーがスキャナでどう写るかを試したのだった。彼らはリズムをとりながら歌うから、普通の大判では間違いなくブレブレになる。で、結果はというと、これが狙い通りばっちりだった。
 動きがぴったり止まって、スカートがひるがえったりして写ったのである。雪の粒の写真同様、スリットの不思議な効果だった。おまけに正常の露出では、みな一様に黒の服装なのに、黒つぶれせず微妙な濃淡があった。この理屈がまたわからない。技術者に聞いてみたいところだ。【露光不足のミニコピー効果と不思議な衣服のトーン(Boyer Saphir《B》210/4.5)】
 技術者だって困るだろう。スキャナの本来とはまったく違う使い方をしているのだから。しかし、スリット効果による歪みはともかく、ゴースト、シマ模様、スキャナドライバ(ソフト)の不具合など、スキャナ固有の問題は解析してもらわないといけない。
 できれば改造状態で正しく動くようにしたい。つまり、ほどほどに高画質で、キズがなければ、新たな写真用のデジタルバックとして認知されるのではないか。もしこれができると大変な可能性が開けるのだが、これについては次回に語ろう。

見る人か撮る人か

 東京都写真美術館で写真展「機械の眼 カメラとレンズ」の内覧会があった。学芸員が作品を解説してくれる。友の会の催しだが、いつも盛会である。なかで女性がデジカメで撮っていたので、私も1枚撮った。と、その女性が「撮影禁止です」という。記録を撮っていた東写美の職員だった。
 「はい、はい」といっておけばよかったのだが、写ったデジタル画像がいい感じだったので、女性に見せた。すると女性は御注進に及んで、内覧会の担当という人が「画像を消去してください」という。おいおい、これはまた、話がひとつ違うだろうと、これでキレた。(東写美は好きです。友人と出会う場でもある。写真は本文と関係なし)
◆展覧会はフォトジェニック
 私が撮ったのは、会場の雰囲気である。学芸員金子隆一さんが気持ち良さそうに話している。その空気だ。だから、「金子さんが嫌だというなら消すが」と断った。しかも、キレていたから、日頃の持論をぶつけた。
 「そもそも写真美術館で撮影禁止はおかしくないか?」。日本ではごく一部の例外をのぞいて、美術展でもなんでも概ね「撮影禁止」だ。しかし、なぜ?と問いつめると、理由なんかないのである。「三脚禁止」もしかり。
 現にルーブルでも大英博物館でもメトロポリタンでも、撮影は自由(フラッシュは禁止)である。「モナリザの前で記念写真が撮れるんですよ」という現実に、だれも反論はできまい。(右はメトロポリタン、ルノワールの前で)
 しかし、東写美の関心は展示されている作品にあった。ひとことでいえば「著作権」と「悪用される」というのである。頼りないデジタル画面の片隅に写っている、なかばブレたような作品を、どう悪用できるのか。悪用の前例はあるのか。あるはずがなかろう。
 たとえもろに作品を写したとしても、デジカメで撮ったものがまともに使えるはずがない。写真展のパンフに載っている写真の方がよほど確かである。また展覧会の様子をネットに載せれば、むしろ宣伝になるではないか。それをしも「悪用」というか。
 私が展覧会の撮影にこだわるのは、展覧会が最高にフォトジェニックな空間だからである。ルーブルやオルセーで、世に知られた名画を前に、物思いにふける人、語らう人たち、あるいは名画の前で記念写真を撮る人たちですら、私には興味のつきない被写体である。主役は人間だが、背後に有名な作品が写っていればさらに面白い。
◆いつももめることにしている
 しばらく前、ドワノーだったかアーウィットだったか、日本橋三越であった展覧会が実にいい雰囲気だった。大きな写真の前にベンチが飾りに置かれていて、歩き疲れたおばあさんが2人おしゃべりしている。写真を背にしているから、一緒に撮れば最高の絵だ。
 三越は「撮影禁止」ではやたらうるさい店だから、こちらも警備員の目を盗んでこっそりカメラをセット(目測)して、やおら振り向いたら、もうおばあさんはいなかった。いまもって残念である。作者も手を叩いて喜んでくれたに違いない。まかり間違っても「著作権」などいい出すまい。
 三越のベンチは、素晴らしい設定だった。店内で買い物をした普通の人たちが足を運ぶのだ。東写美と違って、みんな遠慮なくおしゃべりしながらである。東写美は、美術館が本来もっているはずの、こうした知的で刺激的でかつ庶民的な空間の役割を誤解しているのではないか。「著作権」だけを守るのなら、倉庫の管理人と変わらない。(ルーブルジェリコの大作の前)
 「撮影禁止」といわれるたびに、私は意図的にもめることにしている。江戸東京博物館、日本カメラ博物館、日比谷図書館、JR本社‥‥今回が三越なら私も引き下がっただろう。しかし東写美なのだ。世界の写真を見せて、写真文化をリードしている日本の核ではないか。
 私のショットで「被写体」になった金子さんは、さすがに「肖像権」なぞ問題にしなかった。が、「築地仁さんの写真が」という。私のいうことにも、「欧米の美術館(の撮影自由)はうらやましい。でも日本ではカベがある。著作権にうるさいのは写真家なのです」という。
 しかし結局最後に、「写真は公表しないでください」といった。あくまで「築地仁さんの著作権」である。しかし公表できない写真なんて、写真ではない。する、しないは撮ったものが決める。写真とはそういうものであろう。

◆この方がよっぽど失礼
 なれば、築地さんの写真を潰してしまえばいいのか、と手を加えたのが左の写真だ(築地さん、お許しあれ)。この方がよっぽど築地さんに対して失礼だろう。こんな変哲もないスナップに半欠けで写った写真に、築地さんが「著作権」を主張するとでもいうのか。
 写真で欧米と日本との最大の違いは、写真と一般の人との距離である。欧米では近い。写真は空気のように身近かで、前述の三越の雰囲気でごく普通の人が写真展に足を運ぶ。しかし日本では大きなミゾがある。 日本製カメラが世界を席巻し、写真が身の回りにあふれ返っているこの国で、美術館・博物館が、さほどポピュラーでないのはなぜか。写真雑誌すら満足に維持できないのはなぜか。ミゾを作っているのはだれか。それはまた、「撮影禁止」を打ち破れない理由とつながっているはずである。
 今回はさらに「消してください」というのがあった。デジタル時代の新しい現実だ。もしこれがフィルムカメラだったら、「いけません」「はい」でそれっきりのはずが、なまじ結果が見えて、消去もできるから、一歩踏み込んできた。何か勘違いをしてないか。
 たとえ禁止の場所だろうとなんだろうと、ひとたびシャッターを押してしまえば、それは作品だ。「肖像権」以外では、「消せ」という権利はだれにもあるまい。素人には著作権はないというのか。記録写真なんて、多くは禁止の場所で撮られている。それがひとたび作品として美術館に収まると撮影禁止?
◆写真はもともと危ういもの
 このすぐ後だったが、操上和美さんの「時のポートレイト」の内覧会があった。驚いたことに、ご本人が現れて解説した。作品のほとんどは心象風景である。もし同じようなものを私が撮ったら(作ったら)、間違いなくクズかご行きというややこしい趣だから、学芸員では説明しきれなかったのだろう。
 それ自体は面白かったのだが、実はそれ以上に、操上さんが作品を背に話している絵が最高だった。そういってご本人に「撮ってもいいですか」と聞いたら、おそらくOKだったと思う。写真家の多くは、自分に向けられたレンズには目ざといが、撮られるのも大好きである。(普通の写真展に撮影禁止はない)
 本人を撮るというのに、まさか背景にある写真(ピンぼけ)の著作権なぞいい出すはずがなかろう。だが、前回もめた担当者がすぐわきにいる。当方は耳が遠くて通常の会話ができない。ごたついたら、内覧会をぶち壊しかねないので、あきらめた。
 もう四半世紀も前だが、ジュネーブで名画の贋作の展覧会というのがあって、大いに人気をはくしたことがある。本物とわずかに大きさを変える。これが贋作づくりの矜持だといっていた。が、写真の世界では、これは通用しない。写真とはもともと危ないメディアなのだ。
 ソ連が政治宣伝のために始めたモンタージュという手法は、ナチや旧日本軍(木村伊兵衛のFRONT)、さらには戦後の中国にも受け継がれ、多くは事実をひん曲げる手段に使われた。また、有名な写真を無断で細工して、CMに使って裁判になった例もある。これは悪意がからむ話だが、悪意がなくても十分に危ういのである。
◆写真家が饒舌な訳
 だれでも覚えがあるだろう。同じ場所で同じような機材で同じ時にシャッターを押せば、ほとんど同じ写真が撮れる。そこでいいの、悪いのとなれば、プロが撮ったものが必ずしもいい訳ではない。間違っていい結果というのだってある。写真とはそういうものだ。
 平泳ぎの北島康介が、ロンドン五輪行きを決めた4月の日本選手権100㍍で、日本新を出してガッツポーズしている写真が、翌朝の在京スポーツ新聞5紙の1面トップに載った。テレビのワイドが紙面を並べていたが、壮観だった。(左からサンスポ、スポニチ・共同、デーリー、報知、日刊)

  
 はじめは同じ写真かと思った。が、そんなはずはなかろうとHPで画像を詳細に見ると、全部別ものだった。ほぼ同じ画角で同じ瞬間、何百分の1秒がそろったのだ。ビデオで見るとポーズはほんの一瞬なので、少なくとも5人のカメラマンは「読んでいた」。しかも、5人の編集者が同じ写真を選んだわけだ。針のアナを通すような偶然の一致。見事なプロのワザである。
 写真家はこの危うさを知っている。同じ写真は絶対に撮れないにしても、似た写真、すぐ隣くらいの写真はいくらも可能なのだ。だからだろう。作品を語って写真家は常に饒舌である。時には形而上学的な言辞まで弄する。
 写真であれ何であれ視覚に訴える芸術は、パッと見た時にいいか悪いか、好きか嫌いか、一瞬のものである。作者の「つもり」なんぞどうでもいい。後から聞いても、「ああ、そうですか」と、そんなものでしかない。しかし彼らは語る。メディアとしての危うさが不安なのだろうと、私は勝手に思っている。
 その点で絵画は潔い。ひとたび作者の手を離れた作品は、いわれるまま、まな板の鯉である。画家は多くを語らない。まあ、大家はいろいろいうことはあっても、写真家のように小難しいことはいわない。絵画では、同じものなぞ絶対にないからである。(先日「若き日のモナリザ」が本物と鑑定されたという話があった。模写に決まっているではないか。鑑定者は、画家の心を知らない)

◆自分でクビを締めている
 とはいえ、傑作であろうとなかろうと、本人ですら二度と撮れない写真というのは間違いなくある。それこそが作品。だれにも撮れないもの。であれば、複写するというのならいざ知らず、展覧会に並んだ作品で著作権を云々するというのも変な話ではないか。悪用だなんて、いったい何ができるというのか。
 「欧米はうらやましい」といったのも、その場しのぎだったろう。当の美術館の人たちは、会場を撮ろうとは思わない。写真展そのものがフォトジェニックだなどと思ってもいないのだから、「撮影禁止」をなんとかしようとはしない。一般の人たちも「撮影禁止」を当たり前と思っている。(欧米ではこれが当たり前。この赤ちゃんは必ずや、展覧会に足を運ぶ大人に育つだろう。パリ・ピカソ美術館で)
 つまり現状はいつまで経っても変わらない。普通の人たちが子どもの手を引いて、あるいは赤ちゃんをかかえて、気軽にでかけてくる雰囲気も、未来永劫生まれないだろう。そのくせ、入場者を増やそうというかけ声はよく聞く。自分でクビをしめていることを、少しもわかっていないのである。
 そこへ友人が妙なメールをよこした。大阪の中古カメラ市の一郭で、先年亡くなった粟野幹男氏のコレクションの展示映像がYouTubeで見られるという。ただし、会場は撮影禁止なのを盗み撮りしたものだから、特定のアドレスでだけ見られるようにしてある。「あまりおおっぴらにしないように」とあった。
 さすがに盗み撮りでは詳細には見えなかったが、撮影者の音声解説が入っていたから、見どころはよくわかる。しかし、粟野氏が心血をそそいだコレクションだ。せっかく並べてあるのに「撮影禁止」というのがどうも解せない。どうせ粟野氏の意志ではあるまい。
 デパートのせいなのか、出展をアレンジした人たちの余計なお世話か。どのみち、写真を撮ることに興味のない人たちが決めたことだろう。それも深く考えもせずに。これもひと続きの物語なのである。

◆撮るか撮らないか
 写真が嫌いな人は少ないだろうが、撮ることに気のない人というのは案外多い。カメラのコレクターにもいるし、カメラメーカーにも、カメラ博物館や写真美術館にもいる。これがいま、デジカメとスマホ、ケータイの普及で変わってきた。子どもからお年寄りまで、作品に垣根を設けずに並べてみせる試みも、富士フィルムなどからはじまっている。写真の裾野が広がるのは、大いに結構なことだ。(写真展で遊ぶこども。展覧会はこうでなくちゃ)
 しかし、これが日本の写真界を変えることになるとは到底思えない。東写美の話に戻ると、「画像を消去してください」といったとたんに、写真を好きな人同士の連帯は消えてしまう。これを隔てているのは、結局撮ろうと思う人か思わない人かである。
 彼らが守ろうとしているのは、何なのか。ひょっとして権威なのかもしれない。だとしたら、当方はゲリラ撮影を続けるしかないではないか。なんとも不毛なことである。

スキャナのあと先

 実際に手がけてみると、スキャナカメラは思っていた以上に面白い。画質でいえば、CCDやCMOSとは似て非なるものといってもいいほどだが、本来のスキャナが想定していない使い方をしているのだから、これは仕方がない。それよりむしろ、従来のフィルム大判では思いも及ばない諸々が現出して、しかもまぎれもなくデジタルなのである。順を追ってお話ししよう。
◆なんでピントがいいのか
 最初におやと思ったのはピントだった。大判レンズのピント面は紙のように薄い。大判の失敗の大半はこれ、といっていいくらいなのだが、スキャナカメラは妙にピタッとくるのである。(右の写真、こんなぐにゃぐにゃでも、ピントが合っている奇妙)
 ムさんが私のカメラに作ってくれた仕掛けは、木工工作はすばらしいのだが、ピントでいうとまことに大雑把だった。ピントグラスの枠と同じ形にスキャナの取り付け枠をつくって、そこにスキャナが収まっている。しかしスキャナの位置は、ピントグラスからはずいぶん後ろになる。
 そこでムさんは、ピンとを合わせたあと、蛇腹を縮めてスキャナをピングラの位置まで移動させるようにしてあった。その差が「19㍉。20㍉でもいい」なんていってる。19㍉間隔に線を引いた紙をあてがって、その目盛りをひとつずらすのである。これには驚いた。(左の写真 ピントグラスと左のスキャナでは厚みが違う。その差が19mmだという)

 大判のピント合わせは、蛇腹を繰り出すラック・アンド・ピニオンのノブをミリ単位で動かすのだから、ピント面は大げさにいえば100分の1㍉の世界だ。それが1㍉違ったら完全にアウトである。「19㍉か20㍉」なんてとんでもない話なのだが、結論からいうと、これが不思議に合うのである。
 ムさんの本職はコンピュータの技術者で、写真は35㍉から中判まで手がけるが、大判には縁がなかった。それがデジタルになるというので、大判カメラにバックから入ってきた。つまりスキャナとパソコンから話が始まっている。せっかちで手も早いもんだから、まだカメラがないからと、段ボールで作っちゃったという面白い人だ。
 しかし、その後手に入れたフィールドカメラのピント合わせはアイデア賞もので、ベニヤの薄板をピントグラスにはさんだりして、微妙なピントを探り当てていた。私のカメラはテイルボードで、造りが全然違うから、ここでもアイデアを働かせたのだった。
 ひとついえるのは、スキャナでは「プレビュー」で結果が見えるから、パソコン画面の見にくさを割り引いてもかなりの微調整が可能で、19㍉はそうして割り出したメド。ムさんは、これまでのトライアルから「ピントはそう厳密ではない」と自信たっぷりにいう。そしてその通りであった。むしろこっちがびっくりである。
◆スリットの効果?
 実をいうと、スキャナカメラになかなか手を出せなかった理由のひとつが、このピント合わせだった。どんな形にしたら、分厚いスキャナをピングラと同じ位置にセットできるか、イメージできなかった。ピングラと受光面は同じところにないといけない。これが大判の鉄則だ。いわばフィルムを引きずった思い込みである。
 スキャナから考えるムさんは、そんなことはおかまいなし。結果的に同じところにもってくればいいだろうと、まずはスキャナを取り付けておいて、それからピングラを浮かせたり、蛇腹を縮めたりしてピントを追いかける。最後は「プレビュー」で確認ができる。100分の1㍉なんぞくそくらえ。全く発想が違ったのである。面白いものだ。

 このピントの良さは、おそらくスリットの効果である。コダックとかパノンとか、昔からあるスリット式のカメラはどれもパノラマ撮影用だ。レンズがグルリと回転して細いスリットの光を連続してフィルムに焼き付ける。これで並の広角レンズではカバーしきれない広い範囲を、普通のレンズで写し取れるのである。
 スリットカメラを実際に使ったことがある人は、ピント面ではほとんど失敗がなかったことを覚えていると思う。カメラとしての造りはまあ安物で、レンズの回転も速いのと遅いのと2つくらい、ピント合わせは目測だし、レンズだって大方並みのものなのに、不思議にピントはよかった。
 スリットは線だが、小さな点(ピンホール)が線になったものだと思えば、スリット効果は、ピンホールが全面展開したようなものではないのか。スキャナカメラは、これをA4の大きさでやってしまうのである。もとはまともな大判レンズの画像だから、ぼけもちゃんと出る。スリットの補正がどう働くのか定かではないが、とくに動いているものが、歪んでいるにもかかわらず、妙にシャンと写るのである。
◆大判の常識が通用しない
 そこで、銀座のホコテンでいい加減な操作をやってみた。一度きちんとセットして何枚か撮ったあと、カメラを少し移動したのだが、あらためてピント合わせもせずに、適当に蛇腹を調整してそのまま撮った。パソコンのキーを押してから、のこのこ歩いていってイスに座って、自画像である。
 もういいだろうと、立ち上がってパソコンをのぞいたら、まだスキャナが動いていた。それが1枚目(左上)。動き始めるまでにちょっと時間がある。そこで次はたっぷり坂本龍馬になってみたら、今度は周りがえらいことになっていた。それが次のコマ(左下)。ここで注目はピントだ。
 レンズは、カメラについていた古いイタリアン・プロターの超広角で、開放値がf18。これをさらにf45まで絞ってはあったが、カメラを動かそうが、蛇腹をどうしようが、あまり変わりがない。ピントも合わさず別の方角へ向けて撮ったコマもあるが、近景から遠景まで適当にピントがきていた。なんとも不思議。もしフィルムだったら100%アウトである。


 スリットカメラは、動くものを撮ると当然おかしなことになる。ジーッとレンズが回転している間に、前を横切ったり、カメラを上下に動かしたりすると、けっこう面白い。が、それはあくまでいたずら。そうした歪みが出ないように、動くものは撮らない。人は動いてはいけない。それがルールだ。
 前回載せた骨董ジャンボリーでの坂崎幸之助さんは、ルール通りに撮った。ボケもあってなかなかいい感じだった(これは別のコマ。少し動いてもらっている)。が、同じ時に同じレンズで、坂崎商店のお客さんを撮った1枚は、珍妙画像とピントの不思議の両方が出た。
 4人の女性はいずれも動いているのだが、動き方の少なかった2人は、ほぼ正常に写っていて、しかもピントがおそろしくいい。f4.5の開放でろくにピントも合わせず、しかも数秒間の露光だから、フィルムだったら全員ピンぼけのうえに、動いてもやもやのはずである。(右)
 もうひとつは芦花公園だ。絞りは多分f22で、遠くのガスタンクにピントを合わせたが、結果は手前からほぼパンフォーカス。大判の常識をはずれている。ちょうど来合わせた自転車の子どもたちも、歪んではいてもピントは来ている。彼らがもう少し右にいればいい雰囲気だったが、こればかりはどうにもならない。(右下)
◆撮る前に結果が見える
 ムさんやSさんが撮っているのをみて、露出はどうなっているんだろうと、これも不思議だった。理系のSさんは感度や画素数まで割り出していたが、本来はLEDの強烈なライトを当てて、その反射を読みとる機械である。弱い自然光を直接受けても感光するのだろうかと。
 実際にやってみると、そんな心配はまったく無用であった。「プレビュー」をかけると、とにかく画像が出てくる。白く飛んでいればオーバーだから絞り込み、暗ければ絞りを開けて、「プレビュー」を繰り返せば、やがて適正な画像が得られる。そこで「スキャン」する。それだけである。要するに手探りの出たとこ勝負だ。
 キャノスキャンLiDE40の感度がどうなのか知らないが、スキャナカメラとして遊ぶには十分である。むしろ戸外では高過ぎるくらい。ピーカンのときはf64くらいまで絞り込む必要があるだろう。ハイパーゴンなんてもともとf48とかf96なのに、ちゃんと写る。
 こうした手探りができるのも、デジタルなればこそである。とにかくフィルム代がかからない。何十枚、何百枚と撮ってもゼロ。これは大きい。おまけに結果がすぐ見えるどころか、撮る前に(プレビューで)見えるのである。
 ネットにはいま、自分が食べるメシの写真があふれているが、あんなもの、フィルム時代には考えられないことだった。私はいまも絶対にやらないが、面白写真ならいくらでもやってやる。まして大判だと、デジタルとの落差はとてつもなく大きい。
 フィルム大判では、集合写真でも1枚しか撮らない。撮り終わって「はい、ありがとう」というと必ず、「もう1枚撮らないの?」というのがいる。「ばかたれ、お前らの汚い顔に1500円もかけられるか」てなもんである。バイテンだとフィルムと現像代でいまそれくらいになる。だから、1枚1枚が真剣勝負だった。悲しいことだが、デジタルだとこの緊張感もゼロになる。
◆だまし合いは続く

 当然、撮り方も荒くなった。面白写真をねらって街角で店を広げていても、パソコン画面で「プレビュー」を確認したあとは、キーをチョンチョンと押しているだけで、次々に画像が取り込まれる。が、人の動きは複雑で、どんな絵が出てくるかまったく予測がつかない。だからますますチョンチョンとなる。(左は雲の動きを追って、チョンチョンとやった1枚)
 結果はゴミの山である。まあ、30枚撮って1枚当たれば御の字か。シャッターの一瞬に、それこそ祈るような思いで撮る写真とはまったく別ものだ。金がかからないというのも、よし悪しである。これには実は、前回もお話しした「だまし」が関わってくる。
 スキャナドライバを立ち上げて、正常な「プレビュー」画面が現れれば、「スキャナだまし」は成功だ。何度か「プレビュー」をして構図や露出を決め、「スキャン」すれば画像は画面に現れる。「スキャン」は何度でもできる。ところが、読み込んだ画像は「プレビュー」画面の裏側になっていて、そのままでは見えない。
 マックならおそらく自動的にデスクトップに保存され、アイコンになると思うのだが、ウインドウズだとそうはならない。いったんドライバをどけるか閉じるかしておいて、現れた画像を1枚1枚、あらためて保存するのである。路上でこれをやるのもかなわないが、心配はその次である。
 ドライバがいつ拒絶反応を起こすかと、びくびくものなのだ。出先で焦付いたらそれっきりだから、ドライバの立ち上げ回数をできるだけ少なくしたい。そこで、一度立ち上がったら、「プレビュー」と「スキャン」ばかりでガンガン撮る。カメラを移動させても、ソフトは開いたまま。立ち上げは1カ所で1回。お陰でまだ、だましは続いている。ただし、明日も大丈夫という保証はない。難儀なカメラではある。
◆求む!ゴースト・バスターズ 
 一度、「読み込みの確認をお勧めします」みたいな、やんわりとした警告が出たことがある。「確認する」「しない」と選択肢があった。ここで「確認する」とやったら、たちまち「だまし」がばれる。無視するしかないのだが、「しない」というのもおっかなびっくりである。
 それにしても、こんな行き届いた警告を組み込むとは、なんと律儀な技術者だろう。正しくスキャナを使っていて、どんな場面で必要になるのか。ご苦労さまなことである。彼が律儀に作った製品を、こんな使い方をしているヤツがいると知ったら、どんな顔をするだろうと可笑しくなった。

 しかし、頼みの綱もまたその技術者なのである。例のゴーストだ。いま使っているスキャナでは、画面の左上、全体スペースの8分の1くらいに出る。別のスキャナだと3分の1くらいが黒くなってしまう。形も違う。同じ造りのデジタル機器なのに、これは一体どういうことか。(ゴーストの形はレンズ、絞りによって変わる。予測がつかない。上の写真)
 スキャナはA4で、真ん中で真四角に読み込んでいる。左右には余裕があるからと、スキャナのポジションをずらしてみたが、まったく同じに出る。ということは、スキャナではなく取り付け枠のせいか。しかしそれなら、スキャナを変えても同じでないとおかしい。やっぱりスキャナ固有の現象か。さっぱりわからない。
 面白いのは、絞りを開いて撮ると、ゴーストの境界あたりが刷毛ではいたように流れる。絞り込むと、見える形はほぼ同じなのに境界がはっきりする。絞りといったいどんな関係が? しかもゴーストの部分でも画像は写っているようにも見える。黒いということは、感光していないはずなのに? ますますわからない。(この写真はぜひ拡大してみてほしい。動いている人間が実に奇妙)
 こうなったらもう、理屈のわかっている人に尋ねるしかあるまい。つまりは、設計した人、作った人、「こんな使い方をしやがって」と怒る人たちである。それこそ、面と向かって怒ってくれたらしめたものだが、それにはまず、「こんな悪さをしてますよ」と伝えないといけない。
 いまの画像はたしかに「ノイズ」だらけで、ゴーストもその一種かもしれない。が、真っ当に撮れば、レンズの味もはっきりと出る。動くものを撮れば、これまでだれも見たことのない絵が撮れる。新たな地平が開ける予感がある。
 間違いない。新しいメディアができかかっているのだ。大判写真に興味を抱く専門家はいないか。これを読んで、こっそりでもいい、誰か怒ってくれないかなぁ。

コンピュータとだまし合い



 真っ先に向かったのは新宿駅の西口構内、交番の前に広がるコンコースだった。初めてのスキャナカメラだ。ここで以前、バイテン(8x10インチ)でダゴールを試したことがあって、スローシャッターで動き回る人たちが半分消えてしまうのが面白かった(写真右)。そのイメージが、なぜか新しい機材に重なったのだった。
 人通りは激しいが、太い柱の陰だと、大判の三脚をおっ立てて長い時間いても邪魔にならない。カメラはいつものヤツだが、スキャナとパソコン操作は初めてである。間違えないようにじっくり時間をかけて、やおらキーを押した。「あーらら、何じゃこれは」。ダリもジャコメッティも真っ青のとんだシュールレアリスムである。「こいつぁ、おもちれぇ」(右下)
◆棚からぼたもち
 スキャナカメラであれこれ試みていた「ムさん」が突然、「パソコンとスキャナをあげます」といってきた。どうやらより小型の強力パソコンを手に入れたのと、これまでの直接スキャンから間接方式に転換するかららしい。このブログでいろいろ紹介して、はやしたてていただけの私も、これでいよいよ逃げるわけにはいかなくなった。
 二の足を踏んでいたのは、白状すると、スキャナの仕組みや細工がさっぱり飲み込めなかったからだ。最初に始めたSさん、そのSさんから仕掛けを飲み込んだムさん、さらにムさんがSさんと一緒に披露したワークショッップ。これを見てその気になった横浜の堀江忠男さん‥‥みな、それなりの結果を出していた。
 その全部をずっと見て、聞き書きをして、次々に出る結果を互いに伝える役割を受け持ってきたのだが、なにせ当方の頭は文系である。デジタルという目に見えないものを信ずる気にはなかなかなれなかった。もひとついうと、ピント合わせの簡単な木工細工も、歳のせいかおっくうであった。
[:W300]
[:W350] とはいえ、投入するカメラは早くから決まっていた。スキャナはA4サイズだから、バイテンは大きすぎる。イギリスのフルサイズ(6.5 x 8.5 in.)だと、ちょうどA4の中央に真四角な絵が撮れる。バックを工夫して、普段はバイテンとして使っている広角専用の暗箱がある。無名のテイルボードだが、薄っぺらで軽いので、持ち歩きには最適である。(本体は大きいが薄っぺら。左は付け替えレンズボード。下の写真は、左が本体のバック、右ができあがったスキャナバック、奥にあるのが8x10バック)
 ムさんにそう伝えると、「カメラを送ってくれれば細工をします」という。だが、このカメラは世界に何台もないだろうという珍品だ。さすがに宅急便で送るのは怖い。結局、車でとりにきてくれて、コーヒーを飲みながら「フンフン」と構造を確かめて持っていった。ついでに、堀江さんからいただいたスキャナも預けた。
◆持つべきものは友だち
 と、その日のうちにメールで「できました」という。面倒な木工細工をさっさと終えて、持っていったスキャナも改造して、そのテスト画像まで送ってきた。いつもの「オグリキャップ」のぬいぐるみである。「新しいスキャナは感度が高過ぎて、キャリブレーションがどうとかこうとかで‥‥古い方がいい」と。
 この辺りから文系頭には話が分からなくなる。が、まあ理屈なんかどうでもいい。自分でやっていたら何週間もかかることを、1日でやってくれて、「さあ、持ってけ」というのだ。持つべきものは友だちである。生まれて初めて南武線に乗って、ムさん宅まで受け取りに行った。
 ムさんがやっていたのは、フラットベッド・スキャナを横倒し(タテ置き)にして、大判カメラのバックにとりつけ、スキャナの動く受光バー(センサー)で、大判レンズからの光を直接受けるという発想である。ただしスキャナは本来、原稿台(ガラス面)の絵柄にLEDライトを当てて、その反射光を集光レンズで読みとるものだ。大判レンズの光を直に読みとらせるには、LEDライトも集光レンズも取り除かないといけない。
 スキャナは電源が入った時にまずLEDが光って、準備OKとなる。これをキャリブレーションというらしいが、LEDをはずしてあるから光らない。そこで、機械をだまくらかす必要がある。Sさんもムさんも、これでちょっと苦労したらしい。だが、当方はその理屈がよく飲み込めないまま、結果だけをいただいて、勝手なことを書いていたのだった。
 つまり、「キャリブレーションて、何だぁ」と訳のわからないまま、実践に突入することになった。なに、パソコンとのセッティングを飲み込めば、「プレビュー」と「スキャン」で画像はつかまえられる。かくて勇んでスキャナカメラへの道を踏み出したのだった。

[:W300]
◆やっぱりツケが回ってきた
 まずは、食卓のイヌの置物から始まって、窓の外の植え込み、近所の公園などで試して、最適のレンズを選び出した。かくて新宿である。駅構内でジャコメッティも顔負けの絵を撮ったあと、工学院大学の広場へ行って、そびえ立つビルをハイパーゴンで撮ってみた。
 写りは今ひとつだったが、隣のおじさんがのぞきこんできた。「撮ってみましょうか」といったら、素直に座った。レンズを替えて「動いちゃダメですよ」と撮ったのがこれ(右)。「写るのかな」と好奇心いっぱいの表情がいい。近頃の若者は好奇心がないが、人間は素直でなくちゃいけない。
 画面でおわかりだろうが、いずれも左上にゴーストが出る。なぜだかわからないとムさんはいう。Sさんは「機械の特性だろうとあきらめた」という。スキャナによって出方はいろいろだが、同じ機械なら形は相似形で、レンズと絞りによって微妙に出方が異なる。決まった場所で出るのだから、スキャナをずらしてみたらどうか、などとポジションを変えて試したりしているうちに、スキャナが反応しなくなった。


 「スキャナから補正データを取得(キャリブレーション)中です。原稿台カバーを開けないでください。約1分かかります」と表示が出たまま、焦げ付いてしまった。「開けないでください」もなにも、カバーなんかはずしちゃってるのである。何が起こったのかわからない。
 ムさんに連絡すると、「だからいったでしょう」という。「そういえば、なんかいってたなぁ」と聞き流していたツケが、とうとう回ってきたのだった。
 要するに、スキャナ・ドライバ(ソフト)をだまくらかしていたのである。本来LEDが光って準備が整う(キャリブレーション)ところを、LEDを取り除いてあるから、代わりに外光を当てて、ドライバをだます。キャノスキャンのLiDE40だと、これで見事だませるのだ。ところが、ここから先が面白い。
◆愉快なだまし合い 

 だまされたドライバは、スキャンを繰り返しているうちに、「おかしいぞ」と気づく。それが前出のサイン、つまり「お前の使い方は正常でない」と、作動を拒否するのである。するとムさんは「ばれたか」とばかりに、正常な(改造していない)LiDE40につないで、またキャリブレーションをする。その際、PCのバッテリーも数秒間はずして、“過去のしがらみ”を絶つという念の入れようだ。するとまた、しばらくはだませるという、まあとんでもない手口なのだった。
 「プレビュー」と「スキャン」の頻度にもよるのだろうが、その限度がだいたい10回とか20回とか、そんな話である。「だからいったでしょう」とはこのことで、だまくらかすための「正常なスキャナ」を1台余分に持っていないといけないというのだった。やれやれ、もう生産終了しているそいつをどこかでみつけないといけない。とんだツケである。
 面白いのは、だましやすさが機械によって違うこと。後期の型のLiDE70になると、キャリブレーションがより厳密で、生半可な光ではドライバが立ち上がらない。太陽光でもダメなので、結局外への持ち歩きはできないと、ムさんはいう。(写真はいずれも、LiDE40。レンズは右が後玉のないHypergon 65mm、他はフランスのBoyer Saphir B 210/4.5 古い引き伸ばし用レンズだが、写りは素晴らしい)
 そこで不思議なのが、堀江さんである。堀江さんのやり方は、原稿台のガラスにすりガラス状の樹脂を貼付けて、そこにレンズが映し出した画像を読みとる「間接方式」である。しかし、外光を読むのだから当然LEDは外しているはず。
 また、スキャナの真ん中に小さな窓が開いていて、あとは全部カバーで覆われていた。だましの外光も入らない。しかもLiDE70なのに、外へ持ち歩いて結果を出している。キャリブレーションはどうなっているのか? そこであらためて電話で聞いてみて驚いた。
◆これもまただましの手口
  堀江さんのカメラは5x7で、A4のスキャナよりかなり小さい。スキャナの真ん中の窓は7インチ四方で、カメラのサイズだった。また、「LEDをはずすと、抵抗が変わって正常な作動はしないから」と、LEDはそのままに、7x7の窓を通る部分だけ光が出ないようににテープを貼っていたのだった。
 つまり7インチをはずれる端の部分ではLEDが光る。これでキャリブレーションができ、スキャナは通常通りに反射原稿を読んでる“つもり”で、レンズからの絵を読んでいたのだった。スキャナ全体にカバーをかけていたのは、余分なLEDの光がスキャン中もれないため。機械はすっかりだまされているから、何度スキャンしても不審に思わない。これもまた、みごとなだましの手口である。
 ただこれだと、スキャナの幅いっぱいは無理で、真ん中の7x7インチの絵しか撮れない。堀江さんは、レンズが結ぶ画像のさらに真ん中だけを切り取って、周辺光量が落ちる「間接方式」の弱点を補っていた。堀江さんの写真の不思議な写りの訳も、これでようやく解けたのだった。いやはや、人の知恵とはたいしたものである。
 それはいいのだが、不審を抱いて焦付いた機材を何とかしないといけない。ムさんに泣きついたら、「パソコンを持ってくれば、キャリブレーションできる」というので、またまた南武線である。なぜか正常なスキャナをもっていて、まただまくらかしてくれた。これでしばらくは撮れるというわけだ。やれやれである。(下は、骨董ジャンボリーでの坂崎幸之助さん。ゴースト部分をトリミング。一見普通の写りだが、よく見ると動いた人は歪んでいる)

◆スキャナだけがもつ特性
 さてそこで、これで何を撮るかと、大判の基本命題に戻る。まずは動かないもので、かつ大判でなければならないもの。結論からいうと、もう大判に居場所なんかないのである。かつては、圧倒的な高画質が大判の値打ちであったが、デジタル技術の進歩で、4x5程度ではもはや優位に立てなくなった。
 大判のもうひとつの拠り所だった「アオリ」なんぞ、もうだれも気にしない。判が大きいから「偉い」なんてこともない。かろうじて対抗できるのが、ポートレートと広い風景、コンポジションくらいだが、これらも、大方はデジタルで置き換えが可能だ。どころか、敵は速写・連写ができて、色でもトーンでも調整自在だ。とても勝負にならない。
 これがフィルム大判の現状である。そのフィルムをスキャナに置き換えたからといって、いったい何ができるか。展望なんか何ひとつなかった。だが、テスト撮影を繰り返しているうちに気づいた。スキャナだけが持つ特性である。
 受光部分が動くのだから、動く被写体は撮れないと、だれもが思っていた。私もそういってきた。風景はもちろん、ポートレートや集合写真でも、「坂本龍馬になれば写るよ」と。だが、これはフィルムをひきずった思い込みにすぎなかった。
 新宿のヨドバシカメラの周辺に三脚を立てて、通り過ぎる人たちをやみくもに写していてわかったのである。バックが動くからこそ写る画像があるのだと。なぜこうなるのか見当もつかない。どの動きがどうなるのかもわからない。まことに奇妙な絵が次々に現れた。こんなもの、いまだかつてあったか? 
 テスト画像をご覧いただければわかる通り、ゴーストはある、シマは出る、赤外線まで写ってしまう、画質なんてとてもいえるレベルではない‥‥もともとスキャナが想定していない使い方をした結果である。スキャナの受光素子の性能もあるだろう。しかしこんなもの、技術者に解析させれば、たちどころにわかる話ではないのか。
◆面白画像に市民権を
 それよりも、この面白画像を何とかしたい。市民権を与えることはできないか。この方が先ではないのか。(骨董ジャンボリーの会場に三脚を立てて、流し撮りの奇妙。下はその部分拡大だ。奇妙にピントがいい。スリット効果なのかもしれない)
 そもそもはデジタル話である。すでにCCDやCMOSはあるが、小型カメラで完結しているから、だれも大判なんか考えない。キヤノンはすでに作ったが、製品化はしないという。目の玉が飛び出る値段だからだ。だったら、手近にある安いデジタルは?というのが、スキャナカメラの発想である。
 多くの人がこれを追及して、画質にこだわる向きは、高性能のCCDで中判カメラで素晴らしい結果を出している。私の仲間たちは、画質よりも大きさにこだわったのと持ち歩きの必要から、USBでパソコンから電源をとれるキャノスキャンになった。中古の活用だから、入手に手間はかかるが金はかからない。
 やってみてしみじみわかった。大判の泣き所は、フィルム代と現像代だ。エッサエッサ重い機材を持ち歩いて撮って、何日も経って現像があがって「やっぱりダメだったか」というのは心臓によくない。間違いなく意欲にも響く。大判をやる人がどんどん減っていくわけである。ところがスキャナは何枚撮っても金がかからない。結果は目の前で見える。画像は問題だらけだが、立派にデジタルのはしくれなのだった。
 試行錯誤はまだ続くだろう。だまし合いも続くし、ゴーストを解明する必要もある。ただ、面白いことがいろいろわかってもきた。次のご報告では意外な展開があるかもしれない。乞うご期待である。