写真師たちの輝き

 知人からのメールに「維新の志士の写真」の真贋を問われたという話があった。ホームページのアドレスがついていたので、つついてみると、見事な集合写真が現れた。まげを結って刀を持った武士たちが、2人の外国人を囲んでいる群像だ。総勢46人。素晴らしい写りである。(以下の写真はいずれも、ブログ「教育の原点を考える」から)

◆驚きのフルベッキ写真
 知人は、デジタルのフォトレタッチの仕事をしているので、古写真のコレクターに意見を求められたらしい。写りがよすぎるので「合成ではないか」と答えたとあった。明らかに間違いである。常々いっているが、湿板写真師の技術はすばらしい。この程度の写りはいくらもある。
 そこで、写真の因縁などは見もせずに、「本物だと思いますよ。昔の写真師はこれくらい撮ります」とメールを送った。ところがよく見ると、46人の1人ひとりに名前が振ってあって、ありえない人物——西郷隆盛だの坂本龍馬明治天皇までがいる。おいおい、とんだ食わせ物だ。あわてて「よく見ないで、すみません」と謝りをいれたのだったが、これがまた、早とちりであった。
 不勉強で知らなかったのだが、この写真は「フルベッキ写真」といって、20年にもわたって真贋論争が繰り広げられているものだった。ホームページは「舎人学校」とだけでよくわからないが、管理者と慶応大の准教授(当時)とで大変な検証作業を重ねていた。
 それによると、写真は長崎にあった佐賀藩の藩校「致遠館」の塾生が、教授のオランダ人フルベッキと息子を囲んだもの。撮影者は上野彦馬。場所は彦馬の写場である。どうりで写りがいい訳だ。つまり、写真自体は合成でもなんでもない、本物なのである。
 明治の中頃から雑誌にも載っていて、検証では、彦馬のスタジオでも外国人向けに売られ、小さな名刺判の複製もあった。数ある幕末写真の1枚にすぎなかった。で、何が問題かというと、並んでいる名前なのだった。
 じっくり見ていただきたい。とんでもない名前——明治天皇は論外としても、維新の英傑や後の明治政府の要人がずらりと並んでいる。写真がないはずの西郷隆盛までがいる。そりゃあだれだって驚く。


◆とんだ英傑大集合
 最初に名前を入れたのはある肖像画家で、22人の名前とともに昭和47年、読売新聞に寄稿したのが始まりらしい。根拠がおぼつかないので、専門家は相手にしなかったが、これが「英傑大集合写真」として繰り返し現れる。昭和60年には、自民党二階堂進副総裁(当時)が議場に持ち込んで話題となった。
 この時も東京新聞が追跡調査して、「マユツバ」と断じたのだったが、平成16年(2004年)に佐賀の業者が、写真を焼き付けた陶板額を「幕末維新の英雄が勢ぞろい」と全国紙に広告を出して、またまた大騒ぎになった。いつの間にか44人全員の名前が“特定”されていた。
 ホームページには、これらの名前の人物をひとり1人克明に資料をあたって、つぶしていった結果が載っている。まあ、大変な労作だ。その結果、名前が間違いないのは、岩倉具視の2人の息子など11人で、いずれも英語塾の塾生である。撮影時も、「英傑派」のいう慶應元年(1865年)ではなく、明治元年(1868年)の10月から11月と特定された。むろん坂本龍馬らは死んでいるし、維新の英傑は1人もいない。(左は、東京新聞06年2月5日の検証紙面とブログの検証過程の写真。つけられた名前の人物の本物写真との突き合わせだ。大変な労作。いずれも上記ブログから)
 検証には沢山の専門家が登場するが、面白いのは、だれひとり写真の写りそのものには関心がないことだった。古写真の専門家は、学者でも博物館の学芸員でも、なべてそうである。映っている人、モノ、風景が研究対象であって、どうやって撮ったかは、どうでもいい。写真は現に目の前にあるのだから。
 なんか惜しい気がする。それがどんなに大変な技術であったかという実感がない。たとえばこれだけの大人数の、最前列から奥まで全員にピントを合わせるのだって、実は容易ではない。大判レンズは絞り込んでも被写界深度は深くならない。古いレンズには収差があるし、開放値も暗い。
◆どうやって撮ったんだ?
 湿板の感度はフィルムの何百分の1である。ISO400だ800だという今の感覚でいえば、ほとんど暗闇で撮っているに等しい。そこをきっちりと撮るには、絞り込まないといけないが、そうなると、露光時間はさらに長くなる。この頃で数秒はかけている。しかしだれひとり動いてはいない。
 現代人をこれだけの数並べたら、たとえ1秒か2秒でも、経験的にまず5人は動いてしまう。当時は動かない仕掛けがあったが、これだけの人数分あったとは思えない。「昔のサムライは辛抱強かった」だけではない、何かがある。「よく撮ったな」どころか「どうやって撮ったんだ」といいたくなる写りなのだ。
 写真は現に目の前にあるとはいえ、このあたりを不思議に思わないのは、大判写真の実際を知らないからである。一度でも撮ってみれば、そのワザがただごとでないとすぐにわかる。それがわかれば、古写真の探求もぐっと奥深くなるだろうに。惜しい、とはこのことなのである。
 大判にかぎらず、集合写真は、撮影者と被写体の共同作業だ。息が合わないと絶対にいい結果は得られない。古写真に写った人たちの存在感は、現代人より強い。彼らはそれこそまなじりを決して撮影に臨んだ。写真師もまた失敗は許されない。いわば真剣勝負。「はいチーズ」で1枚、「念のためもう1枚」というのとでは、結果が違って当然であろう。
 湿板の写真師はまた、様々なワザをもっていたと思われる。実際の露光時間が俗にいう「標準」より短かったと思われる写真が沢山ある。薬品の調合かも知れない。あるいは被写体を金縛りにする特別な言葉があったのかもしれない。これらはいわば「秘伝」だが、感度の高い乾板の出現とともに、歴史の闇に消えてしまったのである。
◆絵画から写真への転換
 上野彦馬が最初に写真を撮ったのは、文久2年(1862年)である。この年に出た訪欧使節団は、エジプト、フランス、イギリス、オランダなどで写真を残している。写真師の名前が残るのは、パリのナダールくらいのものだ。
 そんな写真師の名前がゾロゾロ出てくる珍しい写真展がいま、三鷹市美術ギャラリーで開かれている。「芸術家の肖像——写真で見る19、20世紀フランスの芸術家たち」(6月24日まで)で、タイトルの通り、フランスの芸術家の肖像ばかり100点。日本で知られている芸術家を選んだという。(「芸術家の肖像」展のパンフレット。大きな顔がマチス。小さな顔は、画像を拡大すると説明がある。マネ、モネ、ロダンなど)
 フランスの個人コレクションで、本国でも公開されたことがないのだそうだ。ユニークなのは、作品の多くに撮影者の名前がある。ダルマーニュ、ドラール、プチ、レズネ、トゥルイエ、ベナール、ディスデリ、ナダール、カルジャ‥‥これらが湿板時代で、ナダール以外は聞いたこともない名前だ。
 のち乾板からフィルムの時代になっても、ボナール、ドルナック、ムーリスと馴染みがない。が、サッシャ・ギトリ(映画監督の方で有名)、エドワード・スタイケンなども出てくる。(以下写真師の考証は、武蔵野美大・大日方欣一氏による。写真はいずれも、三鷹市美術ギャラリーのパンフレットから)
 時代が下れば写真術も進歩するから、味わいのあるポートレートも多い。しかし、ワザのほどを見ようとすれば、やはり湿板だ。それぞれ撮り方、スタイルに個性があって、これがなかなか面白い。
 日本でも、写真師の多くがもとは絵師であったが、フランスでもそうだったらしい。ナダールも元はカリカチュリスト(政治風刺画家)である。3年がかりで300人を描いた作品「パンテオン」(1854年)で話題になった売れっ子だったのが、一転パリにスタジオをかまえて、肖像写真で名声を博した。
◆写真師の知恵と冒険 
 ナダール(1820-1910)は好奇心旺盛だった。気球に乗って世界初の空撮をやったり(1858年)、フレアを焚いてパリの地下墓地(カタコンブ)の暗闇を撮ったり(初の人工光撮影)している。

 その気球のゴンドラをスタジオに持ち込んで撮ったセルフポートレートがあった。露光に何秒もかける湿板だから、ゴンドラの上でじっとしている姿が何ともおかしい(写真左)。5.5x7.5cmという、まあ小さな写真である。興味のある人は天眼鏡をもっていったほうがいい。
 空から撮影というのは大ニュースだった。これを仲間のカリカチュリスト、オノレ・ドーミエが描いた漫画(中)は有名だが、ナダールは逆にドーミエの肖像を撮った。ドーミエは、オルセー美術館に一室を持っているほどの描き手だが、およそ風刺画とは縁遠い堂々たる押し出しである。(右)
 湿板はダゲレオタイプと違って、コピーが何枚でもとれる。写真が爆発的なブームになった理由のひとつだが、これを生かして大もうけしたのが、ディスデリ(1819-1889)だった。
 ダゲレオタイプからスタートしているが、1854年に考案して特許を取った名刺写真(カルト・ド・ビジット)がブームになった。レンズが4つあるいは2つついたカメラで一度に撮る。その湿板を上下左右にスライドさせて、1枚の湿板に8-10枚を撮る。1枚は6x9cmで、ちょうど名刺になるというわけだ。
 切り離していない8枚が写った写真があった。ステレオカメラで4回撮ったという感じだ。歴史に残る知恵だが、実は「ディスデリ」という名前の2つ目、3つ目、4つ目の面白カメラがある。「変な名前だな」と思っていたのだが、この展覧会でようやく由来がわかった 
◆芸術家の生活も見える
 ディスデリのもとで修行したピエール・プチ(1832-1909)は、出張撮影をやった。これも画期的なことだった。湿板は、ガラス板に薬液を塗って濡れた状態で露光して、すぐに現像しないといけない。つまり、持ち歩きのできる暗室が必要だった。むろんカメラから薬品まで一式を持っていくのである。(上は、ドルナックが撮ったアトリエのファンタン=ラトゥール。後ろの絵は彼の代表作らしい)
 上野彦馬西南戦争で、つづらを持ち歩いた。人夫が運んでいる写真がある。フェリチェ・ベアトは駕篭を利用したらしい。南北戦争を撮ったマシュー・ブレイディーは馬車を仕立てて、戦場をめぐった。「不思議の国のアリス」のルイス・キャロルは、テント型の暗室を持って、モデルの少女たちとフィールド撮影に出ている。いずれにせよ、大変な手間であった。
 しかし、スタジオから出ることで、被写体の住居や生活環境を捉えることができる。肖像写真は奥行きを深めた。このコレクションには、そうして撮ったアカデミスムの画家のアトリエが沢山ある。どれもまあ、立派なお屋敷である。なかには、甲冑や武器などの膨大なコレクションが写っているのもある。そういえば、古い石版画にはよく室内の絵がある。あの雰囲気だ。
 画家の制作過程が見えるというのは、確かに面白い。画家の後ろには沢山の作品が架かっており、なかには世に知られた作品も写っている。自らの記録のつもりだったのかもしれない。これが乾板時代になると、暗室も薬品も要らなくなったから、ぐっと現代に近づく。(庭でモデルを描いているアンリ・トゥールーズロートレック。撮影者不詳)
 エドモン・ベナール(1838-1907)やドルナック(1858-1941)、ルイ・ボナール(1867-1947)はこれで意欲的に撮っている。ボナールが撮った、画家・彫刻家のジャン・レオン・ジェロームがヌードモデルと並んだ写真なぞ、当時としては衝撃的だったに違いない。
 アトリエが立派なのは、古典的な画家の多くが資産家の出だったということもあるようだ。貧乏画家が多く、またそのために戸外で描くことが多かった印象派になると、アトリエはあまり出てこない。代わりに、戸外や作品と向き合う姿になる。その意味ではちょっと時代が見える。面白いものである。
◆フランスの黄金時代
 フランスの奇妙は、ダゲレオタイプで写真の先駆をなしながら、その後の写真の進歩にはほとんど貢献していないことだ。ダゲレオタイプから湿板の初期まで、フランス・レンズは欧米をリードした。が、1860年代後半にイギリスに、次いでドイツに取って代わられると、それっきりである。
 唯一先頭を切ったのがルミエール兄弟のシネマだったが、これもほどなくドイツにやられる。カメラに至っては、20世紀初頭のタイプが第2次大戦後まで続く有様で、機材の開発に関心がないとしか思えない。そのくせいつの時代でも、パリはニューヨークと並ぶ写真の中心地であった。
 しかし近代になると、パリで活躍する画家や写真家で生粋のフランス人はどんどん少なくなる。右を向いても左を向いてもフランス人ばかり、撮ったのも大方フランス人という写真展は、その意味では珍しい。とくに19世紀の湿板、乾板の時代は、フランス写真がもっとも輝いていた時代といっていいかもしれない。
 ナダールと同時代で、ドラクロワ(1798-1863)やボードレール(1821-67)を撮ったエチエンヌ・カルジャ(1828-1906)も、もとはカリカチュリストである。プチのもとで写真を学び、多くの文人、政治家を撮った。性格描写にすぐれ、今回出ているボードレール(写真右)は、ナダールが撮ったものより内面を感じさせる。
 撮影者不詳でも、どれも腕は確かだ。サラ・ベルナール(1844-1923)、エドゥアール・マネ(1832-83)の小さな肖像(写真上、ナダールが撮った大きなものよりいい)、前掲のトゥールーズロートレック(1864-1901)、ポスターになっているアンリ・マチス(1869-1954)。さらに、ロダンアンリ・ルソールノワール(ドルナック)、クロード・モネ(ギトリ)‥‥おなじみの名前が並ぶ。
 ギャラリーによると、来場者の反応が面白いそうだ。「みんな堂々としている」「政治家か実業家みたいだ」と。確かに「これが芸術家か」の感はある。写真に写ることがまだ大変なことだった時代だ。だからこそ、写真師もまた輝いていた。
 上野彦馬は撮影のとき、「お動きあそばしませぬように」と声をかけたという。イギリスでは、「Be motionless, I beg you」といったそうだ。ニュアンスは驚くほど似ている。フランスではいったい何と声をかけたのだろう。この写真展は、その成果でもある。

デジタルとハサミは使いよう

 きょうは大判を離れて、デジタルのありようを考えてみたい。
 Pinterestという名前を経済誌の記事で読んだその日に、facebookの友だちがそれを使っていたので驚いた。自分で撮った写真、ネットで見つけた気に入った写真を、ネット上にピンナップして、だれでも見られるという新しいSNSだ。記事には、とくに女性に人気だとあったが、その友だちも女性である。
 さっそく友人の掲げた写真を突っついてみると、なにしろ世界につながっているのだから、目の覚めるような写真が次々に出てくる。すごいというより、きりがない。なかでひとつ、珍妙な写真が目に止まった。

 海の中に岩峰が突っ立っていて、上に立派なお城がある。岩峰は根元の方が細くなっていて危なっかしいのだが、入り口が穿ってあり、ハシゴがかかって、ボートも浮かんでいる。「どこだ?」と説明を見たら「ダブリン」とある。
 はて、地中海から小アジアあたりでは、ストイックな宗教者が、とんでもない岩山のてっぺんに修道院を作ったりもあるが、アイルランドに? それも海辺だ。とりあえずは面白いからと、facebookへのリンクをつついておいて、探索にかかる。
 見つけたのは、とっくに友人のサイトを離れたどこぞの女性のページだったが、これはオリジナルではなかった。元をたどるとメキシコの男性とわかる。そのページにはいると、あーらら、書き込みがいっぱいだ。曰く「これはダブリンじゃない」「タイではないか?」……すると、当の男性が「sorry」と謝っている。なに?

 さらに読み進むと、「これだろう」というアドレスがある。Wikipediaの記事のアドレスもあった。開いてみると何のことはない、タイのアンダマン海沿いにある奇岩の写真である。これに、ヨーロッパのどこかの館の写真を合成したものだった。奇岩は、映画「007黄金の銃を持つ男」で知られたのだと。あの映画は見ていない。くそったれ、見事にだまされた。
 わかってみると、確かに建物とハシゴやボートのサイズが合ってない。海上の影もおかしい。しかしまあ、見事なワザではある。デジタルの画像処理に慣れた人なら、おそらく鼻歌まじりでできてしまうのだろう。むしろ、陽射しと影の角度が合った建物の写真を見つけ出す方が大変だったろう。
 これはまあ冗談の類いだからいいとして、時にはニュースの顔をしたインチキ写真も珍しくなくなっている。昨年の夏、「韓流」が目に余るというので、フジテレビにデモが押しかけたことがあった。ネット情報で2000人とか4000人とかいうが、なぜか大手メディアは黙殺した。
 これに業を煮やしたのかどうか、“主催者”かデモ参加者が、ニュース風に伝えた中に、フジテレビ本社前が人で埋まっている写真がついた(左)。ところが、たちまち合成写真と見破られて、ほぼ同じ角度からの実際の写真(右)が掲載された。あっという間に化けの皮がはがれた。

 その突っ込みの早いこと。モンタージュと同じ角度の写真を探してくるのも、デジタル世代のワザなのだろう。必要なら動画でも何でもそろえてしまうに違いない。実に素早いし、ある意味痛快ですらある。ネットの情報は玉石混淆だが、生半可なインチキは通らないぞという、ネットだけが持つ優れた機能だ。といって、誰でもできるわけではなかろう。
 よく「デジタル写真は危ない」という人がいるが、それは違う。写真とはもともと危ないメディアなのだ。旧ソ連や中国では、政治家を消したり付け加えたりは当たり前。レーニンと一緒にいたはずのトロツキーが消えていたり、中国の四人組が突然いなくなったりなんぞ、朝メシ前だった。
 ナチスから始まりスターリンが多用したといわれるが、戦時中の日本でも、謀略誌の「NIPPON」や「FRONT」は盛大にモンタージュを使った。木村伊兵衛や浜谷浩がやっていたのだから、レベルの高さに連合軍も注目したほどだった。新聞でも専門家がいて、エアブラシで大いに描いた。
 デジタルは、これがうんと簡単にできるようになっただけのことだ。むろん、だれでもというわけではなかろうが、ワザといえるほどではあるまい。写真サイトのphotonetでは、もうずいぶん前から加工写真は立派な市民権を持っていて、それが時にはアートとして扱われていた。要するに「別もの」だと割り切っていた。
 ネットのサイトだから、どのみち写真は100%デジタル(元がフィルムでも)である。かつては「加工したか(manipulated)?」という問いに「yes」「no」をチェックしていたのが、完全に形骸化した。もはやだれも答えていない。絵画のような作り写真が大きなカテゴリーになった。写真はすでにそこまでいっている。(左の2枚はphotonetの「今週のベスト」から。ともに元は普通の写真だが、不要なものを消し、色を整えているのは明らか。右はネットの冗談写真。写真はバカバカしいが、何気ないワザが空恐ろしい)

 デジタル写真では、いまや簡単な合成や修正はカメラの中でできる。コントラストの強い絵柄では、カメラが勝手に適正露出部分を集めた絵を合成してしまう(HDR)。フィルムでは絶対に撮れない絵で、その機能はiPhoneにまでついているのだから恐れ入る。
 Photoshopのバージョンアップにしても、付け加わる機能の大半は、画像処理といえば聞こえがいいが、要するにインチキのすすめである。要らないものを消す。切り貼り。画像の合成。色を変える。シャープにする。ボケを作る。ペイントワーク……かつては職人ワザであったつなぎ写真なぞ、ワンタッチでできてしまう。
 デジタルがとりわけ強いのが、光量の少ない夜景だ。さきごろNational Geographicの「旅行写真」のベストに選ばれた画像にはうなった。「星空ウォッチング」という写真で、雪の上に寝転んで空を見上げている男とテント、バックには湖と満点の星空がくっきりと写っていた。超広角レンズで夜景をカラーで、かくもシャープに撮れるとは。しかもこれ、動画のひとコマなのであった。参ったというしかない。
 「記録装置としてのフィルムの時代は終わった」が実感である。ちょうど、銀座のリコー・ギャラリーでやっていた「マグナム コンタクトシート展」を見た。コンタクトだから、同じフィルムの前後の失敗作も見える。なんとまあ、真っ正直に律儀に撮っていることか。そのひとコマのために命まで張っているのである。
 この様子をネットで伝えたら、ひとりが「デジタルではできないことですね」と書き込んでいた。その通り。ペケは即座に消去されて、撮影の過程だってたどることができまい。おまけに、photoshopでいじくりまわせば、オリジナルがどれかすら、わからないかも知れない。
 むろん、現場にいなければ写真は撮れない。こればかりはデジタルになっても変わらない。ただ、作業は楽になった。押せば写る。へっぽこアマでも、日に500枚だ1000枚だと撮れば、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」である。一度写ってしまえば、あとはデジタルでどうにでもなる。
 そうしたらまた、別の友人がfacebookに妙なものを載せていた。富士山の傘雲が5重になっている。「エーッ」である。たちまち、善男善女の書き込みが殺到していたが、こちとら「ダブリン」でだまされているから、疑り深い。注意深くたどっていったら、オリジナルがちゃんと見えるようになっていた。だから、ジョークだとわかる。あはは、パチパチ、座布団3枚‥‥。

 元の傘はひとつだけだった。いや、これ自体も素晴らしい写真である。本人がモンタージュなんかするはずがないから、「5重」は別人が勝手にやったに決まっている。だがおかしなことに、「5重」を見たあとだと、オリジナルがなんとも平凡に見えてしまう。これは怖い。
 かつて訴訟沙汰があった。マッド・アマノが、白川義員の山岳写真にモンタージュしたパロディーが訴えられた。あのパロディーは傑作だった。立山かどこかの大斜面をスキーヤーが滑っている写真で、尾根の上に巨大なタイヤがのぞいていた。タイヤの広告ではなかったか。
 ネットで探してみたが、さすがに訴訟になったものだから出ていない。マッドは不用意だった。了解なしでやるには、白川も写真も有名過ぎたのである。だが、いまネットにあふれているものはどうだ。
 前掲の富士山、奇岩の写真、お城の写真‥‥みなネットからの無断拝借だろう。多くは、オリジナルが何であったかすら話題にならない。ネットに載せることは、即ち了解済みということになるのか。
 あらためて、写真て何なんだ、と思う。われわれは間違いなく、新たな地平に踏み込んでしまった。もう後戻りはできないのだ。写真を面白くするのも、危ないオモチャにするのも、われわれ次第。バカとハサミは使いようってことだ。
 最後にひとつ、ネットにあった冗談写真をお見せしよう。本当に笑えるのは本物だけなんだということがよくわかる1枚だ。まさかこれ、合成じゃないよな?

湿板写真はナゾだらけ


 古い写真の展覧会を見ると,必ず何らかの発見があって、しかも有無をいわせぬ力量の差を見せつけられて、打ちのめされた気分で帰ってくることが多い。今回もそうだった。東京都写真美術館の「ストリート・ライフ」。サブタイトルが「ヨーロッパを見つめた7人の写真家たち」で、町と人間を撮ったものばかり。わたしの好きな写真である。
◆恐れ入りやの鬼子母神

 しかし、7人の写真家のうち知っていたのは,ウジェーヌ・アジェ(1857-1927)、ブラッサイ(1899-1984),アウグスト・ザンダー(1876-1964)の3人だけ。イギリスの3人、トーマス・アナン(1829-1887)、ジョン・トムソン(1837-1921)、ビル・ブラント(1904-1983)とドイツのハインリッヒ・ツィレ(1858-1929)は,全く知らなかった。
 ストレートに衝撃を受けたのは、アナンだった。1860年代の終わり、グラスゴー市の依頼で、再開発で取り壊される建物群を記録するために、そこにいる人間と一緒に撮っている。湿板の技術の真ん真ん中である。日本でいえば坂本龍馬を撮ったのと同じ技術と思っていい。露光に数秒間かかったから、人間の多くは動いてしまっているのだが、驚いたのはピントだ。
 路地の奥をのぞきこんだり,大通りをはるかに見通すような絵柄が多いのだが、手前の建物からはるか彼方まで、ぴっちりとピントが合っている。長時間動かなかった人間もちゃんと写っている。しかも薄暗い光線のものまである。いったいこれはどういう技なのか。今の大判で「撮れるか?」と聞かれても、「ごめんなさい」というしかない。(アナンが撮ったグラスゴー市内)
 フェリーチェ・ベアトが撮った箱根の宿場の写真を思い出す(右)。あれもピントは手前から向こうの山まできていた。真っ昼間だし、あおりでなんとかなったのかもしれない。しかし、アナンのは、建物のカベが両脇に迫っているのだから、あおっていればかならずボケがどこかに出るはずだが、それが全くない。 学芸員の方に、「この写真、いま撮れといわれても撮れませんよ」といったのだが、「乳剤が厚いからじゃないですか」なんていう。当時のレンズにはまだ収差がたっぷり。それでなくても大判レンズは、多少絞り込んでも被写界深度は深くはならない。まして感度の低い湿板である。絞ればそれだけ露光時間が長くなるから、今度は人間が困る。しかし、それらはほどほどに写っているのである。
◆感度も大いなるナゾ

 乾板で撮ったアジェになると、絞り込みもできただろうが、それでもものによってはボケが出ている。「そう、それが当たり前なんだよ」とホッとしたりするが、大方は町の全景でちゃんとピントがきているのだから、やっぱり技を感じてしまう。(写真左は相当に絞り込んでいる。人がいないのではなく、長時間露光で写っていない。右は珍しく人を撮ったもの。ボケがある)
 トムソンのプリントはウッドベリータイプという,一種の印刷だった。1900年頃までは、これが出版物の画像印刷の主流だった。しかし、元は湿板写真だから、じっくりピントを合わせて長時間露光という撮影上の制約は全く同じである。並んでいた印画はキャビネ判より小さいが、「撮影原版はもっと大きかったのではないか」(東写美)という。
 トムソンはこれでロンドンの下町の市民生活をストレートに撮って,「Street Life in London」という写真集にしている。これがまたすごい。町も写っているが中心は人物で,いずれも撮影を意識してポーズをとっているのだが、日本の幕末の写真と違って、みな実にリラックスした感じ。中には動いちゃった人もいて、これも自然だ。ピントも申し分ない。(右の赤い写真がトムソン)
 中に1枚、犬が写っているものがあった。湿板のナゾのひとつである。顔は少し動いているものの身体はちゃんと止まっている。犬が5秒も6秒もじっとしているはずはないから、露光時間はそう長いとは思えない。湿板の最後の頃は、実質かなり高い感度だったと推測できるのは、動物や子どもがちゃんと写っているからだ。乾板とそう変わらなかったと推測する人もいる。
 だが、これは誰でもできたわけではなかった。写真師個々の「秘伝」だったに違いない。乾板の登場が革命的であったのは,感度が少なくとも20倍にはなっていたからで,それら「秘伝」はことごとくくずかごに放り込まれてしまったのである。だから、湿板での高感度あるいは増感現像に類する記録というのは見たことがない。しかし、犬や馬は現に写っている。
◆甦る湿板写真
 思い出すのは「不思議の国のアリス」のルイス・キャロルだ。彼は乾板になったとたんに、写真撮影そのものをやめてしまった。が、その後の彼の詩の中に湿板の薬品の名前をずらりと並べたものがあった。「乾板の時代になぜ? ごまめの歯ぎしりか」といぶかったものだが、ひょっとして「秘伝」だったのかなとも思う。

 そのときはもう乾板の時代だから、詩を読んでもだれも試してみる気にはならなかっただろうが、あえて古い薬品の名前を並べてみせたのには,理由がありそうだ。彼が写真をやめた理由を推測したことがある(「ルイス・キャロル探索」参照)が、それとは別に、湿板のワザも誇りたかったのではないか。
 彼の写真が,乾板に匹敵する高いレベルにあったのは間違いない。とくに、アリスのモデルだったアリス・リデルの姉妹たちには、長時間露光では難しいデリケートなポーズがある(左)。しかし、誰も動いていない。犬や馬と同じだ。露光時間が短かったのではないか。だれか,詩の通りに再現でもしてみたら面白いかもしれない。
 その湿板がいま、アメリカで甦りつつあると聞いた。昨年秋にあった大判グループの写真展で、そのサンプルがあった。プリントもあったが、なかにガラス板がそのままぶら下げてあったのには驚いた。後ろに黒い紙や布を置くと、ネガがポジになって見えるーーアンブロタイプそのものだ。
 古い乾板でのいたずらはずいぶんやったが、期限切れ80年なんていうと、やっぱりいい結果はなかなか出ない。しかし、こちらは間違いなく上野彦馬の時代のワザである。なにやらキツネにつままれたような気分になった。手がけたのは、六本木のラボ「田村写真」の田村政実さんらで、聞けば、ややこしいコロジオンの薬品がキットになっていて、ネットの通信販売で手に入るのだという。
南北戦争がはじまり
 アメリカには以前から、湿板カメラを作っている人がいた。湿板写真の愛好会もいろいろあって、昔ながらの処方で撮った作品がネットに載ってもいる。ただその中身となると、南北戦争の激戦地など歴史的な場所で、わざわざ当時の軍服を着込んだりして、これを湿板で撮るという、手の混んだ再現ものが多かった。
 「なんとまあ、ご苦労さまなことを」と見ていたのだが、最近さらに愛好者が増えているらしい。田村さんによると、この3年くらいのことで、薬品のキットの出現がバネになっているという。しかし田村さんは、それだけではないという。
 先のコダックの破綻では、まだしばらくフィルムの生産だけは続くことになったものの、工業製品としてはもはや先が見えた。といって、乾板の復活はありえない。これだって工業製品なのだから。では、デジタルの大判が安い値段でできるかというと、その可能性もない。(「出よ!デジタルのダゲール」参照)
 となると、ひとりで好き勝手に整えることができる大判の感剤は、湿板しか残らない。コダックがつぶれようが、フジが撤退しようが関係ない。むしろ、新しい写真感剤として注目されてきているのだと、田村さんは見る。「団塊の世代がヒマになっているし‥‥」。確かにアメリカにも団塊の世代はある。時間のある年寄りには格好のお遊びだ。若者だって、デジタルの便利は面白くない、というへそ曲がりはいるだろう。
 現に最近のネットを見ると、南北戦争から肖像、ヌード、風景写真、湿板の不完全を逆手にとった芸術志向など、内容がバラエティーに富んできた。グループも大学にまで広がっている。数は決して多くないにしても、「アメリカはやっぱり奥が深いなぁ」とあらためて思う。
◆湿板の泣き所
 そのコロジオンのキットを見せてもらった。作っているのは「Bostick & Sullivan」という Santa Feの会社らしい。A液とB液の2液あって(写真の左の2本)、混ぜ合わせてしばらく置くとコロジオンになる。右の赤い液がそれで、はじめは薄い黄色がだんだん濃くなって、やがてダメになるのだそうだ。後ろに見えるのが現像液で、ここまでがキットになっている。
 コロジオンの本来の処方はかなり複雑で、ブロマイド、カドミウム、ヨウ化カリウムヨウ化銀、臭化銀だなんだかんだ、相当な数になる。なかにはほんの少量しか使わないものもあるから、これらが調合されて2液になっていれば、たしかに便利だ。湿板がぐっと身近になる。
 おまけに立派な指導書がいくつもあって、けっこう高いらしいが、購入者は著者に質問することができて、技術的な細部を教えてもらえるのだという。また、ネットでも動画のYouTubeで実際を見せるものがある。動く絵だとさらにわかりやすい。
 現像液はキットの他に日本で調達できるものがあり、強い現像で肉厚にすればプリントに、薄くすればアンブロタイプになる。定着液は普通のハイポだが、湿板は銀の量が多いので、早くダメになるそうだ。写真は、田村さんがキットを使って撮った最初の1枚だ。アンブロタイプではなくプリント。ちょっとムラがあるが、初めてにしては見事。おまけに、感度はISO 6 くらい。現像で10くらいは出せるという。それなら初期の乾板と大差ない。「進歩したコロジオンです」という。
 湿板の泣き所は、現代では持ち歩きが難しいことだ。カメラのすぐ脇で湿板を整え、撮影してただちに現像しないといけないのだから、どうしたって暗室から離れられない。昔の人は、暗室用の簡易テントを持ち歩いて撮っていたのだが、いまテントなんかない。
 マシュー・ブレイディーは、馬車を仕立てて北軍に従軍し、6000枚もの湿板を残している。写真師は他にも大勢いたし、南軍の側にもいた。それらの膨大な記録が、「南北戦争=湿板写真」という、アメリカ人の意識のもとになった。前述の「再現派」は、先祖が北であれ南であれ、わざわざ湿板を撮ることで、アメリカ人を体感していたのであろう。
◆やっぱりアメリカ人
 感心するのは、彼らがいずれもフィールドに出て撮っていることである。何らかの形で面倒な「暗室」を持ち歩いている。まあ車社会だから、みんなで連れ立って“関ヶ原”へ乗り込んで、昔の格好をしてお祭り気分で記念写真を撮る。暗室は車で‥‥といったところだろう。
 なかには、昔ながらの幌馬車を仕立てて、自分も昔の格好をして写ったりしてるヤツもいるからややこしい。古い写真かと思ったら、「©2005」なんて書いてあったり。それでも、薬品処理だけはやらないといけない。新しいコロジオンのキットが大活躍していることだろう。南北戦争以外でも、海岸や町の中にまでフィールドが広がっている。まさにアメリカ人のエネルギーだ。
 あらためて、それら「湿板写真」のサイトを見ていたら、南北戦争の中からすばらしい「本物」が見つかった。ブレイディーが、戦闘で落ちてしまった鉄橋の対岸にいる南軍の兵士たちを撮ったものだ。見事な望遠撮影である。
 説明によると、フレデリックスバーグの激戦(1862年12月)で、大敗した北軍が負傷者を収容するために申し入れた停戦の間に撮ったものだ。どうやって意思を伝えたのか、南軍の兵士たちは、明らかにブレイディーのカメラに向かってポーズをとっている(あらかた動いてしまっているが‥‥)。左の建物の窓からは、大砲がのぞいている。ピントのすごさ。完璧な構図。
 むろん湿板だから、ブレイディーが暗室のテントで湿板を用意する間、兵士たちはじっと待っていたに違いない。そしてブレイディーの合図にキッと身構えるーーなんと奇妙な光景だったことか。そうした状況を別としても、この写りの凄さはどうだ。「いま撮れるか?」といわれても、「参った」というしかない。
                       ◇ 
 ダゲレオタイプや湿板写真のピントのよさについて、田村さんが面白いことをいっていた。赤い光に感光しないから、収差の大きい赤のズレがカットされ、シャープで抜けがよくなるのだと。補正の行き届いた現代のレンズで湿板を撮ると、かえって絵が汚くなるので、アメリカでいま湿板を主導している人たちは、わざわざ古いレンズで撮る人が多いのだそうだ。
 レンズの不備を、感剤が補っていたとはーーそんなこと考えても見なかった。ひとつ試してみるか。なにしろ、古いがらくたレンズは売るほどあるんだから‥‥。  

驚異のスキャナおじさん

 何よりも、本気度がすごかった。横浜の中区民センターの一室。テーブルにずらりと並んだA3,A4のモノクロ・プリントは、全部スキャナカメラの撮影だ。しかも部分伸ばしもあって、スキャナで問題になるシマ模様も拡大してある。撮影レンズもカメラもスキャナもパソコンも、バッテリーまでが並んでいた。私も含めて、のぞきに行った5人は圧倒された。(写真下)


◆年寄りあなどるべからず
 先に六本木でやったスキャナカメラのワークショップは、主に大判族とデジタルに強い連中に呼びかけたのだったが、集まった中に筋金入りのお年寄りがいた。横浜在住の堀江忠男さん。76歳。バリバリの大判現役である。むろん、フィルムカメラの方だ。
 この時の話は、レンズからの光をスキャナで直接つかまえようというものだったが、堀江さんが同行の年配の御仁と話している中身は,少し違ったらしい。聞きつけた友人が解説してあげたと、あとで聞いた。「だけど、わかったかなぁ」と,そんな話だった。
 ところが日を置かずして、「スキャナカメラに取り組んでいます」というメールが届いた。ワークショップでのデータをもとに、スキャナも手に入れて、試行錯誤しているという。私も自分ではやっていないから、技術的な細部はわからない。そこで先行している連中にメールの内容を伝えたのだが、「意味がよく分からない」ということだった。
 と、さらに郵便が届いて、堂々たるモノクロ・プリントが出てきた。もともと風景写真の人なので、箱根やら何やらを車で撮り回った結果だった。わざわざカメラも手に入れて、システムを作り上げたということだった。びっくりして、その画像をデジタル化してまた仲間にメールで知らせたのだが、どういうワザなのかがよくわからないという。そこで、一度見せて下さいとお願いした。
 横浜での会合は,その答えだった。堀江さんの大判仲間に結果を見せるというので、その場へ仲間を誘ってお邪魔したのである。「横浜は久しぶりだから,中華でも」なんて気分で出かけたのだったが、あいにくの寒さと雨まで降り出して、そちらの方はお預けになった。しかし、スキャナカメラの方は驚くような発見がいっぱい。とてもお年寄りのお遊びではなかった。
◆発想が全然違っていた
 友人たちが、堀江さんのいう内容を理解できなかったのは,無理もなかった。発想が全然違ったのである。(スキャナ部分の違い。上のガラス部分に樹脂を貼付けたのが下、カバーがついている)
 これまでこのブログでお伝えした方式は、スキャナの受光部分からLEDライトと集光レンズを取り除いて、残った受光素子(キヤノンはCIS。以前CCDと書いたのは誤り)で、レンズからの光を直接読み取る、というものだった。CISの位置をピントグラスの位置に合わせて、ピントを出すのである。(「デジタルのダゲール」「好きこそものの上手なれ」参照)

 対して堀江さんの試みは、LEDは取り外すが集光レンズはそのまま。スキャナのガラス面にスリガラス効果のある樹脂を貼付けて、そこに結像した絵を,反射原稿を読み込む要領でスキャンするというものだった。ピントグラスをそのまま読むのと同じである。
 私もこれを考えたことがあった。その方が、スキャナ本来の操作に近いからだ。ただ、LEDの反射光に較べるとピント面の光量はあまりに暗い。またスキャナは,スリガラスの微細な凹凸くらいは読む能力があるから、おそろしく程度の悪い絵になるのではないか。友人にも笑われて、なんとなく納得していたのだった。
 あとで聞いたのだが、ワークショップにきた人の中にも、同じ考えの人がいた。会場でさまざまに意見が出る中で、具体的な手だてを語ってもいたという。堀江さんはそれらを全部聞いて帰って、方式を選んだらしい。
 プリントを見ると、とんでもなくシャープで、そのまま作品になるようなものが何枚もあった。テーブルには、レンズによる違いを見せるために、同じ絵柄が何枚も並んでいた。元のスキャナ画面はキャビネ判(カメラがキャビネ)で、レンズはいずれも4x5,5x7用のフジノン、フジナー、ラプター、イマゴン、おまけが100円で買ってきたというプラスチックの老眼鏡レンズを丸く削ったものである。(写真は船の全景と部分の拡大。レンズはウォーレンサック・ラプター241/4.5。シマ模様がみえる)
◆結果をめぐって侃々諤々
 プリントの前に使用レンズの現物が置いてあったから、結果は一目瞭然だった。フジノンなどのまともなレンズよりも、イマゴンや老眼鏡の方が、はるかにぴりっとしている。しかも、高級レンズだと、フラットな部分にきれいなシマ模様が出ている。逆に、ボケレンズの方ではシマが目立たない。「これはいったい何なんだ」と,侃々諤々である。
 1人が、レンズの解像力とスキャナの解像力(dpi)による干渉縞(モワレ)ではないか、という。理由は、縞がきわめて規則的に並んでいること。前回のワークショップで出た不規則なシマ模様とは明らかに違う。彼が以前関わったレーザープリンタでも、同じようなモワレが出たことがあった。が、波長をずらすことで、それは解消したという。
 つまり、シマは、スキャナの解像力とレンズの解像力の波長が合ってしまった結果で,どちらかをずらせば出ないのではないか。イマゴンや老眼鏡は質の悪いレンズだから出ないのかもしれない,というのだった。なるほど、といったところで、そんなややこしい光学知識のある者はいない。
 次に、スリガラスの役をしている樹脂のシートがある。堀江さんは「顕微鏡で見ると、規則的に山が刻まれていた」という。となると、これもまた波長が関わってくるかもしれない。シートは本来何に使うのかわからない不思議なもので,文房具屋で見つけたのだそうだ。
 見たところは、スリガラスよりは効果がいいらしい。ノギスで測ってみると厚さは0.07mm。これくらいならスキャナにとっては誤差の範囲内であろう。反射原稿が多少ガラス面から浮いていても,スキャナは苦もなく読み取ってしまう。それよりも、機械で刻んだという山の規則性の方が問題になるかもしれない。

◆不純な動機にぴったり?
 それから、プリントの周辺の光量が落ちる、というのもあった。はじめ「レンズが開放だからかな」と思ったのだが、考えてみれば当たり前で、ピントグラスの見え方はもともと周辺が暗い。それを直接読むのだからと、これは理由がわかった。読み込んだ結果はデジタルデータだから、あとでデジタルで焼き込みをすれば、かなりの調整はできるだろう。
 それよりも、ちゃんとしたレンズよりも単玉レンズの方がシャキッとした絵になるというのが気に入った。わたしが持っているレンズの大半が、この手のいかがわしいレンズだからだ。湿板時代のフランス・レンズとか、乾板初期のアンソニーとかランカスターとか。これらは絞り込みで収差をごまかしているのだが、ピントそのものが悪いわけでもなく、開けっぴろげにしたらソフト効果も出る。新しい遊びのタネになるかも知れない。(右の2枚はイマゴン350mm,絞り値は不明)
 そのイマゴンの絵は,近接撮影の被写体が中心にドンとあって、アナあきフィルターを使っているというのに、十分にシャープ。周辺部の光量落ちはさほどではなく、よく見ると周辺にシマ模様はあるが、あまり気にならない。老眼鏡レンズは、さすがに周辺のボケや光量落ちはひどいが、ピントが合ったところは驚くほどシャープだ。(冒頭2枚目の写真)
 どうせ大判写真は、どこか一点だけピントが来ていればいいようなものだ。全部をシャキッとさせようとするから苦労するのである。シャキッと写真ではもうデジカメにだって敵わないのだから、もやもや画像専用だと腹をくくった方が気が楽になる。その方なら、デジカメにだって勝てるかもしれない。
 スキャナカメラの想定自体が,フィルムが終わっちゃったときのお遊びである。わざわざでっかい機材をかついで歩き回る以上、小型カメラでは撮れないものをつかまえないとつまらない。「スッキリ、シャッキリよさらば」と、これを合い言葉にするのも悪くない。二束三文のがらくたレンズが蘇るのなら、万々歳ではないか。もともと動機は不純なのだ。
◆なぜいいのかがわかった
 レンズ遊びの要諦は「あるもので写るがままに撮る」,これに尽きる。有名レンズを手に入れた、さあ何を撮ろうか,ではいけない。手元にあるレンズの写りを飲み込んで、「うん、これならアレにちょうどいい」,あるいは「あの被写体を、こいつ風に撮ってやろう」というのが王道であろう。
 単玉レンズが思わぬ特性を示すのなら、新しい発見である。フィルムの代わりを求めて、出てきたものが全く別ものであったとしても,それはそれでよし。別にテストチャートを撮るわけじゃない。ゾナーやズミクロンには敵わなくても、逆にタンバールやニコペル以上の面白い絵が撮れるかもしれない。それもデジタルで,だ。それだけでもワクワクするではないか。(上もイマゴン350mmだが、絞り込んで撮ったという。オリジナルは寝ぼけていたが、photoshopで整えたら不思議な絵になった。シマ模様も細かく、よく見ないとわからない)
 堀江さんのスキャナユニットは、樹脂のシートを貼付けて密封したような案配だった。内部は別のユニットで見たが、受光アームが光に反射してフレアが出るので、金属部分に丁寧な黒塗りをほどこしたということだった。それ以外は手を加えていない。ユニット自体は、100円で買ってきたという幅広のゴムバンドでカメラにくくりつけてあった。これもまたいい。(下は堀江さんのメモ)
 ただ、わからないのが、なぜ単玉の方がすっきりした絵になるかだ。ピントグラスの上だって、ボケレンズはボケのはず。データを何度も送っていただいているうちに,ようやくひとつわかった。堀江さんは,テストとは言いながら、出来上がった「作品」を見せていたのだった。
 われわれは、スキャナの能力、つまりスキャナが取り込んだナマのデータを見たかったのだったが、堀江さんはそれをトリミングして悪い部分を切り落とし、フォトショップで整えた結果を出していたのである。
 とくにイマゴンの絵はいずれも、周辺光量の落ちた部分を切り落としてあった。いわば、真ん中だけを見せていたのだから、そりゃあいいわけである。よく見ると周辺部にはシマ模様がはっきりと出ている。その先にもあったのだろうが、光量落ちの暗の中に消えていた? まあ、そんなところだろう。
◆見倣うべし、あるがままの勝負
 とはいえ、高級レンズがはっきりせず、ソフトレンズがくっきりというのは、やはり腑に落ちない。イマゴンだけ被写体があまりにも違うので、比較ができない,といっていたら送ってきたのが上の写真である。これではっきりしたのは、高級レンズの方が光量落ちも少なく、ほどほどに光が行き届いているということ。絞り込んだら、シャキッとするのだろうか。
 堀江さんは,自宅でカラーの伸ばしまでやっている人だから、視線の先には常に写真展がある。今回のデジタルでも,テストで得られたおぼつかない絵をトリミングして、フォトショップして、なんとか形にという意気込みがすごい。シマ模様もなんのその、出てきた画像でただちに勝負という精神には脱帽だ。理屈をこねてばかりのわれわれは、痛いところを突かれた思いである。
 堀江さんの探索はなお続く。5月に予定している大判仲間の写真展に、結果を出すと張り切っている。きっといい結果を出してくれるだろう。
              ◇
 ここでひとつお断りしておかないといけない。お伝えしているスキャナカメラはいずれも、キヤノンのCIS方式の薄型スキャナを使った試みである。薄型だから、大判カメラへの取り付けも簡単で、CISセンサーもA4判の短辺いっぱいの長さがあるから、イギリス判の全倍までそのまま読み込める(長辺は8X10より長い)。
 対してCCD方式のスキャナは,ミラーに反射させて集光するので本体が分厚く、CCDの長さも3.6~3.9センチくらいしかない。CCDは高画質が得られるから、これで素晴らしい結果を出している方もいるのだが,この場合はCCDをスキャナから取り外し、カメラに取り付ける箱から駆動装置までを自作しないといけない。大変な技術だし、CCDが短いから読みとれる大きさも中判止まりになる。
 わたしの仲間たちはみな前者の方である。スキャナの仕組みはそのままに、大判の絵をそのまま読み込む,いわばお手軽方式だ。うまく写れば儲け物と、まあそんな程度の遊びである。ただこれでも、レンズから直接読み込むと相当な絵が撮れることは確かだ。大判族なら、多少の大工仕事は出来るから、まあひとつどうですかと、そんなつもりである。
 考えてみればこんなもの、メーカーが作る気になれば、あっという間に形になるだろう。CCDを使ったキットだって楽々のはずだ。ただ、売れるかどうかとなると、メーカーはまず手を出すまい。だから、メーカーの技術者が趣味の日曜大工で作ってくれるくらいしか、可能性はない。だれかいないだろうか。大判写真の好きなスキャナ技術者は‥‥。

大判カメラのへそ

 スキャナカメラのワークショップは実に面白かった。なかでも愉快だったのはレンズのとっかえひっかえである。バックがデジタルだから、撮影結果はリアルタイムでスクリーンに出る。ひょいとレンズを取り替えては、また1枚。はい、次のレンズはこれこれと、小1時間の間に、2台のカメラで計7本ものレンズを試した。フィルム撮影では考えられない展開だ。(左はデジカメ作戦の図)
 しかも6本は1台のカメラでこなした。むろん例のユニバーサルマウントがあったからだが、それを可能にしたのはレンズボードである。大判カメラの醍醐味のひとつは、どんなレンズでも装着可能(イメージサークルの大小はあるが)なことだ。カギを握るのがレンズボード。今回つくづく、「ボードは大判カメラのへそだなぁ」と思ったのだった。
◆4x4インチがカギだった
 現代の大判レンズボードのスタンダードは、ジナーとリンホフだ。フィールドカメラもほとんどがどちらかで作っている。ジナーにはリンホフ・ボードをそのまま付けられるアダプターボードがあるから、レンズをリンホフ・ボードに付けておけば、なんでもいけてしまう。つまり、ボードで悩む必要がない。

 ところが、わたしのようにいかがわしい古物カメラで撮ろうとすると、これが最大の障害になってしまう。古いカメラ、とくにイギリスもの、フランスものとなると、カメラごとにばらばらでスタンダードというものがない。だからいちいちボードを作らないといけない。木工は簡単だとはいえ面倒なものだ。
 この点でもアメリカはたいしたものである。20世紀初頭のプリモ・タイプあたりはばらばらだったのが、その後、3.5、4、4.5、6、8インチと曲がりなりにも規格ができる。親亀子亀式のアダプター・ボードもある。アメリカ人はけちなのか、使い古しでもマーケットに出るから、あらかじめ買っておくと必ず役に立つ。(右は、5番シャッターとユニバーサルマウントの組み合わせ。これであらかたのレンズはついてしまう)
 ワークショップで使ったカメラのひとつはジナーだったから、これは問題なし。懸念はもうひとつの日本製フィールドカメラだった。日本の暗箱はイギリスもののコピーだから、カメラごとに異なる。聞いてみると、「10cm x 11cm」だという。「だからイギリスはダメなんだよ」
 しかし、10cmはほぼ4インチか。4インチ角のボードなら売るほどあるし、足らない1cm部分はパーマセルでふさいでしまえばいい。4インチは厳密には10cmより長いのだが、木製ボードはもともといい加減だ。現に測ってみると10cm前後で、ばらつきがある。まあ何とかいけるだろうと踏んだ。
 4インチ角ボードでは、ユニバーサル・ホルダーでレンズの付け替えシステムもつくっていたから、はまりさえすれば文句ない。そして当日のぶっつけ本番。まず、ハイパーゴンがついている4インチボードをあてがってみると、これが入らない。わずかにボードが大きい。ムさんは即座にパーマセルで貼付けて撮影にかかった。
◆はまればこっちのもの
ハイパーゴンはレンズが軽いからこれでよかったが、問題はもうひとつの方だ。ILEXの5番シャッターにユニバーサルマウントがついているから、かなりの重量がある。正直恐る恐るだったが、幸いなことにぴったりとはまった。はまってしまえばこっちのものだ。足らない部分をパーマセルで補強してしまえば、何でも来いである。
  この5番シャッターは、現行の一番大きなコパル(コンパーも同じ)3番よりさらに大きい。古いものだからシャッターの機能はおぼつかないが、大きなレンズが付けられるから便利だ。一番大きいヘリアー300/4.5は、ちょっと無理をしてシャッターに直接付けられるように作ってある。また小さなレンズ用には、中型のユニバーサルマウントがつけられる。
 かくて、もっていった5本のレンズはこれで済んだ。もう1本の巨大レンズSIGMARは、ジナーボード用に作ってあった。座金はボードよりはるかに大きいのだが、後玉の径は何とかいける。そこで、後玉の抑えのリングをボードに造りつけてしまったのである。これでSさんが撮った写真は前回ご覧いただいた通り、素直ないいレンズである。
 Sさんはまた、ジナーにユニバーサルマウントを用意していたほか、リンホフ・アダプターも用意して万能だったのだが、参加者はだれもレンズを持ってこず、空振りに終わったのはちょっと残念だった。みんな半信半疑だったのだろう。
 それはともかく、あらためてレンズボードの規格の意味を実感した。4x4インチは木製ボードでは一番小さい。これ以下はスピグラ用で、径の小さいシャッター付きレンズを想定している。しかし5番シャッターは本来6x6インチボード用だから、4インチはまさにぎりぎり。座金がはみ出してしまうので、セットするにはちょっと苦労した。
 また、ディアドルフ5x7用の4.5インチ角だと楽々なので、それぞれボードをこのユニット用に細工して、つまりアメリカ規格のカメラなら何でもいけるように作ったのである。まさに規格のお陰、アメリカの合理主義バンザイである。(アイレックス5番シャッターと6、4.5、4インチボード、どれにもつくが、4インチはぎりぎりだ)
◆ユニバーサルを逃すな
 しかし、大判カメラの主流がプロ用のリンホフやジナーに移ってしまうと、ボードの規格もそちらになってしまう。いま作られている大判カメラは、アメリカ製でも日本製でも大方どちらかである。レンズ自体も高性能で小さなものになったから、それで十分なわけだ。
 そんな新たな合理主義のもとでも、レンズのマウントの手間だけは昔と変わらない。いやむしろ、ボードが金属だから、規格外のバレルレンズとなるとノコギリとキリと木ネジでというわけにはいかなくなった。そこで注目されるのが、今回も使ったユニバーサル・マウントだ。

 これは、レンズの絞りと同様の羽根を頑丈に作って、レンズのスクリューマウント部分をくわえこむ仕組みである。くわえこみの深さはほんのコンマ何㍉に過ぎないから、ちょっと緩んだらボロリで怖いのだが、ストッパーがしっかりしていれば、ウソみたいにがっちりと止まる。
 レンズのマウントには、昔の人も大いに苦労したのだろう。2、3本の付け替えなら木製ボードでいいが、レンズにうるさい、つまり付け替えの需要が多いと、何とか便利なものはないかと思うのは当然だ。どうやら考え出したのはドイツ人のようで、レンズの国の国民性の産物らしい。(ユニバーサル・マウント。2つはシャッターがついている。あと2つあるのだが、目下行方不明)
 大方アルミだが造りは入念だ。鋼鉄の絞り羽根をしっかりと締めて、さらにストッパーがある。ご丁寧にシャッターがついたものまである。バルブかインスタントしか切れないのだが、エアバルブで作動するのだから古いものに違いない。いずれにしても、バレルレンズ全盛期のレンズグルメの必需品だった。
 ただ、そこまでして遊んだ人間が多くなかったのか、あるいは息子や孫が「何だこれ?」と捨てちゃったのか、マーケットにもあまり出ない。私も7個くらい持っていたが、eBayで見つけては片っ端から落とした結果で、10年くらいをかけてもそんな数でしかない。いまでは滅多に見かけなくなった。だから、見つけたら絶対に見過ごしてはいけないアイでムである。
◆親亀子亀の知恵
 今回は4インチボードが主役になったが、古物カメラではどのサイズが有用かとなると、なかなかに難しいものである。大きければ大きいレンズが付けられるのは当然だが、持ち歩きがかさばる。また巨大レンズは本来フィールドへは出ないものだ。ニコペルで風景を撮ってもはじまらない。
 小さなボードを大きなボードに取り付ける親亀子亀アダプターも便利なものである。現代ではリンホフー→ジナーが標準だが、木製となると、まあ千差万別だ。スピグラ→4インチ(以下同じ)、4→6、4.5→6、6→8……。むろん、2つを重ねることだってできる。
 メーカーが用意したものもあるが、大方は手持ちのカメラの使い勝手から、自分でコツコツと手作りしたものだ。100%アメリカ人である。規格というものがあるから、これが可能になる。アメリカが大判王国になった理由のひとつだ。フィルムバックやボードの規格が、いかに有用だったか。私が気ままにレンズ遊びできるのも、このお陰である。
 小さいボードはレンズの大きさが限られるが、親亀子亀でいくと、小さいものを活用するのがやはり合理的だ。で、手元にあるもので見るかぎり、中心は4インチである。前述のイギリスタイプのフィールドカメラも、一辺が約10cmだったから万能つけかえが可能になった。しかし、10cmより小さいと、話は面倒になる。
 イギリス人は、カメラができる早々から持ち歩きを考えた。木製の箱を蝶番で折り畳む。次に蛇腹を考え出す。しかし何といってもS・D・マッケランが工夫したフィールドカメラが、暗箱デザインの最高傑作である。イギリスのメーカーはもちろん、アメリカではディアドルフ、ウィズナー、日本ではタチハラ、ナガオカがこのタイプ。つまり120年以上も通用している。これはすごい。
◆イギリスタイプの限界
 唯一の欠点は、蛇腹の構造上レンズボードを大きくできないことだ。ワークショップで使ったのは英のフルサイズだが、それでも4x4インチがギリギリ。キャビネ判になるともっと小さい上に、規格という概念がないから、カメラごとに形もまちまちである。
 このタイプで唯一、ボードを大きく作ったのはディアドルフで、8x10で6インチ、11x14は8インチである。巨大レンズ志向のアメリカのスタジオカメラの規格そのままに作ったわけだ。しかし、フィールドカメラのボードが大きいと、蛇腹の先細りが浅くなって折りたたみが難しくなる。ディアドルフの蛇腹の折り方が古風で無骨なのは、多分そのためだ。これはこれでたいした知恵である。
 タチハラやガンドルフィでジナーボードのものがあるが、この辺りが構造的にも限界であろう。実質はスタジオカメラに近く、重量も相当なものになる。ひょいひょいと持ち歩けるのは「ポパイ」のアメリカ人くらいのものだ。日本人にはやはり、ボードの小さい伝統的なイギリスタイプが合っている。
 要するに、小さなレンズで我慢すればいいのだが、ボードの形の違いをどうするか。わたしが2台のキャビネ型で使っているのが、共用の座金である(写真右上)。これに合う0番シャッターと1番シャッター用のリングを作って、付け替えるのである。これはなかなか便利なもので、19世紀のエアシャッターから現代のコパルまで何でもいける。ただ、バレルレンズだとやっぱり新しくボードを作らないといけない。
 同じイギリスカメラでも、テイルボード型はボードが大きい。わたしが愛用している広角専用カメラ(全倍)は、とりわけボードが大きいので、ボード自体で遊べる。左の写真で、小さなレンズがついているのがオリジナルで、下のボードは、4インチ用の親亀子亀だ。これに先のシステムを使えば、大方のレンズは取り付け可能である。左のカメラはガンドルフィの8x10で、4インチボードが共有だから、同じレンズがどちらにもつく。
◆大きいことはいいことだ
 このボードは他に、2種類のユニバーサル・マウント用も作ってある。普段は8x10バックで撮っているが、ボディーの開口部が大きいので、口径の大きいレンズも装着できる。オリジナルはいろいろ変わった造りで、レンズがイタリア製なので、ひょっとしてカメラもイタリアかもしれない。得体の知れない珍品だが、便利なボードのお陰で出番が多い。
 大判王国アメリカのボードの標準は、スタジオ・カメラで決まったらしい。コダックやアンスコ、バーク&ジェイムズ(B&J)の8x10はみな6インチ角である。B&Jは5x7まで6インチで、最後までこれで通した。つまり6インチ角なら、どのカメラにもついた。

 ところが、遅れてスタートしたディアドルフは、サイズは同じだったが、なぜか角を丸くして分厚く作った。ために、ディアドルフのボードはそれまでのカメラにはつけられない。ただ、木製ボードは角を簡単に削れるから、逆は可能であった。高級カメラとして、差別化を図ったのかもしれないが、両者の共存はざっと50年に及ぶのである。
 アメリカ人が6インチを必要としたのは、ポートレート撮影である。とくに20世紀初めのピクトリアリズムの頃は、ボシュロムやウォーレンサックの巨大レンズがもてはやされた。イギリス、ドイツでも作られたが、使ったのは主にアメリカ人だった。直径が10cmを超えると、どうしても6インチ以上が必要だ。(骨董ジャンボリーでの坂崎幸之助さんのお店。広角専用テイルボード8x10、メトロゴン210/6.3、TX)
 レンズがでかいから、普通のシャッターでは間に合わない。パッカードや観音開きなど、ボードにとりつける大きなシャッターが作られ、時代が下るとこれにシンクロがついたり、ユニバーサル・マウントとか面白い仕掛けもいろいろできる。多くがエアバルブで作動するから、いま使うと、あたかも昔の写真師になったような気分になれる。
 これらは全て、6インチないしは8インチだから可能になる。親亀子亀にしても、受け皿はでっかい方がいい。こうしたさまざまな小道具は昔の人の知恵の結晶だから、見ているだけでも楽しいものだ。こんな遊びは、小型カメラではできない。

好きこそものの上手なれ

 仲間内では「ムさん」で通っている。とにかく多才で、鉄道模型は家の中にジオラマまで作っているとか、工作は金属・木工・塗装・配電、何でもござれ。本物の鉄道も大好きで、廃線になると聞けばどこまででも乗りに行く。SLの撮影ではプロもはだしという話である。
 カメラにも目がない。クラシックから最新のデジカメまで手当り次第。とくにレンズにうるさくて、自分でアダプターを工夫しては、妙な組み合わせを楽しんでいる。最近は車にも凝っていて、クラシックのミニがお気に入りだ。唯一の抜け落ちが大判カメラだった。
◆どうした風の吹き回し
 そのムさんがなぜか突然、「大判カメラはないか」といい出した。前にここで紹介した「スキャナカメラ」に触発されたらしい。はじまりが「ノートパソコンが手に入ったから」だった。「ああ、カメラならいくらでもあるよ」なんていってるうちに、「仕組みを知りたい」というので、最初に工夫したSさんを紹介した。
 ともに理系なので話が早かったらしく、ムさんはたちまちヤフーでスキャナを手に入れたと思ったら、あろうことか段ボールでカメラを作ってしまい、大判レンズも調達してきて、あっという間に結果をブログに出した。ちゃんと写っている。たいしたものである。(写真は左が段ボールカメラ、スキャナは右のフィールドカメラ用に工作。割り箸みたいな木片は、ピントグラスを浮かせてピントを調節する道具。頭いい)

 本人は決して口にしないし、またそうは見えないのだが、本職はIT企業の技術者である。スキャナカメラの肝心の部分、パソコンによるコントロールと画像修正のソフトのあたりーーフィルムカメラから入る連中には、いちばん苦手の部分——が、彼にはお手のもの。これに木工、金工のワザが加わるから、鬼に金棒だ。

 しかし、ムさんはそこで止まらなかった。なおも「大判カメラが」といい続ける。「変なものを買っちゃだめよ」といってるうちに、中古カメラ市で安い大判を手に入れてしまう。普通はここで、レンズボードや座金の工作に時間をかけ、フィルムやホルダー探しになるところなのだが、彼は一直線に木工でスキャナを取り付けてしまう。レンズの取り付けも木工で片付け、およそ見たこともない大判カメラができあがった。
 そして結果はその日のうちに、ブログに載った。見ると、同じ絵柄で調子の違うものが乗っている。何かと思ったら、フィルターの有る無しの違いで、スキャナは紫外線も赤外線も感じてしまうのだとある。あらま、そんなこと考えもしなかった。いわれれば確かにその通り。デジカメにはみなついているが、手作りだと全部自分でやらないといけないわけだ。(フィルターの有無。上がなし)
◆段ボールカメラは幻に
 ムさんは35㍉判の大口径やソフトレンズを開放で撮るのが趣味で、レンズテストと称しては、もやもや画像をみせびらかす。やれズノーだタンバールだヘクトールだと、要するにレンズ自慢である。私はその都度、「大判なら二束三文のレンズで同じ絵が撮れるよ」なんて冷やかしていたものだ。
 大判のレンズ遊びをした方なら、意味はおわかりだろう。プラナーf1.2の値段で、大判なら上から下まで全部揃ってしまう。レンズだって、ダルメーヤーだのニコペルだのいう必要はない。古いラピッド・レクチリネア(RR)やペッツバールなら、それこそ選りどり見どり。安いレンズほどもやもやした面白い絵が撮れる。


 そんな風だから、大判でも当然そっちへ走ると思っていたのだが、全然違った。彼の関心は、もっぱらデジタルで画像をつかまえるメカニズムの方にあった。Sさんから仕入れたアイデアを、彼なりに再構築して、専用のガジェットを作ってしまったのだ。並の大判族と違って、フィルムで撮るなんてことは端から念頭にないのだった。
 それがわかったから、その試行錯誤の過程をこのブログに載せようと、「段ボールカメラを見せて」といったところ、なんと「邪魔だから捨てちゃった」とにべもない。なんたること。しかし実をいうと、デジタル・メカ音痴の当方にとって、こんなありがたい人はいない。
 ならばと、好き者を集めてその成果のほどを見せてもらおうと、Sさんにも声をかけて、ワークショップをやることになった。実物を見て、実際に撮影して、パソコン処理までを見ようというのだ。8月下旬の週末の午後、六本木のビルの一室に20人近くが集まった。
 機材のカメラは、Sさんが8x10、ムさんがイギリスのフルサイズ(キャビネの2倍)。スキャナはいずれも中古のCANON LiDE40(薄型A4)。ヤフーで1500円とか500円とかいう代物だという。レンズは、初期の単玉から、ソフトフォーカス、ポートレートなどいろいろ用意した。別にSさんが作った、コンパクト・デジカメの連続画像を合成する仕掛けもあった。

◆怪しいおじさん
 まずは、ムさんの段ボールカメラ武勇伝から始まった。もう捨てちゃったのだが、残っている記録写真が投影された。四角い箱である。ただ、ピントが合わせられるように、2つの箱が組み合わせてある。これにレンズがついていて、バックがスキャナ。ちょっと異様だが理にかなっている。要するに段ボールのダゲレオタイプである。
 スキャナ作りは「非常に簡単です」という。以前ここで紹介したように、フラットベッド・スキャナの受光部にあるレンズ、ライトチューブその他を外す作業だから、「30分でできました。2台目は20分」。またカメラ作りも1時間くらいだったそうだ。「すばらしい。オレは才能がある」なんてとぼけて見せる。
 で、室内で写ることを確認すると、すぐに外へ出て撮影にかかった。ところが、公園かどこかで撮っていたら、子どもが「お母ぁさーん、怪しいおじさんが‥‥」という騒ぎになりかけた。段ボールの箱にパソコンがつながっているだけでも十分に怪しい。「有名IT企業の社員がのぞき、なんてことになると‥‥」というので、早々に引き上げたらしい。彼がカメラを欲しいといったのは、このためだった。見ただけでカメラとわかれば、こうした問題は起らない。(右上:これでは確かに怪しい)
 で、手に入れたのがイギリスのフルサイズで、実はA4のスキャナにぴったりだった。戦前の日本の写真館の定番で、日本製も沢山ある。しかしいまはフィルムもないから、中古カメラ市でも二束三文である。これがスキャナで生き返るというわけだ。いい話ではないか。わたしも誤解していたのだが、スキャナの短辺は8x10より小さかった。ということは、むろん8x10でも大丈夫だ。
◆「5億画素も可能」にびっくり 
 さて実践である。参加者を撮影して画像をパソコンに取り込むのだが、パソコン画面をプロジェクターでスクリーンに投影したので、撮像アーム(CCD)が動くにつれて画面に現れる画像を、写されている側がスクリーンで見られる。ちょっと面白い光景になった。(動画)


 アームが動くのだから、ワンショットにだいたい8--10秒かかる。およそ坂本龍馬の時代と同じだが、みなスクリーンをじっと見たりしてけっこう動かない。たまに動いたりすると、何やら奇妙な姿になったりして、これもご愛嬌だが、とにかく絵が出てくる。ここまで写るとは思わなかったので、みんなびっくりだった。
 ここでSさんが、自分で計算したカメラの仕様を説明した(図参照)。これがまた、驚きだ。独自の計算とデジカメとの比較から割り出したISO感度は、モノクロだと3200、シャッター速度は250分の1秒。このあたり文系にはさっぱりわからないが、ムさんの計算ともだいたい一致していたという。また、スキャナのdpiの設定しだいでは、最高で5億画素超にもなるのだという。「エーッ!」である。
 Sさんは試行錯誤の過程でスキャナを10台ほど潰したと、積上げた残骸の写真をみせて大笑いだったが、機種選択のポイントは、電源をUSBでパソコンからとれるという点にあった。カメラとスキャナとパソコンだけで大荷物だ。ほかに、バッテリーまで持ち歩くのはちょっと、というのである。




 だから、電源の労をいとわなければ、もっと高性能のスキャナも可能になる。参加者から「エプソンならカラーも」という質問が出たが、まさにその通りで、現に5億画素を達成したという話が、ネットには出ているそうだ。同じことを考えている人は、日本でも世界でもいるようで、さまざまな試行結果がネットで見ることができる。(巻末のURL参照)
 カラー撮影は、この日は実践できなかった。3色のフィルターで撮った3枚の画像を合成する方法で、ムさんがやった結果が映し出されたが、見たところ自然なカラーが出ていた。ただ、フィルターの選び方、パソコンでの処理の仕方がまだ煮詰まっていないという話だった。
◆課題はゴーストの補正
 それよりも、レンズのとっかえひっかえが面白かった。さすがに、ハイパーゴンは室内では暗すぎたが、幻のピンカムスミスのボケレンズ、クーク、ヘリアーの他に、ダゲレオタイプか湿板時代の単玉レンズなど、それぞれに個性あふれる描写が、いとも簡単に目で見えるのである。しかもその場で拡大もできるのだから、いうことなし。デジタルバンザイだ。(使用レンズは上から、Congo 210/4.5、P&S Synthetic 8in. F5、Heliar 300/4.5、Cooke 7,5in./6.5、18世紀の単玉。撮影はムさん。トリミングしてphotoshopで調子を整えた)
 ボシュロムのSIGMAR 16in. という巨大ポートレート・レンズも使った。実は十数年ももっていながら一度も撮ったことがなく、前の晩までほこりだらけだったものだ。シャッターが壊れていたからだが、スキャナカメラにシャッターはいらない。これが初めて素直な柔らかい味をみせてくれた。できれば汚いおじさんたちではなく、きれいなオネーさんを撮ってみたいレンズだ。(ページトップの写真。撮影はSさん)
 こうして画像を並べてみるとすぐおわかりだろうが、全体に刷毛ではいたような筋が入っている。これをゴーストといっていいのかどうか。集光レンズをはずして受光素子をむき出しにしたために、おそらくCCDの粒子の配列のムラがそのまま出てしまうのだろう。参加者からは、「スキャナの性能だよ」という声もあった。
 また、同じCANON LiDE40なのに、ムさんのスキャナでは、画面左上に黒いかたまりが出るが、Sさんのは出ない。理由はよくわからないが、ムさんは、何かがガラスに反射しているのだろうという。これらをどう補正するかが、最後の課題だ。
 黒いかたまりは、とりあえずはトリミングしてしまえば済む。だが、全体の筋はなんとかしたい。ここから先はデジタル技術の世界になるが、実はすでに補正ソフトは実用化されている。写真の中の邪魔なものを消したり、別のものをもってきて合成したりというphotoshopの機能は、同じ技術なのだそうだ。
 この辺りはまだ、研究段階にある。Sさんもムさんも、安い中古スキャナを流用するという「正しい道」をたどっているから、当然ながら機材には限界がある。もし金に糸目をつけずに最新の機材でやれば、もっとすごい結果が出るのはわかったと、これが今のところの到達点というわけである。
◆デジタルのすごさを実感
 では、最新の機器を使ったらどうなるか。これを示したのが、コンパクト・デジカメの連写画像の合成である。Sさんが手作りした撮影装置は、20世紀初めのエンパイヤステート11x14という巨大カメラについていた。この日が初めてのお披露目だった。
 11x14はさすがに大きい。手作りバックにレールを取り付け、そこにレンズをはずしたソニーのNEX3をセットして、コマ送りよろしくパチパチと撮りながらデジカメを移動させていく。そしてレールをずらしてまた、繰り返す(撮影の実際は、「出よ!デジタルのダゲール」の動画参照)。



 この日は4x5のサイズを想定して、横に8コマを2列、計16コマ撮ったところで、終わってしまった。被写体が人間だったから、撮る方も撮られる方も根気の限界というわけである。CCDが小さいから、バイテンだと250コマくらいは撮らないといけないそうだ。それならいっそ、4x5カメラでやった方が、実用的かもしれない。それでも60コマらしいが。
 しかし、その結果にはびっくりだった。長い時間モデルになっていた2人は、多少は動いているはずなのに、合成画面では何の違和感もない。できれば、もう1列やってほしかったくらいだ。一部にゴーストが出ていたが、CCDも合成ソフトも最新だから、露出のムラもなければ、つなぎの不自然さもない。多分レンズの特性もちゃんと出ていただろう。(左が11x14巨大カメラ。バックのNEX3はCCDが見えているが、撮影ではもちろん向こうを向ける。結果はご覧の通り) 
 あらためて、デジタル技術のすごさを実感した。このCCDないしはCMOSが大きければいうことないのだが、なにしろ何百万円は間違いないのだから実用化は望み薄だ。となると、フィルムがなくなったとき、大判写真師の選択肢は2つしかない。スキャナカメラか、機材を売っぱらって足を洗うかだ。
 しかし、いまは頼りないスキャナだって、技術が新しくなれば、その都度より高画質でより安いものが生まれるだろう。望みはそこにある。つまりはカメラ・メーカーではなく、スキャナ・メーカーである。誰か1人くらい、気がつく技術者がいてもいいと思うんだが‥‥。
 面白いのはムさんだ。どうやら、大判でもレンズ病が出てしまったらしく、最近は「バレルレンズが‥‥」なんていい始めている。いい傾向だ。フィルム族がやや沈滞しているなか、スキャナだろうと不完全だろうと、撮り続けるのがなにより。暗箱カメラはいじってこそなんぼである。

【参考URL】

 http://gigazine.net/news/20090525_130m_scanner_digicam/

 http://www39.atwiki.jp/scannercamera/

 http://d.hatena.ne.jp/YAKU+yakuscam/ 

 http://elm-chan.org/works/lcam/report_j.html

雑巾がけは楽し

 前回の「芸術写真」で触れた「雑巾がけ」というヤツ。およそいまの写真とはほど遠い画像が、やっぱり気になる。芸術する気なんかさらさらないし、ピクトリアリズムといっても、せいぜいがソフトフォーカス・レンズの写りが気になる程度なのだが、自分の写真を思い返してみると、いたずらしてみたら面白いかな、と思うものはいくつもある。
 デジタル技術でも、わざわざ画像をくずしたりするものがあるというから、だれもが少しはそんな願望をもっているのだろう。邪道だなんだと、いいだしたらきりがないが、あれだけ「銀塩が」とわめいていた連中だって、知らん顔してphotoshopをいじり倒している。そもそも銀塩の焼き込みだって、似たようなものではないか。
◆ハードルがいろいろ
 ただ、「雑巾がけ」をやるには、まずは暗室作業が必要だし、絵の具の類いその他もろもろを取り揃えないといけない。だいいちツルツルのRCペーパーじゃ無理だろう‥‥なんていっていたら、六本木のラボ「田村写真」の田村政実さんから「いいペーパーが見つかりました。イルフォードです」という。しかもワークショップをやるというので、その気になった。(田村写真のワークショップ)
 ところがいくら探しても、お目当てのネガがみつからない。ネットのアルバムにモノは載っているのだが、ネガをどこへ置いたか。多分トランクルームの奥で下積みになっているのだろう。仕方なく手ぶらで「取材」にでかけた。集まったのは3人だったが、こんな遊びをやろうというんだから、みんなただ者じゃない。
 田村さんはこの技術を、東京都写真美術館の講習で会得してきたのだそうで、ワザとしてはそう複雑ではないらしい。ただ、始めるまでが大変だ。
 普通の人では自前のプリントというだけでもアウトである。田村写真はラボだからこれは問題ないが、もうバライタがないから、絵の具の乗りがいい印画紙を探さないといけない。田村さんも相当苦労したらしい。が、意外やイルフォードが妙なものを作っていた。絵の具や油は、油絵の道具そのものである。
 私がのぞいたときにはもう、プリントがあがっていた。3人それぞれに絵柄を選んで六つ切り、どれも静かな写真である。初めてなので無難なものを恐る恐るという感じだ。イルフォードの紙は、印画紙というより木炭デッサン紙みたいだ。こんな印画紙見たことがない。そのまま展覧会に並べても面白いかも知れない。
 さーてこれをどういじくりまわすのか、絵柄と作者のつもりとワザとでどんな結果が出るかわからない。こちらは見ているだけだが、なんとなくぞくぞくする。
◆雑巾がけの実際
 手順はシンプルだった。まず、汚れがはみ出さないようにマスキングテープで画面の周囲を区切る。ついでオイルを塗って絵の具の食いつきをよくしておいて、チューブから出した絵の具をコテやティシュー、脱脂綿などで画面全面に延ばしていく。塗りつぶされると画面が見えなくなるが大丈夫。油絵の具だから、ゴシゴシ拭き取るとまた画面が見えてくる。(左)
 面白いのは、絵の具の色を選べることで、田村さんがまず自分の写真に黒を使ったあと、茶の入った黒を出してくると、はっきりと違う。また、植物の葉っぱの部分に緑を乗せて、花のところはまた別の色を、なんてこともできる。まあ、元がモノクロ写真だから、自ずとカラー写真とは違うのだが。
 どうやら分厚く塗って、そのまま塗りつぶしもできるし、逆にきれいに拭き取って元の状態に近くもできる。田村さんは「ゴム印画やブロムオイルと違って、失敗してもすぐやり直せる」という。ブロムオイルは、顔料をコツコツと叩き付けて積み重ねるのだそうで、たしかに後戻りはできまい。またゴムは何度も露光を重ねてだんだん濃くしていくのだから、これまたやり直しはできない。
 それにくらべると「雑巾がけ」は、塗り込んだものを拭き取るだけだから、まことにシンプルである。拭き取るものによって効果は違うのだろうが、ティシューと脱脂綿と麺棒ではどう違うかとなると、1回や2回でつかみきれるとも思えない。
 田村さんはさすがに用意周到だった。小物をいろいろ繰り出してくるのだが、汚れ物はただちに大きなくずかごに放り込む。こういう準備が肝心だ。油絵を描く時と同じで、始末の悪いヤツだと、パレットから絵筆はまだしも、机や洋服までそこら中絵の具だらけになってしまう。写真の余白にも汚れがついてはまずかろう。けっこうデリケートな手ワザのようである。
◆見えてこない道筋
 ただ見ていると、元のプリントは現代写真だからあくまでシャープそのもの。多少塗りつぶしてももやもやにはならない。拭き取れば元の姿に戻ってしまう。どの部分をどうやってどんなバランスでとなると、これは相当なパズルである。やる以上は、小関庄太郎とはいわないまでも、かなりの気構えで臨まないと作品にはなかなかならないかもしれない。
 昔の人と違って、現代人には写真はカチッと写って当たり前のものだから、これを崩す、あるいは絵画のように、と変形させること自体に抵抗感がある。また、多少へそ曲がりで、ソフトフォーカス・レンズがどうとかいううるさい連中にしても、画像はあくまでレンズが作るものというのは肌にしみついている。いじくりまわすなんて、できるのか?
 指導をしている田村さんにしてからが、まだ雑巾がけそのものの面白さを楽しんでいる風で、最終形がなかなか見えてこない。単に黒く焼き込むだけなら、暗室でもデジタル処理でもかなりのことが可能だから、そこをどう突き抜けるか、もう少し試行錯誤を経ないと、道筋が見えてこないのではないか。そんな感じである。
 3人のうちの1人は、この連載でお世話になっている城靖治さん。城さんはこの日、期限切れ80年以上という昔の乾板で撮った写真をいじっていた。仲間で東写美へいったときに撮った記念写真で、絵柄自体はただの集合写真である。
 ただ長い歳月を経た乾板だから、光線は漏れている、乳剤も経年変化でムラがある、はげ落ちはあるわ、カビもはえているわ、おまけにオルソクロマチックだから赤色には感光しないと、まあプリントとしてはとんでもないものだった。

 いたずらするにはいい材料だったかもしれないが、やっかいなことに写りはきわめてシャープである。多分道は2つあって、ムラや汚れの類いを修正して、正常なプリントに近づけるか、あるいはいっそめちゃくちゃに塗りたくってしまうか、どちらかである。
◆踏ん切りがカギ? 
 結果からいうと、城さんはどちらでもなかった(上の2枚)。いや、どうにもならなかったという方が当たっているかもしれない。これは2枚の写真を並べてみるとよくわかる。きれいに見える方は、オリジナルのデジタル画像を、photoshopの焼き込みと覆い焼きで、正常に近くなるよう修正したものである。入念にやったら、さらによくなるだろう。
 もう一方が「雑巾がけ」で、これはむしろ乾板のオリジナルの感じがそのまま残っている。「雑巾がけ」では黒くすることしかできないからだ。暗室作業でいうと、焼き込みはできるが、覆い焼きはできない。画面をオリジナル以上に明るくすることはできないから、画面下半分のムラはそのまま残ってしまう。
 もともと完全でない画像だから、塗りつぶすだけで何とかしろといっても、これは難しい。初めての試みにしては、難物を選んでしまったらしい。たとえばあなただったらどうするか。イメージできるだろうか。作業を見ながら、わたしにもアイデアが浮かばなかった。それに較べると、photoshopの修正なんぞ、楽なものである。


 他の2人の題材は、彫刻とか花とかだった。お借りした2枚はともに花のイメージだが、狙いの違いがはっきりしていて面白い。阪本しのさんは、はじめから色を意識していたようで、グリーンや赤も使っていたようだったが、完成したものはご覧の通り。オリジナルと較べると、意図がわかる。初の試みにしては大胆である。(上の2枚)
 もう1人の谷雄治さんのは、大判のボケを生かして雑巾がけで全体のトーンを落とし、花びらを浮き立たせ、葉の一部にもアクセントをつけている。むしろオーソドックスというか、端正な仕上げだ。このオリジナルからだと、とんでもない道筋は描けないかもしれない。(右)
 谷さんはいま、「面白いです。我を忘れてペインティング・フォトに励んでいます。今年はこれで作品を作る事にしました」といってるそうだ。
◆新たなピクトリアリズム?
 なんにしても、お手本があるわけでもなし、同じ絵柄でも人によってイメージは異なる。できあがったプリントを前に、「オレだったら、こうする」「いや、こうした方が‥‥」なんていう「愉快な」話になるのかもしれない。そういえば昔は、同じネガから別人が別のプリントを作って、そのまま発表するなんてこともあったらしい。それだけ、プリントが独立していたということなのか。面白いものだ。
 田村さんはまた、古い文献を手に入れたと写真を送ってきた。「PRINT FINISHING(1938)」というタイトルからすると、「雑巾がけ」の教本みたいなものらしい。オリジナルとプリントとが並んでいる。手を加えているのは確かにわかるが、どちらがいいかは好みの問題だ。(上)

 アメリカ人はこういう技法の解説とかワークショップが大好きなようだ。暗室作法とかポートレート・風景の撮り方、レンズの描写とか。国土が広いから通信講座も盛んで、テキストも立派なものがある。こんな冊子を見ていると、どこかの田舎で、ひとりコツコツとマニュアル通りに、写真を楽しんでいるおじいさんの姿が目に浮かぶ。
 プリントの違いは、雑巾がけだけでなく、印画紙でも大いに出る。今回使った紙は、「Arista.EDU® Ultra FB Semi-Matte」「ILFORD MULTIGRADE ART 300」の2種類だったが、Aristaがバライタ風なのに対して、ILFORDはデッサン紙のようなマチエールで、プリント自体が絵画のような感じになる。(真っ黒でちょっとわかりにくいが、面白い効果だ。城さんのプリント)
 だから、これでベス単写真などを焼いたら、わざわざ雑巾がけをしなくても十分に面白そうなのだが、さらに驚いたことにこれが新製品で、別にバリエーションもあるのだという。ということは、需要も新しいということだ。新たなピクトリアリズムの台頭なのだろうか。
 写真はデジタル技術の進歩で、シャープネスも使い勝手も極めてしまった。そこでまたぞろ、わがままのへそ曲がりが出てきたということか。ヨーロッパなら十分にありうる。これまでもそうだったし、歴史は繰り返すものだ。

◆落とし穴に気をつけて
 そこであらためて、自分の写真からいたずらができそうなものを拾い出してみた。ネガが見つからないから、ネットにあったデジタル画像から引っ張り出したのである。絵によって、こうしたらああしたらと、つもりはいろいろだが、それぞれは写真としてもそれなりのものだと思う。また、そうでないと、いくら塗ったくってもいいものはできないのではないか。(上の3枚、あなたならどう塗ったくる?)
 ひるがえって、かつての「芸術写真」を並べてみても、これぞと思うものは、別に雑巾がけやら何やらしなくても、いい絵柄ばかりである。ゴム印画で重厚な空気は出るかもしれないが、その前にいい写真でないと、やっぱりダメだろう、という気がする。
 この日のワークショップでは最後に、城さんがいまはまっている古い乾板を持ち出して記念写真を撮った。9x12cmという大陸サイズだ。おそらくは戦前も戦前、「昭和10年代ではないか」という代物だったが、これが見事に写った。むろん盛大な光線漏れ、乳剤の欠け落ちがあるのだが、これを見ていると、「写真の進歩って何なの?」といいたくもなる。
 そして、これもまた「雑巾がけ」したらどうだろう、なんて思ってしまう。ちょっと危ない。でも、あなたもひとつどうです。ご自分のプリントを並べてみたら。ただし、楽しいものには、必ず落とし穴があることをお忘れなく。(乾板での記念撮影。photoshopで整えてある。撮影:城さん)