ギロチンシャッター大作戦

 アメリカのカメラマンはみんなポパイだと思っていた。彼らはカメラ機材がでかくても重くても何とも思わない。あの死ぬほど重いDeardorff 8x10と三脚、巨大レンズ、撮り枠をかついで、コロラドヨセミテを平気で歩き回るのだ。それがアメリカ人だと。
 ところが、このところネットの大判セミナーなんかを見ると、「大口径レンズに合うシャッターはないか」「念願のPinkham & Smith を手に入れたが、シャッターをどうしよう」「大判からデジカメに代えようかと思う」——そんな情けない声がやたらに目につく。
 おいおい、やせてもかれてもアメリカは大判王国だろう? いまもって、魅力的な巨大レンズの大半はアメリカにある。実際に撮ってる人口でもいちばんのはずだ。アメリカの伝統と誇りはどこへいった?

(ギロチンシャッター、右上がイギリス式ドロップシャッター=ブライアン・コー「Cameras」から。右下はフランス式。動画が城さんの考案)
◆19世紀のアイデアだが◆
 大判王国アメリカの再生を願って、今回は答えのひとつをお見せしよう。知人の城靖治さんが考案したギロチン・シャッターだ。アイデア自体は19世紀からある。感度の高い乾板の登場で様々なシャッターが工夫されたとき、一番シンプルでだれもが思い浮かべた仕組みだ。
 レンズの前で穴の開いた板を走らせる。イギリス人は重力のままにストンと垂直に落とした。フランスのギロチンと同じだ。そう、マリー・アントワネットの首をちょん切った、あれ。フランス人はギロチンのイメージから逃れようとしたのか、バネを使って横に引っ張ったり、円盤にアナをあけて回転させたりした。
 しかし、どれもあまり普及しなかった。縦走りも横走りも板が長いし、円盤も大きくて不格好だった。また、何よりも速度の調整が難しかったからだ。フランスのギロチン・シャッターは、バネ仕掛けでかなり精巧なものまでできたが、小さなレンズにしか対応できなかった。
 城さんのアイデアは、基本的にはイギリスタイプと同じだ。縦長のベニア製のケースをレンズの前に取り付け、ケースの中でスリットを切った黒いプラスチック板をストンと落とす。それだけである。ただし、ここに「コロンブスの卵」がいくつかある。順を追ってお見せしよう。
1) スリットの幅が異なるプラスチック板を何種類も用意して、フォーカルプレーン・シャッターと同様に、速度を選べるようにした。
2) 板を落とすときにショックがないようなレリーズを工夫した。大判ではこれは究めて重要なポイントである。


3) プラスチック板をゴムひもで引っ張って、最高200分の1を達成した。これは、思わず笑ってしまうくらいの、愉快な発想である。
4) そして、レンズへのはめこみを紙で作ったこと。多くは貴重なレンズだから、傷がつかない工夫は絶対に必要。この細工は芸術的ですらある。
 不格好は承知の上だ。そんなことは19世紀からわかっている。それよりも、口径10センチを超える巨大レンズで、なんとしても高速シャッターがほしかったのである。まさに、必要は発明の母。レンズの名前を聞けばわかる人はわかるだろう。
 Pinkham & Smith (Visual Quality)、Nicola Perscheid、TTH Cooke Portrait、Graf Portrait (Variable Focus)などだ。どれも幻のポートレート・レンズである。ポートレート効果を発揮するには、絞りを大きく開ける必要も出てくる。従ってシャッターは速くないといけない。
◆どうしても撮りたいレンズがある◆
 スタジオ用にはフォーカルプレーンシャッター(8x10)があるが、これらレンズを戸外へ持ち出すにはジナー・シャッターを使うのがせいぜいだ。が、ジナーの開口部は8.5 cm しかない。巨大レンズでは絞りを開放にしても、すでにシャッターで絞られた状態だし、絞り込めば二度絞ったことになるだろう。しかしこのギロチン・シャッターなら、開放は文字通り開放だ。

 レンズの口径が10cm以下なら、ジナー(コパル製)以外にもシャッターはいろいろある。現代のものならコパル #3 が唯一。古いものなら、Ilex #4、#5、Compur #3、Big Compound、Roller Blinde ( Thornton Pickard)、LUC、Packard、Barn Door……まだいろいろある。が、100分の1より速く切れるシャッターは、コパルとコンパーの#3だけ。しかもその開口部は5cmに満たない。
モード学園ビル エンパイヤ・ステート、レンズ・フォクトレンダー 城靖治さん撮影) 
 城さんのシャッターは、一番大きなレンズCooke Portrait Anastigmatに合わせて作られた。ケースの外寸が15cmx47cm。プラスチック板が13.5cm x 40cmである。
  スリットの幅は6、3、1.5、0.7cmで、それぞれほぼ1/10、1/25、1/50、1/100秒になる。そしてさらに、100分の1の板を輪ゴムで引っ張ると、見事200分の1になるというわけである。
 構造は簡単だから、写真と動画を見ればわかるだろう。アメリカ人ならお得意のガレージ工作になるのだろうが、日本なら縁側の工作でできる。サイズはレンズに合わせて設計し直せばいい。現に城さんは、5x7カメラ用の小さなサイズのシャッターも作っている。(新宿東口、ガンドルフィ5x7、プロター110/16、柴田剛さん撮影)
 ただ、ショックを与えない(カメラが揺れない)ためのレリーズの仕組みが重要だ。動画で見てほしい。ケーブルレリーズを使った簡単なアイデアだが、これがすばらしい。要は意欲の問題である。
 また、レンズへの取り付けリングは、ワープロ用のペーパーを短冊に切ってレンズに巻き付け、1枚また1枚とのり付けで固めたものである。口径の小さなレンズには、同じやり方で紙で作った調節用のリングをはめ込む。リングはそれぞれ、どのリング用と決まっているから、しっかりと固定されて、揺れることもない。
 唯一の難は、持ち歩きがかさばることである。こればかりはどうしようもない。小さなレンズなら、前に述べたさまざまなシャッターがあるが、直径10センチ超だと、いまのところ代わりはない。だが、どうしてもそのレンズで撮りたいという、いわば業みたいなものだ。
◆実写テストは大成功◆
 城さんが小型のギロチンを作った機会に、新宿の雑踏で試し撮りをしてみようということになった。カメラはロチェスターの「エンパイヤ・ステート」という、5x7より少し大きい奇妙なサイズのカメラで、城さんはそれを5x7で撮れるように撮り枠を改良していた。そのテストも兼ねた撮影である。
 余談になるが、「エンパイヤ・ステート」というから、わたしはてっきり1920-30年代の高層ビル撮影専用カメラだと思ってしまったのだが、これが全然違った。カメラは1890年代末で、ビルよりずっと古かったのである。
 城さんによると、かつてニューヨーカーは粋がってNY州のことを「エンパイヤ・ステート」と呼んでいたのだそうだ。それがカメラの名前になったのだと。いまならさしづめ「アップル・カメラ」てなものかもしれない。
 たしかに造りは素朴で、後にコダックやアンスコが作ったビューカメラの原型といっていい。レンズのライズ幅も普通である。コダックにも「エンパイヤ・ステート」というカメラがあるが、これは高層ビル撮影用のビューカメラで、レンズを10センチくらいもライズできる。こちらはビルにあやかった命名だろう。
 ま、そんな勘違いのまま、大判仲間に呼びかけたのだったが、結局大判3台、中判のパノラマカメラが1台と、これにヤジ馬が加わって、日曜午後の新宿アルタ前に8人が集まった。(上・アルタ前 安彦勝彦さん撮影)
 といっても、メインはギロチンシャッターのテストだから、ビルを撮ったり記念撮影をしたりとのんびりしたもの。地下道をくぐって西口へ移動して、最後は気持ちのいい野外のテラスで、カメラやレンズ談義に花を咲かせて終わった。
 シャッターは完璧だった。露出がぴったりだっただけではない。縦長の本来不安定な形状だが、その揺れを防ぐという点で、レリーズの仕組みが実にいいのだ。8人の記念写真のとき、通りがかりの若者にレリーズを頼んだのだが、まったく危なげなし。道具はこうでなくてはいけないと、あらためて城さんのアイデアに脱帽である。(左は加藤芳明さん撮影。下は城さんがセット、通りがかりの若者がシャッターを切った。いずれもエンパイヤ・ステートカメラ)
◆歴史的なデビューだったが◆

 この巨大ギロチンが最初にフィールドへ出たのは昨年の初夏、東京ミッドタウンで行われたワークショップだった。バレルレンズをもっと使いましょうという趣旨で、フジフォトサロンに20人ほどが集まったときである。前にあげたように、小さなレンズに使えるシャッターはかなりあるが、巨大レンズには城さんのギロチンが唯一だった。
 このときは、城さん所有のニコラ・ペルシャイト42cm、ピンカム・スミス12インチを実際に裏庭に持ち出して、曇り空だったが昼光の中で撮った。思えば歴史的といってもいい瞬間だったのである。本来はスタジオでのポートレート用を、白昼に高速シャッターで撮ったのだから。
 しかし、その意味合いをわかる人は少なかった。参加者各自がフィルム持参だったから、8x10を持ってこなかった人は、この巨大レンズを試すことができなかったのだ。シャッターがどれだけ画期的なことかも、わからなかったと思う。
 なかで1人、これでポートレートを撮った人がいた。写真家の西山浩明さんは、ピンカム・スミス (Visual Quality)12in. f4とニコラ・ペルシャイト 42cm f4.5の両方で撮った。どちらもいまや幻の巨大レンズ。そして、両者の特性の違いをきっちり捉えたのである。(上がニコペル、下がP&S)
 半分ビルの中ではあるが、どちらも絞りはひと絞り。高速ギロチン・シャッターがなければ撮れなかった絵だ。レンズキャップ露光では、もっとぎゅうぎゅう絞り込まないといけないから、大きく違った絵になるだろう。
 ただこのとき、機材の運搬は城さんも含めて3人4人がかりだった。8x10のカメラ、巨大レンズ、ギロチンシャッター一式、三脚、フィルムその他もろもろ‥‥。写真に写っている大坂純史さんは、実は運搬手助けの1人だった。モデルになりそうなきれいなお姉さんを探している余裕なぞなかったのである。
◆ギロチンが迫っているものは◆
 これに較べると、先の新宿のテストは楽なものだった。カメラの大きさが半分になると、シャッターも何もかも小さくなるから、城さんは、箱形のケースをカートにくくりつけ、三脚を片手に1人で移動できた。ギロチン・シャッターも、他のシャッターの仲間入りができたのだった。
 しかし逆にいうと、このサイズなら他のシャッターでもいけるわけだ。ギロチンの本当の値打ちはやはり巨大レンズーー話は、そこへ戻ることになる。さあ今度は、巨大レンズをどう活用するか、あえてそれで撮りたい被写体はあるのか。ギロチンがこちらの性根を見据える番だ。
 作った以上、受けて立たないわけにはいくまい。といって、ひとりではとても歯が立たない。となるともう、レンズもシャッターもみんなのものとして、バイテン族の総力結集しかあるまい。みんな集まれ。
 こんどこそは、きれいなお姉さんになるのか。それとも、思いもよらぬ被写体があるか。どっちにしても、ギリギリと知恵を絞ることになりそうである。その前に、ポパイになる訓練もしないといけないかな。これも大変だ。
 しかし、これらすべてば明日のためでもある。ほどなく命脈がつきるフィルムにかわって、デジタルバックが登場する日——このときこそが、暗箱大判が現役に復帰する日なのだ。ギロチンも、むろんその他のシャッターも、その日の到来を首を長くして待っているのである。