明るく楽しい葬式写真

 もうみんなその歳ですよね。なかには70代後半にしてなお「あと30年は生きる」と豪語する強者もいるが、ご本人だって信じちゃぁいまい。
 以前、ある人のポートレートを巨大レンズで撮ったところ、家族が見るなり「これで葬式写真はできた」といったという(右の写真)。先日久々に電話があったが、なんでもその後大病をして、危うく死ぬところを助かったのだと。で、少しやせたものだから家族がまた、「写真、取り直してもらったら?」といっている、と笑っていた。歳をとるとどうも話がしょぼくれていけない。
 そこでひとつ、葬式写真を楽しく撮ってやろうという気になった。いざコテンとなったときに、家族があわててアルバムを引っ掻き回して、「これでいいや」と葬儀屋に渡されたんじゃ、カメラ・写真好きがすたる。せめて「オレの写真はこれだ」と決めておきたい。むろん大判である。
◆最初の写真が遺影になった
 思えば、初めて大判で撮ったポートレートが、葬式写真だった。いや、普通にポートレートを撮って、当時はまだ伸ばしをやっていたから、六つ切りに焼いて後日お届けした。それがのちに葬儀で遺影として飾られていたと、友人が教えてくれたのだった。
 フランス製の暗箱のバックを4x5につけかえたとき、工作してくれた方を最初にテスト撮影したのである。もとハセミで暗箱を作っていた鈴木寅吉さんという方だった。この写真(右)は、ある意味で記念すべき1枚だった。
 どういうことかというと、カメラ自体がわけのわからんテイルボードで、そのバックを付け替え、バレルレンズにソーントン・シャッターと、どれも初めてづくしだったのだ。大判をこんないかがわしい形から始めるというのも珍しいだろう。
 わたしの「大判作法」は、いわば「禁じ手」から始まっていて、ポートレートではこれが第1号だった。このあたりのいきさつはまた別に詳しく述べたいが、ともあれ、最初の写真が葬式写真になったというのも、その後になにがしかの影響を与えたと思う。少なくとも、ただカメラをじっとにらんでいるポートレートを、腰を据えて撮る気にさせてくれたのだった。

 それでなくても、葬式写真の大部分は、普通のスナップから表情のいいものを選ぶのが当たり前だから、大判ポートレートならはじめから葬式写真みたいなものである。全身写真から顔だけ切り抜いても、大判なら遺影の大きさなんか楽々高画質でいける。
 試しに、手元にあるポートレートの顔の部分だけを切り抜いてみると、こうなる。ほとんどが半身ないし全身の絵からである。鈴木さんともう1人を除いてみなお元気な方ばかりだが、バックを塗りつぶせば一丁上がりというのが、よくわかる。(左の写真は亡くなった叔母)
◆何にこだわるか
 しかし、これでは面白くもなんともない。なんとか遊んじゃえ、というのが、「明るく楽しい葬式写真」プロジェクトである。どうせ知り合いや写真・カメラ好きから選ぶのだが、さて、だれにしよう。
 あんまりそれらしい年格好だと、ちょっと生々しすぎるから、声をかけにくい。当分死にそうもない、といってそう若くもないのがいい。なに、本人さえよければ、若者だっていいし、明日にも危ないような人だって、こっちはかまやしないのだが‥‥要するに、こちらのいたずら心に乗ってくれるかどうかだ。(過去に撮ったポートレートからの切り抜きです。むろんみなさんお元気な方ばかりです。お許しあれ。レンズにもぜひご注目を)

 最初に浮かんだのが、田中長徳さんである。彼なら当分大丈夫だし、茶目っ気を出して、葬式を笑いのめすような演出を考えてくれるかもしれない。どうせカメラに埋もれてにっこり、みたいな絵になるだろうから、カメラが沢山集まるような状況でないといけない。ところがこの人は、忙しすぎてなかなかつかまらない。
 そこでおそるおそる何人かに声をかけてみた。まずこちらの意図をのみこんでもらうのが大変だ。ただカメラの前に座ってくれるのなら、いつもの撮影と変わらない。その結果は、ズバリ葬式に使える写真であることは、ここにあげたいくつかで明らかだ。
 これを見事にぶち壊してくれるような絵柄やデザイン、背景を考えてもらいたいのだ。しかも、この世におさらばするにあたって、「オレはこれでいく」「これがオレだ」という究極の1枚である。葬儀の参列者が思わず吹き出すようなのができたら最高ではないか。
 とはいえ、本人がその気にならないといけない。「よーし、ではこういうのを撮ってくれ」とこないと、話が始まらない。それでなくても、ポートレートは撮る方と撮られる方の共同作業だ。その際のこだわりは、人それぞれ。こちらにも多少の思い込みはある。さあどうなるか?
◆まだまだ修行が足らない
 最初に反応があったのは、最近父親を亡くした男だった。以前から、葬儀の写真はこれ、と決めてあったのだそうだが、いざとなったら元画像がみつからず、結局プリントから起こしたのだと。まあ、人が亡くなるときなんて、そんなものである。
 しかし彼はどうやら、自分が写されるというイメージが湧かないらしい。大判には無縁だが、何十本もレンズをもつグルメで、毎日シャッターを押しているというのに。どういうことか。まだ若すぎるのかもしれない。

 次もまた、レンズにこだわる男だった。どこぞのゴミ捨て場から拾ってきたというアポ・ニッコールか、戦時中に高千穂光学(現オリンパス)が作った空撮用のズイコーか、どちらかでというご指名である。それで、ブラック・コンタックスキヤノンをぶら下げてるところを撮ってくれと。
 「はいはい、わかりました」。注文が具体的だと話が早い。
 しかし、これは案の定というヤツである。わたしの仲間は諸事うるさいのが多いから、どうせ「最後はニコラ・ペルシャイトで」なんてのが何人か出てくるに決まってる。ま、それはなんとかなるとしても、どんなレンズで撮ったかがわかるわけではないから、そこでもう一息、想をねってもらわないと遊びにならない。
 自分がこだわっているモノと一緒にゴチャゴチャ写るというのは、いちばん簡単な手だが、さて、どうゴチャゴチャしたら笑いがとれるか。そこである。
 実は前回の「光り物」で撮った坂崎幸之助さんは、そのチャンスだった。なにしろ、骨董市でカメラをずらりと並べて売っているのだから、そのカメラの真ん中に雁首を差し出せば、ぴったりだ。ところが坂崎さんは人気者だ。女性ファンが大勢詰めかけて、坂崎さん半分、カメラ半分と見ている。
 ちゃんとポートレートを撮るには時間がかかる。彼女たちを押しのけて、これをやる勇気が、とうとう出なかったのである。これがアマチュアの悲しさ。帰る道すがら、「ああ、まだ修行が足りない」「人間ができちょらん」と嘆いていたのだった。
◆アイデアで勝負しよう
 意外だったのは、そのアイデアはすでに商業写真としてやっている人がいて、テレビで放映していたと、何人かからいってきたことだった。なるほど、本職の人たちが考えつくのは、まあ当然かもしれない。商売にもなるだろう。
 また別の人は、そうした写真を撮っていて「3人はアッチへいっちゃって、祭壇に飾られた」ともいっていた。人間の発想なんてみな似たようなものか。しかし面白い。いったいどんな絵をつくっているのか、見てみたくなった。が、モノはない。

 こっちは自分がその歳になって、日頃撮っている友人、知人をあらためて眺め回して思い至ったものである。あくまでお遊びで、ずらり並べて、みんなで眺めて、わいわいと酒の肴になればよし、てなもんである。
 だからこそ、撮られる側の腹づもりが結果を左右することになるはず。しかし、例えば自分史のつもりで撮るとなって、さてどんな構成にするかは、なかなかに難問である。
 なにしろ1枚の顔写真なのだ。こだわりを何にするか。レンズ? 場所? モノ? それともデザイン? 大判モノクロとはいえ、デジタルで処理しているのだから、モンタージュも可能である。
 大判仲間からも声があがった。これは主として撮るつもりのようだ。が、こちらとしては、撮られてももらいたい。互いに知った仲であればこそ、ああだこうだと、アイデアが生まれる。納得して撮って撮られて、それがいちばん。
 ヒントになりそうな絵柄をいくつか、すでにある画像のなかから選んで並べてみた。眺めていると、いろいろ想がわく。ここは、じっくりと時間をかけたい。そして、作品が出そろったら、あらためてお見せしよう。どうぞお楽しみに。(上から竹田正一郎さん、長岡敬一郎さん、内田安孝さん、早田清さん。画像を拡大すると、カメラ、レンズ名がでます。どうぞご参考に)