手札の命脈

 富士フィルムがイギリスサイズのキャビネと手札の製造をやめたというので、友人があわててキャビネを注文したと聞いた。ああ、とうとう来るべきものか来たか、と寂しい思いになった。こちらも心配になったので、聞いてみた。

 すると事実は、やめたのは「11x14(インチ、以下同じ)」であって、キャビネも手札もとうの昔にやめているのだという。「エーッ、じゃあヨドバシで売ってるあれはなに?」と聞けば、「注文がまとまれば切っている」のだそうだ。まさにヨドバシさまの思し召し。
 そういえば先日、ヨドバシで買った手札は、最後の一箱だった。あとはキャビネが数箱。あれが売れちゃうと、しばらくの間、イギリスサイズは手に入らないというのだろうか。
◆イギリスサイズの不思議
 考えてみれば、元のシートフィルムは作っているのだから、どんなサイズだって「数がまとまれば」切ってもらえるということ。なれば、キャビネよりは「5x7運動」を起こした方がいいではないか。しかしそうはならないのである。

 キャビネと手札は、写真館のお陰なのだ。日本の写真館は、乾板時代から80年もの間イギリスサイズが基本だった。戦後便利なスプリングバック式のアメリカサイズが入ってきて、写真館も4x5と8x10は標準になったが、ハーフサイズの5x7は定着しなかった。理由は、写真館のカメラのメーンがキャビネだったからである。
 器用な日本の暗箱メーカーは、カメラを作り替える代わりに、キャビネまでもスプリングバックに作ってしまう。写真館もバックだけの作り替えの方が安くてすむ。また多くの写真館は作り替えすらせずに、昔ながらの木製撮り枠で60年代まで乾板を使い続けたのだった。
 そうして生きながらえたイギリスサイズだったが、4分の1サイズの手札だけはいささか奇妙だった。フジが切っているサイズ(キャビネの半裁)は、本来の手札より、1センチ長いのである。
 手札はいちばん小さい大判だ。イギリスではハンドカメラの標準サイズ。サンダーソン、ウナ、マリオン・ソホなどはこのサイズが主力である。4x5より小さくて持ち歩きが楽なので、アメリカでも、スピグラや一眼のグラフレックスをわざわざこのサイズに作った。しかし、フジのフィルムを使おうとすると、1センチ切らないといけない。これはどうしたことか。
 以前の連載で、これに文句を付けたのだが、富士の担当者も理由がよくわからなかった。「写真館のサイズなんです」というばかり。実際に写真館に納入しているサイズなのだと。「え? そんなカメラあるの?」
◆イギリスよ、お前もか?
 後に、自由ヶ丘の藤原写真場へうかがうようになったら、戸棚にフジの手札フィルムがうずたかく積まれていた。しかし見たところ、手札のカメラはない。はて?

 聞いてみると、写場の暗箱に、手札のスライディングバックがついていた。おわかりいただけるだろうか。手札の半分の画面のバックを左右に動かして、1枚のフィルムに2枚撮る仕組みである。証明写真用だった。
 なるほど。2枚撮ると本来の手札では寸が足らないので、フジに1センチ長く切ってもらい、日本中の写真館共通の仕様にしたのか。日本の手札フィルムの需要の大部分が、証明写真用だったのだ。しかしこれが早合点だった。
 富士の担当者もそもそもを知らない、それほど昔から続いていた、というわけか。ところがである。フジの手札は、キャビネをきっちりと半分に切ったサイズだったのだ。友人に指摘されてわかった。「えー? じゃぁ手札と呼んでいたものは、あれは何なんだ?」
 イギリスのフルサイズは、8.5x6.5 インチである。ハーフサイズのキャビネは、これを半分に切ったものだから、4.25x6.5。その半分の手札は、4.25x3.25、きっちりと半分だと思っていた。
 4.25インチは10.8cmだ。ところが富士の手札は11.8cmある。そしてキャビネの短辺もまた11.8cmだった。これがイギリス製キャビネの撮り枠にぴったり。つまり、キャビネが幅広で、4.25どころか4.5インチちょっとあるわけだ。「イギリスよお前もか」である。(上:中の2つがサンダーソンのフィールドとハンド=城靖治さん所蔵。左はソーントンピッカードのテイルボード。右は日本製。下:左からプリモNo.8とスピグラ=城靖治さん所蔵、右がベルクハイル。手札ではほかにグラフレックスやアンゴーがある)
 理由の見当はつく。アメリカも大陸もそうだったからだ。フルサイズの形はどれも割と四角い。これを半分に切ると、かなり細長くなってしまう。そこでアメリカは1インチ短くして5x7に(本来は5x8)、大陸は幅を1センチ広くして13x18センチ(本来のハーフは12x18)にした。同様にイギリスも幅を広げていたわけだ。なんたること。
◆怪我の功名
 キャビネは縦横のバランスのいい画面で、学校や冠婚葬祭の記念写真には密着焼きがアルバムにぴったり。報道用の主力だったアンゴーカメラも、ドイツ製なのになぜかイギリスのキャビネに作ってあって、これの密着焼きが標準になっていた。後の電送写真もこのサイズである。
 富士がそれを知っていたのかどうか、真っ正直にキャビネを半分に切ったわけだ。おまけに写真館が、そのサイズのままスライディングバックまで作って証明写真を撮っていたとは。本来の手札使いは、文句をいわなかったのだろうか。
 しかし、富士の手札にも意外な効用があった。とうの昔にすたれてしまったサイズに、ポストカードというのがある。これはおそらく名前の通り、旅行などで風景を撮っては、絵はがきに焼いたらしいが、幅は手札と同じで、長さが5インチ半と細長いサイズである。
 フィルムがないからと、カメラは早くから骨董品にされてしまったのだが、撮り枠さえあれば、富士の手札は何とか使えるのである。今度は1センチほど短くなってしまうが、うまくフィルムを固定すると、もとが細長いだけに、かえって普通の写真が撮れる。
 プリモにNo.8というモデルがあって、これがポストカード。アメリカ・カメラ好きの城靖治さんが、うまい具合にフィルムを固定する方法を考案したというので、しばらくお借りしたことがある。
 もとが乾板用だから、撮り枠はガラス板を挿入するようにできている。そこでガラス板に厚紙をテープで固定して、フィルムを挟み込めるようにつくったのだった。うまいことピントもぴたっとくる、なかなかのアイデアだった。

 おかげで、死んでいたポストカードが見事よみがえって、手札カメラと同じように使える。フィルムを切る必要がないから、かえって楽だ。カメラも35ミリ判とそう変わらない。これでずいぶんあちこち撮り歩いた。ただ、レンズ交換ができないために、あまり長続きしなかった。持ち歩きのいいカメラでは、いろいろ遊んでみたくなるものである。
◆すてきな後家さんに巡り会った
 わたしの手持ちでは、本来の手札カメラが3台ある。ソーントンピッカード(SP)の古いテイルボードと日本製のフィールドカメラ、それにベルクハイルの9x12センチ判に工夫を加えたものである。

 前の2つは純イギリス式で木の撮り枠(乾板用)を使う。一時持っていたウナの手札には撮り枠がなかったので、SPの撮り枠の一部をナイフで削って使っていた。木製というのは融通無碍で、なかなかいいものである。
 曲者はもうひとつのベルクハイルだ。「ベルクハイル(お山バンザイ)」は、いわずと知れた山男たちの挨拶の言葉だ。軽量小型ながらレンズ交換ができるから、記念写真はもちろん立派な山岳写真も撮れるというので人気のカメラだった。
 いまコレクターの間では、小型の6x9センチ判が人気で、9x12センチ判はいまひとつ。eBayに出ていたものは、レンズもなく、レンズボードの脇にある反射ファインダーが切り落とされていたうえに、バックに妙なものがついていた。
 本来のバックは、皮製のカバーに「Bergheil」と大きな刻印があって、それ自体が値打ちなのだが、それがない。代わりについていたのが、なんと2種類の手札のスプリングバックだった。こうしたものは「後家さん」と呼ばれ、純正志向のコレクターは見向きもしない。
 それにしても蛇腹その他は新品同様にきれいだ。しかも、レンズボードの部分に、レンズ交換のバヨネット用の金具がついていた。実用派にとって、なにより肝心なものだ(上の写真、矢印)。「しめた」。だれもこれに気づかないことを祈った。
 案の定というか狙い通りというか、札がまったく入らず、確か35ドルとかのスタート値でわたしのものになった。なんという幸運。おまけに、スプリングバックが実に面白いものだった。アメリカ人がカメラというものをどう考えているかを、如実に示すものだったのである。
 2つのスプリングバックは、ベルクハイルのバックの枠にきっちりとはまるように作ってあった。別の造りだが、どちらも金属製で手札サイズ。つまり、グラフィック用と同じということだ。さっそくeBayでグラフィックの手札の撮り枠を探して、これも手に入れた。むろんぴったりである。
アメリカ人のおおらかさに脱帽
 ベルクハイル・タイプは9x12センチ判のスタンダードである。ピントグラスをはずして、金属製の片面撮り枠(乾板用が多い)をはめ込むのだが、スプリングバックに慣れたアメリカ人には、これが面倒だったのであろう。9x12センチより小さい手札で、はめ込み式のスプリングバックを作っちゃったというわけだ。
 規格がすでにグラフィックにあったから、このバックをつければ、大陸の9x12センチ判カメラがすべて、アメリカ規格になってしまう。フィルムも撮り枠もグラフィックのものがそのまま使えるということだ。この発想はすごい。
 ヨーロッパカメラに詳しい人によると、第一次大戦のあと、大陸の9x12センチ判カメラには、手札が使える中枠つきホルダーがかなりあったという。むろんイギリス、アメリカへの輸出用である。しかし、アメリカ人の発想はもうひとつ上をいっていた。
 ベルクハイルについていたバックのひとつは「HOLLYWOOD」という名のカリフォルニア製だ。もうひとつも造りは悪くないから、規格の合うカメラがベルクハイル以外にもあったのだろう。ドイツ(あるいはフランス)カメラをイギリスサイズのフィルムで、アメリカ式スプリングバックで撮る。アメリカ人のおおらかさと合理主義を絵に描いたような傑作である。
 お陰でわたしは、グリーン革の名機をとんでもない安値で手に入れたばかりか、バヨネットの金具をいくつも作ってもらって,レンズのとっかえひっかえまで堪能することができたのだった。
 交換レンズは1番シャッターならなんでもOKだから、クセノタール、アポランター、ヘリアー‥‥とびきりのものばかり並べて、大いに遊んだ。小さいから持ち歩きも最高。まさにアメリカ・バンザイ、ベルクハイル・バンザイ。ついでにコレクター・バンザイ(ざまあみろ)である。
◆いまのうちに撮ってやろう
 唯一の不自由は、富士のフィルムが1センチ長いことだが、フィルムがあるだけまだましといっていい。これがいつまでもつか。前出の藤原写真場もいったん閉館になって(「さらば写真館」参照)、若い人が続けてはいるものの、もはやフィルムで証明写真を撮る時代ではなくなっている。
 デジタルの高画質は、とうの昔に手札を超えてしまっているから、これまで最大の使用者だった写真館の手札離れは現実のものになっている。といって、モノクロの手札で撮るなんていう酔狂な人間が、そうそういるとも思えない。ヨドバシがいつまで切ってくれるか、という寂しい話である。
 あらためて手札カメラを並べてみると壮観だ。暗箱カメラは小さいほど造りもいいし、コレクションにもなる。じっと見ていると、それぞれのお国ぶりまでがみえてくる。
 イギリスタイプは塗り、金具の仕上げが美しい。アメリカ、ドイツは実用的、合理的だ。日本製は造りはいいのだが、木や金具がいまひとつ。これら愛すべきカメラたち、ひとつひとつが文化遺産である。せめてフィルムのあるうちに撮ってやろう。その先は考えない方がいい。