バイテン事始め

 中判から4x5、5x7と進んできた若い友人が、「中古カメラ市で8x10(インチ、以下同じ)のホルダーを買いました。どっかにカメラありませんかぁ?」といってきた。このご時世に、なんとまあ物好きなことよ。
 といってもこの男、秋葉原で安いデジカメを掘り出してきたかと思うと、銀座の歩行者天国の真ん真ん中で4x5をおっぴろげたり、仲間を大判に引っ張り込もうと画策したり、好奇心旺盛で行動力が抜群。おまけに、理系で理屈っぽくて物怖じしないという、大判運動推進に最適の資質をそなえている。それが「バイテン」だと? 密かにほくそ笑んだ。
◆飛んで火にいる夏の虫
 バイテンはカメラの王様だ。だが日本では、持つこと自体が特別のような雰囲気があって、ナガオカやタチハラなんかはまともな方で、とかくジナーだディアドルフだというブランド志向になり勝ち。半ばお金持ちの道楽の世界である。これはいただけない。バイテンは、のぞいて撮ってこそなんぼのものなのである。
 大判はそもそも箱なんか何だって一緒だ。違いが出るのはレンズであって、カメラに金をかけるくらいなら、レンズを何本か余分に持つ方がいい。むしろカメラはレンズのためにあるというのが本道だろう。そして、画面が大きいからこそレンズの味をたっぷり楽しめると、これがバイテンの値打ちなのである。
 むろん、でっかいのをえっさえっさ持ち歩いて、店を広げること自体を面白いと思わなくてははじまらない。しかもあとで述べるように、何を撮るかがもろに問われる。カメラ・レンズへの好奇心と、撮ろうという意欲と行動力が何よりもかんじんだから、若くて体力もあるこの友人は、すべてに最適——こちらにいわせると、まさに飛んで火に入る夏の虫なのであった。

 なにはともあれ、カメラの心配をしなくてはいけない。同じ思いの年かさの友人が、さっそくネットを調べたりして、情報を流す。しかし、私はこれにあえて「待った」をかけた。何を撮るのかがまだ定かでない段階で、性急にカメラを決めるのは得策ではない。2台も3台もというのなら別だが、順序が逆なのである。
 バイテンはまず、主に何を撮るかが先だ。それによってレンズを何にするか。そのレンズにはどのカメラがいいかとなる。繰り返しになるが箱の機能は何でも同じだから、問題は、持ち歩きに便利な軽いものがいいか、重くても頑丈なものにするか、でっかいレンズに耐える必要があるか、レンズボードの大きさは‥‥と、そちらが中心になるのである。
 たとえばディアドルフは万能カメラで十分に頑丈だが、あくまでフィールドカメラだから、重さが3キロも4キロもあるスタジオ用の巨大レンズには耐えない。ピントを合わせているうちに、レンズがお辞儀をしてしまう。こうしたレンズには、がらくた同然のコダック・ビューの方が適している。値段でもブランドでもなく、造りの問題なのである。(左がレチナハウスで買ったコダック2D。レンズは昔のズーム。上の写真は、2Dで初めて撮ったレチナハウス最後の日)
◆果報は寝て待て
 彼にはとりあえず、わたしのコダック2Dを使ってみるように勧めた。青山にあった「レチナハウス」が店じまいしたとき、売れ残って床にころがっていたものだ。何気なく開いてみると、なんと内側に観音開きシャッターがついていた。エア・ピストンは完璧でゴム玉までついていた。即座に買った。シャッターを買ったらカメラがついてきたという代物である。
 コダック2Dは、グラフレックスがコダックの傘下にあったときに作ったスタジオカメラで、重くて不細工だが造りは頑丈で合理的。バックだけだがスイング、チルトができて機能は十分。同型はアンスコなど他のメーカーも作ったし、後々まで作ったバーク&ジェームズ(B&J)で完成する。6インチ角のレンズボードは、アメリカの初期のバイテンカメラの標準である。
 カートで引いたり車に積んでよく撮り歩いた。家では常に三脚に乗せておいて、レンズを仕入れるたびに、ピントの具合を確かめるのに使っていた。100年ほど前のズームレンズというのがあって、それが間違いなくズームであるのを確かめたのもこのカメラだった。ただしまだ撮ったことはない。
 そこで、このズームレンズもつけて渡した。彼ならなにか見つけて撮ってみてくれるだろうし、理系だからレンズの仕組みも解明してくれるかもしれない。こちらはその分横着ができる。ついでにユニバーサル・レンズボードも渡して、いろいろ試してみるよう勧めた。果報は寝て待て、を決め込んだわけである。
 ちょっと話はそれるが、ここでレンズボードに触れておこう。グラグレックスがなぜ6インチにしたのかはわからないが、これは卓見であった。当時はまだピクトリアリズム全盛だったから、スタジオ・ポートレートでは、ピンカム・スミスとかベリートといったソフト・フォーカスの巨大レンズの需要が高かった。
 バイテンより大きな11x14では、8インチボードが使われもしたが、レンズの大きさからいえば、6インチあれば、大方のレンズは装着可能だ。その後レンズは小型化が進み、ジナーもリンホフもより小さなボードになったが、大は小を兼ねるで、アダプターを使えばこれらはボードごと6インチに装着できる。B&Jは5x7カメラまでが6インチで、6インチはアメリカそのものなのである。(アメリカが大判王国である証。標準は6インチ、4.5インチ、4インチ、3.5インチと、まあいろいろあり過ぎだ)
◆遊びのカギは6インチボード
 これらが製造中止になって、困りはてた人たちから頼まれて作り始めたのがディアドルフだ。8x10のレンズボードは6インチである。ただし、角が丸く板も分厚くなった。ために、古いボードの角を削れば(木製だから)ディアドルフには付けられるが、逆はできない。差別化をはかったのかもしれない。規格の国、アメリカでは珍しいことだ。

 そもそもデザインも、グラフレックス型ではなくイギリスのフィールドタイプである。イギリスものは華奢でボードも小さいが、ディアドルフはむちゃくちゃ頑丈に作ったうえに、レンズボードをアメリカ標準にしたのだった。この意味は大きい。(左写真)
 バイテンでいろんな機材、とりわけ古くていかがわしいレンズやシャッター、付属品を使おうとしたら、6インチボードでないと十分とはいえない。巨大なポートレートレンズ、観音開きやパッカードのスタジオシャッターなど、アメリカ製の機材の大半が6インチ標準でできているからだ。
 話を戻して、こうした要件から「遊べるカメラ」をにらんでいくと、結局はアメリカカメラ、ディアドルフ、B&J、アンスコ、コダックなどなど、となる。ジナーやアルカスイスは、「金属サイボーグ」だ。コパルシャッターの近代レンズを使ってきっちりと正確に撮る「商売の道具」であって、「遊びカメラ」ではない。値段も高すぎる。だれかがくれるとでもいうのなら、遊んでやってもいいが‥‥。
 で、金を出すとして、いったいいくらくらいのものなのか。初心者はこれを頭に叩き込んでおかないといけない。懐具合と使い道で選ぶのはどんなカメラでも一緒だが、バイテンでは、実用品とコレクションは別ものだ。値段も全然違うのである。
 友人にコダック2Dを渡したころ、eBayのオークションにいくつかバイテンが出ていた。これが大いに参考になる。はじめに見たのはB&Jの後期型、コマーシャルビューだった。2Dの流れだからでっかくて重いが、巨大レンズもつけられて機能は完璧。これの落札値は230ドルだった。概ね相場である。B&Jでは次に、少し古いタイプの赤蛇腹が出た。これに300ドル台の後半の値がついたが、赤蛇腹にまどわされてコレクターが加わった結果だった。
 次に、はじめのと同型のものが400ドル台の値から始まったが、だれも手を出さなかった。高過ぎである。もうひとつ、2Dとほぼ同じタイプが50ドルから始まったのは真っ当だった。部品欠けでバックのレールがない。ところがなんと230ドル超までいってしまった。せいぜいが120-30ドルのものを、よくわからないヤツが競り合いで熱くなったのだろう。実用品のセリはなかなかに微妙だ。
◆おんぼろこそが狙い目
 さて、ディアドルフである。これはコレクションの対象だから高い。中古の程度にもよるが、1200ドルから1700-1800ドルというのが相場だ。新品同様になると2000ドルをはるかに超える。これでも、日本のカメラ屋の値段よりははるかに安いのだが‥‥実用派に、こんなものは要らない。
 しかしさすがアメリカ、別に実用品というのがちゃんと出てくるところが面白い。要するに使い倒したキズだらけのディアドルフである。それも次から次から。不思議でもなんでもない。ディアドルフは本来実用カメラで、アンセル・アダムスバックパックに放り込んで、ヨセミテやグランドキャニオンを歩き回った。当然キズだらけ‥‥これが正しい使い方なのだから。
 それでも木がマホガニーで金具が頑丈にできているから、表面はゴリゴリになっても機能は変わらない。それがディアドルフの値打ちである。蛇腹さえちゃんとしていれば、キズははげしいほど安いから、これが狙い目となる。
 ウォッチしていた時も、実用品がいくつもあった。最初に見たのは初期型だったが、勘違いのコレクターが2人ほど入ったために、600ドル台後半の値になった。次の後期型はほぼ実用派同士の競り合いになって、610ドル。これも業者とおぼしいのが最後に600ドルを入れた結果で、これがなければ500ドル台。つまりはこれが相場なのである。(最後のころのアルパ研究会。中央がチョートクさん。コダック2Dで)
 実用品は実際に使うためだから、まずアメリカ人だ。札の入れ方も自ずとアメリカ人の懐具合が反映されて、落ち着くところへ落ち着く。問題は血迷ったコレクターがからんでくるかどうかだが、受け取って間違いに気づけば必ず売りに出してくるから、別にあわてることはない。
 オークションの極意は、辛抱強く観察すること。相場を見極めること。ときには値をつり上げるサクラもいるから気をつけないといけないが、最後は踏ん切りである。
◆お前のカメラはオレのもの
 大判でいちばん金がかかるのは、フィルムと現像代である。バイテンだとトライXで460円、現像が800円。プリントになると密着が850円、伸ばしは四つ切りが1142円、半切が2900円、全倍が5000円‥‥この上、箱に金をかけるなんて愚の骨頂なのだ。金をかけるなら箱よりはレンズであろう。
 とはいえ、安くすむ道がないわけではない。実用派同士なら借りるという手がある。コレクションものだとさすがに頼みにくいが、実用品ならそう遠慮しなくても大丈夫。本当の実用派なら嫌だとはいわないだろう。どうせごくたまにしか出動しないものなのだから。
 レンズも同様である。ただ、レンズはコレクションと実用品の区別がないから話は少し微妙になるが、ちょっと試してみる程度なら撮影会の現場などではよくあること。要は、使ってみたいという熱意と互いの信頼関係である。レンズだって沢山撮ってもらった方が幸せに決まっている。まあ、博物館級みたいな貴重品はともかく、「みんなの文化遺産」くらいの気分でいた方が、双方が幸せになれるはずだ。
 現にこの3年ほど、使っている機材・レンズはほぼ半分が人様のものである。そういう人がいてくれたとは、なんと幸せなことか。ところが残念なことに、私のものを使いたいという人は滅多にいない。カメラ、レンズに限らず、諸々の付属品、シャッターのいろいろ、みんな「私を使って」と待っているというのに。今度の新人が、そのうち目覚めてくれるだろうと、期待してはいるのだが‥‥。(藤原写真場で藤原洋平さん。ここのカメラとレンズには大変お世話になった。2Dに観音開きシャッターで)
 最後にバイテンのおかれた状況について、ひとこといっておこう。バイテンは、真っ先に「何を撮るか」を迫られる。小さなカメラと違って、新しいものを仕入れたからと、町を歩き回ってパチパチというわけにはいかない。出動するときは即ち「あそこであれをこういう風に撮る」と構想していないとはじまらない。そういうカメラなのだ。
 おまけに写りと仕上がりでは、デジカメとガチンコで競わないといけない。写真になってしまえば、カメラ機材なんか何だって一緒なのだから。しかし、こちらは1枚撮るのに15分はかかる。準備にはもっとかかる。しかも常に失敗の恐れがついて回る。機材は重い。
 割に合わないもなにも、「まあ、何の因果でこんなことを」としばしば思うことすらある、そんな遊びなのだ。だからこそ面白いのだが、この面白さは実際に撮ってみないとわからない。このジレンマを解く手だてはいまのところない。困ったものである。