へそ曲がりとわがままの果て

 「え? 水晶のレンズ?」。初めて聞いたときは、まさかという感じだった。物知りに聞いてみると、ちゃんとあるんだと。「水晶って溶けるの?」「珪石だからね」「フーン」といったところで、わかったようなわからんような。
 ピントがキリッとしたのが写真の本道だとすれば、写真らしくない写真を、つまり絵画的な写真を目指した芸術運動がピクトリアリズムだ。19世紀から20世紀への変わり目のあたり。その需要に応えてソフトフォーカスのレンズがいろいろ作られた。そのひとつらしい。「しかし、水晶ねえ。写るんかいな」
◆遊べるレンズ?
 これが立派に写るのである。どころか、いわゆるソフト・レンズにありがちな妙なくせがない。絞りを絞っていくとどんどんシャープになるという、シングル・レンズの特性はそのまま。ただ、そこがガラスと違うのだろうか、コントラストは弱め、逆光では簡単にフレアが出るようだ。だから逆に、被写体と照明をうまく選べば、「水晶効果」が出せる?のかもしれない。

 六本木のラボ「田村写真」の田村政実さんが、いろいろもっているのを見せてもらおうと、好き者が集ってうかがったとき、田村さんの友人の人形作家、石塚公昭さんが、わざわざ水晶レンズをもってきてくれたのだった。人形でイメージ写真を撮っている方だ。
 アルミのシンプルな鏡胴で、「STRUSS PICTORIAL LENS FOC. 9 IN. No.159」とあるだけ。直径は数センチ、鏡胴は長めだが普通の大きさ。ただ、軽いのに驚いた。レンズは1枚だが、張り合わせではないらしい。「えー? アクロマート(色消し)でもないの?」。あとで知ったのだが、同じ口径で焦点距離の異なるレンズの差し替えが可能なのだそうだ。
 そんなこともあろうかと、フランス製ロリヨンの暗箱にユニバーサル・レンズホルダーをつけていったので、その場で試し撮りをしたのが、上の写真だ。開放はF5.5とあるのをのぞいてみると、かなりフレアっぽい。絞っていくとだんだん像が締まってくるので、集合写真だからとF11まで絞って撮った。結果が上に記した印象だ。絞りを開けると、ピクトリアルになるのだろう。
 このストラスというのは、ニューヨークのカール・ストラスというピクトリアリズムの写真家が、はじめ自分用にデザインして作ったものを、後に売り出したという風変わりな成り立ちだ。メニスカスで、陰影がくっきりするのが特徴というが、一部水晶(石英)で作ったらしい。しかし、その効用を書いたものは、見当たらない。数が少なかったのか。


 ストラスはドイツ系だったため、第一次大戦で忠誠心を疑われ、戦後、生まれ育ったニューヨークを追放される。ためにハリウッドに移って、スチルからムービー・カメラマンとして名をなすのだが、レンズも独特のソフト効果と安さで、長く人気だったという。しかし、日本では聞いたことがない。見たのもはじめてだった。(上はストラス夫妻 撮影:エドワード・ウエストン1923年。下はストラスの作品「ブルックリン橋」1909年)
◆シャープとソフトの分かれ道
 ポートレート用のペッツバールは明るかったが、中央部しかピントが合わないから、風景は撮れなかった。肖像を撮るときでも、周囲のもやもやが目立たないように、背景を工夫したり、近接状態で撮った。だから、ダゲレオタイプでも湿版写真でも、レンズの性能からいえば驚くほどシャープに仕上げている。写真師のワザであった。
 ところが人間とはわがままなもので、レンズメーカーが知恵を絞ってシャープなレンズを作ったとたんに、こんどはもやもやの写りが欲しいといい出す。最初が1860年代後半だ。ダルメーヤーがラピッド・レクチリネア(RR)を考案、同時にシュタインハイルもラピッド・アプラナートを作った(両者は偶然同じもの)、そのあとである。
 RRは全画面でのシャープネスとF8という明るさを達成した革命的なレンズだったから、ひとつの到達点だった。ところが当のダルメーヤーは、ペッツバールに手を加えて、ソフト効果を調整できるポートレート・レンズを作る。そんなものを作るというのは、需要があったということ。つまり、もやもや需要である。おそらくは、女性のシワ隠しだったのだろうが‥‥。
 このレンズも革命だった。それまでのペッツバールは、いわば天然ぼけだったのを、意図的にぼけを作り出せるようになったのだ。この違いは大きい。ここからレンズは、シャープとソフトという2つの流れにはっきりと分かれたのである。起点がどちらもダルメーヤーというのが面白い。
 次のわがままが、アナスチグマットからテッサーに至る時期だ。パウル・ルドルフが考案したアナスチグマットは、RRに残っていた収差を劇的に補正してシャープネスを極めた。3枚張り合わせという工作の難しいレンズを、前後対にした超高級レンズだったが、この技術はたちまち行き渡って、ゲルツがドッペル・アナスチグマット(のちのダゴール)、フォクとレンダーはコリネアを作る。
 みなアナスチグマットと称したので、本家ツァイスはプロターという名前になったが、のちのテッサーは、そのクオリティーを3群4枚という単純構成で成し遂げて、近代レンズの道を拓くのである。ま、いまだに「テッサーよりダゴールの方が‥‥」という信者はいるが、そんなことをいう人は、どうせたいした写真は撮ってないから、気にすることはない。
◆ソフトのオンパレード


 それよりも、ソフトだ。テッサーがシャープネスを極めたのをしりめに起こったのがピクトリアリズムである。これ以上のへそ曲がりはない。イギリスではじまり、次にアメリカでアルフレッド・スティーグリッツやクラレンス・ホワイトらが唱導して大いに広まった。
 だからだろう。これに応じたレンズ作りはアメリカから始まった。ピンカム・スミス(P&S)が収差を残したレンズを最初に作った1901年を「ボケレンズ元年」と前に書いたが、これに続いて「ピクトリアル」と称するレンズが出始める。小さなメーカーが多かった。
 P&Sも元はメガネ屋だし、スペンサーも本業は顕微鏡メーカーで、ピクトリアル・レンズはサイドビジネスだったらしい。ストラスも前述の通り、個人の手作りから始まっている。まだまだあるが、どれもいまや幻のレンズだ。
 もっとも簡単にソフト効果が出せるのが、昔からあるシングルのアクロマートだった。原理は、「ベス単フードはずし」と同じ。単玉レンズは球面収差、色収差があるから、フレアがいっぱいだが、絞り込めば画面は締まってシャープになる。初期の単玉は、あらかじめ絞り込んで作ったのだったが、それを開けっぴろげにしてしまったのである。(田村さんのスペンサー、左から6in./4.5、15in./5.6、18in./5.6)
 スペンサーのポートランド(Port-Land)という名前は、「Portrait」と「Landscape」の頭をとったもので、絞りの加減ひとつで、どっちでもいけるよという意味である。これはストラスも同じで、絞り開放ではぼけレンズだが、F16、F22‥‥と絞り込むと、カチンカチンに写る。案配は絞りひとつだから、使い勝手もいい。
 これら小さなレンズメーカーが困ったのは、鏡胴だった。そこで大手のウォーレンサックなどが手を貸したらしい。大きなレンズを作っていたから、お手のものだ。そしてやがて自前でも、ソフトをつくり始めた。ビタックス、ベリート、ベリターなどである。だいたい1910年前後がピクトリアル・レンズのピークである。(ぼけレンズ元年のP&Sのアクロマチック。上のストラスと同じ作りにみえる)
◆幻のレンズをグルメ
 「田村写真」へ出かけていったのは、その幻のスペンサーを見せてもらうためだった。田村さんは3本ももっているのだが、ポートランドは、作られた時期によって見かけがずいぶん違う。おそらく鏡胴を作ってくれるメーカーの違いである。しかし、メニスカスの1枚玉という造りは変わらない。


 一番大きい18インチを8x10で開放のままをのぞいてみると、色収差みたいなものがみえたりして、「はて、モノクロだとどうなるのかな」。近距離で人物をのぞいたら、もっと特性が出そうな感じがあった。
 このレンズには、プロテクターのガラスが前面に入っていた。アメリカの大判フォーラムをのぞいてみたら、「平らなガラスを被写体に向けること」なんていうレベルなので、笑ってしまった。アメリカでも知る人は少ないのかもしれない。(当時のカタログ。ストラス同様それほど高いレンズではなかった。シングルは工作も簡単だからだろう)
 長年ポートランドを愛用している田村さんは、「フレアの調整が絞りひとつなので、他のソフトレンズと較べても使いやすい。センターと周辺の差もないし、コマ収差もない」という。
 これらとは別に、単に「ポートレート」と称する天然ボケのレンズは、ダルメーヤーに触発されて脈々と続いていた。大方はペッツバールの変形か、RRとの組み合わせである。ユニークだったのが、トリプレットのクーク・ポートレートテーラーホブソン)で、本来はシャープなレンズの中玉を動かして、ダルメーヤーと同じようなソフト効果を出した。このアイデアは、後のユニバーサル・ヘリアーも同じだ。
 ピクトリアリズムの写真家の多くは、はじめはこうしたレンズを使っていたらしいが、ポートレート・レンズのソフト効果はたかが知れている。ピクトリアル・レンズは、ユーザーの要求がどんどんエスカレートした結果なのであろう。(田村さん27年前のセルフポートレート。絞り込みによるピント移動があるようだ。Spencer 18in. f5.6)
◆日陰のあだ花
 ポートランドに限らず、ソフト・フォーカス・レンズが高いのは、数が少ないからである。その少ないのを、コレクターがまた戸棚にしまってしまうのだから最悪。ソフト志向は根強く続いてはいるが、数が少ないのは要するに、レンズ作りからいえば邪道、いかがわしい遊びだからであろう。
 それが証拠に、カール・ツァイスにはソフト・レンズというものはない。唯一ポートレート・ウナーというのがあるが、ツァイスの正規の製品リストには載っていない。提携していたボシュロムが、ピクトリアリズムの需要に合わせて勝手に作ったアメリカ・レンズらしい。よくまあ、頭の固いカール・ツァイスがOKしたものだと思う。

 ピクトリアリズムですら、いってみれば一種のあだ花だった。終わったのは、当のスティーグリッツが真っ先に決別して、ストレートフォトに移行したからである。絵画と写真とは別もの、という転換だ。いわば写真が本道に還ったのである。
 スペンサーというと必ず、「アンセル・アダムズが使ったレンズ」といわれるが、彼はストレート・フォトの「グループ f/64」の男である。むしろヨセミテなどを持ち歩くのに、1枚玉レンズの軽さを愛したのではあるまいか。F64まで絞れば、もうピンホールみたいなものだ。
 ピクトリアリズム以後、ソフト効果撮影は、裏街道の密かな楽しみになっていく。愛好者も多く、これがなくなることはないだろう。大判自体が劣勢になっているいま、大判でしか得られない描写ということでいえば、ソフトは大きな武器になりうる。1枚玉にしろ何にしろ、35ミリ判にはない描写だから。(田村さん所蔵のソフト・レンズ。パッと見て何だかわかるようだったら、あなたは相当な病気だ)
 ただし、安易な使い方は、墓穴を掘ることにもなりかねない。使う上で難しいのは、被写体が本当にレンズのソフトの風合いに合っているかどうかだ。写真館のポートレートの隠しワザとしての使い方には、正統性がある。静物や花の写真にもいけそうだ。だが、風景写真での作画となると? それにふさわしい被写体を探すのは容易ではあるまい。
 ソフト・レンズには麻薬的な魅力がいっぱいだが、常に危うさと紙一重なのである。
       ◇    ◇    ◇
 田村さんのグループ写真展が近くある。去年までは「8x10組合連合会」といっていた。バイテンでプリントという、ある意味贅沢な作品展だ。
 「8x10カメラな仲間たち写真展2010」   9月22日(水)から30日(木)
 元麻布ギャラリー
(港区元麻布 3-12-3)  連絡は03-3404-6646(田村写真)
大江戸線麻布十番駅7番出口から徒歩4分、暗闇坂を上りかけた右側。オーストリア大使館の真向かいになる。