フィールドカメラのぬくもり



 古い写真だが、全日本クラシックカメラクラブ(AJCC)の写真展で、大いに受けた1枚だ。タイトルが「なに、また買ったの?」だった(右)。クラカメ三昧の会員たちは、だれでも奥方の目が怖い。これも、買ったばかりのナーゲル・ピュピレ(エルマー付でしたよ)に見せた女房の反応そのもの。カメラと見れば敵意を隠さない。
 この女房がたった一度だけ、「あら、かわいいカメラ!」といったことがある。実はカメラではなかった。みなさまはおわかりだろう。ソーントンシャッターにレンズがついたユニット。暗箱カメラのレンズボードにとりつけるものだ。デザインといい、塗りといい、レンズの輝きといい、イギリス暗箱黄金時代の香りがする。いいものは時代を超える。(右下)
◆幻のCamera of the Year
 ここでひらめいた。カメラ嫌いのわが女房が、「かわいい」といったのだ。なにしろドイツ・ロマンチック街道の人形屋で、山と積まれたなかから「あれがいい」といったのが、店で一番高い人形だったという女である。「こういうカメラを作ったら絶対売れる。カメラ・オブザ・イヤーになる」。
 仲間のカメラ好きに見せたらみな面白いと。なかには「作ろう」というのもいた。ところが、メーカー関係者の反応はさっぱりだった。木を細工するコストを考えてしまうのかも知れない。しかし、人間だれしも人とちょっと違うものを持ちたいものだ。とくに女性はそうだ。
 一方で、メーカーに作らせたら、およそ似て非なるものを作っちゃうだろうな、という思いもあった。想像力のない人間には、何をいってもムダーーというわけでこの計画はお蔵入りとなったのだが、あらためて見回すと、ビンテージの暗箱周辺には、なんと魅力的なデザインがあふれていることか。


 街で暗箱を広げていると、「これ何です?」とよくのぞきこんでくる。一番多いのは、大判族が自慢たらたらのディアドルフやリンホフなんかじゃない。赤蛇腹のプリモ・タイプ(左の2つと下の1台)とか塗りの美しいイギリス、風変わりなフランスのカメラである。
 いかにもカメラ、カメラしたものよりも、「これがカメラかい?」というくらいの方が、目を惹くようだ。おまけにわたしは、レンズも真鍮だったり、シャッターもコパルなんかじゃなくて、昔そのままのソーントンやLUC、エアーシャッターだから、「何だろう?」となるらしい。
 いまどき、蛇腹カメラというだけでも珍しいのに、それが赤蛇腹だったりすると、だれもがびっくりする。フランスやドイツになるとさらにカラフルで、縁取りの色を変えたりしてなかなかおしゃれだ。これを真似したのが旧ソ連だが、素材が悪いのが玉にキズ。カメラデザインは、細部まで入念でないといけない。
 わたしは常々、箱は何だって一緒といっている。コレクションは別として、実際に写真を撮るのなら、箱は光が漏れなければそれでいい。しかし、これはあくまで理屈であって、いじっていて楽しいものと、そうでないものとがある。好みというヤツは測る物差しがない、やっかいなものである。
◆フィールド志向が発明の母
 いじくり回していていちばん面白いのは、やはりイギリスのフィールドカメラだろう。イギリス人というのは、ダゲレオタイプの時代からフィールド志向が強かったようで、カメラがまだ木の箱の組み合わせだった頃から、蝶番で折り畳んだりしている。
 蛇腹ができるともうイギリスの独壇場で、まずパトリック・ミーガーがテイルボードを考案する。箱の後ろを開いて、その上にピントグラスと後ボードを引き出す方式だ(動画 ☞ )。次に前を開いて、レンズボードを引き出すようにしたのが、ジョージ・ヘアが1882年に考案したドロップベースボードである。
 このページの右上にあるイラスト(ランカスター・インスタントグラフ)もそれだ。このタイプは小型なら手持ちでも撮影できるので、ハンド・アンド・スタンドとも呼ばれて、サンダーソンやウナが代表だ。造りとしては、アメリカのプリモや後のスピグラ、ドイツのリンホフと同じである。
 こうした流れの中で、マンチェスターの時計職人サミュエル・D・マッケランが1884年に考案したカメラは、デザイン上の革命だった。写真好きだったマッケランが、自分用に作った軽くて持ち歩きのいいカメラである。
 ドロップ・ベースボードはまだ箱である。が、マッケランはこの箱をほとんど木枠だけにして、ボードを開くといきなり蛇腹が立ち上がるようにしたのだった。ベースボードは真ん中をくりぬいて、レンズをつけたまま折り畳める。くりぬきは三脚取り付けアナとなり、カメラが水平に回転する優れものだ。
 折りたたみのカギは、支えの金属製ストラット(支柱)の真ん中にスリットを切ったことである。これによって、レンズボードもバックも自由に角度を調整でき、したがってアオリもできる。そして何よりも軽い。マッケランはこれを、イギリス写真協会(BPS)の展示会に出展して金賞をとった。以来、イギリスのフィールドカメラの代表になる。(動画 ☞

 ところがアメリカでは、なぜかこのタイプは根付かなかった。三脚の仕組みの違いかもしれない。イギリスは、カロタイプのころから、3本バラバラの三脚をカメラに取り付けていた。いわば三脚はカメラの一部で、マッケランもこれにならった。だが、アメリカではいまと同じで、三脚は独立していて、カメラはその上に乗せるものだった。
◆実用品と嗜好品
 実際に使ってみると、イギリス式は見た目と違って安定もよく、雲台なしにいろいろ調整できるのだが、三本足は持ち歩きがややわずらわしい。また、マッケランの造りは華奢で軽く、金具の噛み合わせもデリケートだ。丁寧な工作が必要なので、アメリカ人の好みに合わなかったのかも知れない。
 これをいちばん忠実に継承したのは、日本だ。写真館の標準がなぜかイギリスカメラだったために、乾板もフィルムもイギリスサイズになる。これにあわせてカメラも作る。日本人は器用だから、デリケートな金具の工作や塗りにまでこだわった。さすがに木だけは、マホガニーというわけにはいかなかったのだが‥‥。
 何でもそうだが、実用品というのは機能オンリーでつまらないものである。カメラでいえば、撮りやすくて失敗がない。アメリカ・カメラはまさにこれで、素晴らしいのはバックだけだ。100年以上も前に考案されたスプリングバックと規格は、いまも現役だ。現代の撮り枠(フィルム・ホルダー)が、昔のどんなカメラにも使える。
 これが始まったのは、プリモ・タイプである。アメリカ・オリジナルのカメラデザインで、世界のスタンダードになったのはこれだけだ。後に近代化されてスピグラになる。シンプルで撮りやすく、頑丈なのでプレスや軍用にもってこいだったが、愛着のわくカメラではない。むしろ昔のプリモの方が、可愛くておしゃれでずっと面白い。(上はプリモ・タイプの Korona long bellows 4x5 、その上は Korona でスナップした銀座)
 奇妙なことに、アメリカの暗箱カメラを代表するディアドルフは、デザインとしては、マッケランのフィールドタイプ、つまりはイギリスカメラなのである。ただし時代はずっとあとで、イギリス式三本足は採用していない。どこが違うのかと較べてみると、お国ぶりの違いが見えてなかなか面白い。
 そもそもレーベン・ディアドルフが暗箱カメラを作り始めたのは、偶然みたいなものだった。長いことシカゴでカメラやレンズの修理をしていたのだが、自分でカメラを作る気はなかった。ところが、コダックなどが大判カメラの生産を中止したために、困ったユーザーから泣きつかれたのだった。もう還暦に近かったが、腕はよかったし、アイデアにも優れていた。
◆数奇な巡り合わせ
 レーベンは若い頃、カメラをデザインしてロチェスター社に売ったことがあった。それがプリモだったと、レーベンの長男マールが語っている。プリモの始まりは19世紀の終わりである。ボディーは黒革張り、内側は美しいニス塗りで蛇腹はボルドーや赤、レンズや金具も磨き上げたおしゃれカメラだ。ロチェスターの各メーカーが競い合って、のちにコダック1920年代まで作り続けたベストセラーだ。
 もしレーベンが自分で作っていたら?と思いたくなるが、ロチェスターのメーカーはすべてコダックに飲み込まれているのは歴史の事実。もし手を出していたら、後のディアドルフはなかっただろう。万事塞翁が馬というところかもしれない。

 かくてレーベンが最初に作ったディアドルフはプリモ・タイプの8x10だった。30年も前に自分がデザインしたカメラを初めて作ったわけだ。構造からいって、相当無骨なものだったと思われるが、すべて予約で売れていたというから、ユーザーの方が切羽詰まっていたらしい。そうして200台ほど作ったあと、なぜかイギリスタイプになり、ディアドルフ神話が始まるのである。(左は、5x7で撮ったイヌのお誕生会=葉山海岸。上は91年の Deardorff のカタログ)
 ではディアドルフは、本家イギリスとどこが違うのか。まず、ユーザーのニーズが違った。
 イギリス式は軽くて持ち歩きのいいのが第1だから、造りは概して華奢だ。撮り枠が木製なのでちょっとかさばる。そこでサイズもハーフかクオーターが主になる。レンズは冒頭にお見せしたソーントンシャッターのユニットが標準で、レンズ交換も簡単でかさばらない。基本はアマチュア用なのである。
 対してディアドルフを必要としたのはプロたちだった。1920年代のアメリカは、ピクトリアリズムからアンセル・アダムスらのストレート・フォトへの切り替わりの時期で、ニーズは多様で、レンズ選択の幅が広かった。高画質のためには判は大きくなくてはいけない。大きくて重いレンズも使いたい。スタジオカメラの機能も必要とした。
 当然、カメラは大きく重く頑丈になる。木組みもがっちりしているが、それを支える金具の強度がけた違いだ。多少ぶつけても狂いがこないから、どんなに乱暴に使い込んだものでも、折り畳んだときにパチンと金具の音がして、定位置におさまる。ユーザーには、頼りがいのある安心の音である。
◆レンズボードの意味
 アメリカ人の過超なニーズをまとめあげたレーベンの才覚はたいしたものだ。なにしろその後3人の息子が引き継いでざっと70年間、フロントスイングが加わった以外、基本デザインの変更はない。最初から完璧だったのである。
 機能の上でのいちばんの違いは、レンズボードだ。ディアドルフはアメリカ大判カメラの標準である6インチ角(8x10)、4.5インチ角(5x7)である。むろん従来のレンズが使えるようにというユーザーのニーズだろうが、イギリスカメラよりはるかに大きくなった。
 厳密にいうと、概念が違うのである。イギリスのボードはレンズをシフトさせる板であって、レンズのとっかえひっかえはソーントンシャッターの前板で行うものだった(動画 ☞ )。従ってレンズは小さなものしかつけられない。アメリカでこのスタイルが根付かなかったいちばんの理由かもしれない。
 レンズボードの大きさは、レンズ選択の幅を決める。いかに美しく優雅なカメラでも、ボードが小さいと使えるレンズが限られてしまう。イギリスやフランスの暗箱カメラが早く廃れた一因も、これだったのではないかとわたしは思っている。レンズ遊びに無頓着だった報いではないかと。
 ディアドルフの登場で、趣味のカメラだったイギリス・フィールドは、万能のプロカメラに生まれ変わる。乱暴に持ち歩いても平気な実用カメラだ。アンセル・アダムスらがそれを実証した。そう、カメラとは本来そういうものでなくてはいけない。
 だが残念なことに、ディアドルフの周辺に、魅惑的なデザインは見当たらない。バックも規格、ボードも規格、レンズもシャッターもあらかた装着可能‥‥万能の実用カメラには、危うさというものがない。規格の国アメリカが作ると、木製カメラですらこうなってしまうのだ。
 しかしなぜか、ディアドルフはコレクションの対象である。実用カメラなんかコレクションしてどうする、といいたくなるが、アメリカ人にはいまもって大いなる誇りらしい。ジナーやリンホフに抗して、シコシコと手作りを続けたけなげなアメリカ、というイメージであろう。
 元がイギリススタイルだなんて、もうだれも覚えていない。だから、そのイギリスカメラの持つ、えもいわれぬ危うさ、いい加減、工芸的なこだわり、巧まざるユーモア、温もり、美しさにも気づかないのである。必要なのは、ほんのちょっとのデリカシーなのだが‥‥。(上は、ギリス・フィールドの代表、ガンドルフィ。ひと目見ただけで違いがわかる。田中長徳さん所蔵)
 暗箱デザインに思いを巡らすのは、楽しい。いつも必ずなにがしかの発見がある。