さがみ野のアンソニー

 「厚木の『かとう写真館』を取材してみませんか」と誘いを受けたのは2月の初めころだった。小田原のカメラマン西山浩明さんからである。加藤芳明さんを紹介してくれたのも西山さんで、何度か撮影会やだべり会を重ねていたが、加藤さんがどんな写真を撮っているのかは、知らなかった。
 しかし、メールに添えられた写真がすごかった。8x10(インチ、以下同じ)が5台、5x7が1台とバレルレンズがずらり。バイテンには5x7と4x5のバックがついているものもある。しかも、ジナーの8x10以外は全部クラシックの木製である。
 写真館だから、ライティングは自在のはず。おまけに、暗室で現像までやりましょうという話。大判をやったことのある人はおわかりだろうが、アマがいちばん苦労するのが、現像・焼き付けだ。加藤さんはその仕事の場を貸してくれるという、まあ、夢のような話である。(右写真 撮影:西山浩明さん)
 ただ、商業写真館は、3月4月は卒業式だ入学式だと忙しい。そこで、これらが一段落した4月の後半あたりになるだろうと、そんな話であった。
◆たちまちカメラ考古学
 加藤さんのカメラで、気になったのが木製のアンソニーだった。写真では加藤さんの首の高さまであって、頑丈な木製の2本支柱に、キャスターのある鋳物の足がついている。おまけに大きなスライディングバックがあるようで、どう見ても戦前の写真館御用達の造りである。加藤さんは2代目なのかな?
 聞いてみると、他のカメラは、ジナーはいいとして、木製のフィールドがディアドルフとナガオカ、それともう1台が2Dタイプのアンスコ。以上がバイテンで、5x7も2D型のコロナだという。これに、レンズが10本ばかり。なかに真鍮の古そうなのが4、5本ある。
 とりあわせが妙なうえに、木製カメラが多すぎる。いまどき木製カメラで仕事をしている写真館なんてないだろうから、これらはやはり趣味か、それでも撮影できるようにいろいろ細工をしているな、などと思いを巡らした。

(左から、城靖治さん 撮影:柳沢/城夫人 撮影:柴田剛さん/大西あけみさん 撮影:城さん)
 こういうとき、真っ先に目がいくのがレンズボードである。ディアドルフとジナーは大きさがわかるから、そこから類推する。ジナーシャッターがいくつかあるので、どうやらジナーとリンホフでシステムを組んであるらしい。すると、コダック2Dタイプの6インチボードはダメか? わたしのがらくたアクセサリーは使えないかな? 写真をにらんでいろいろ考えるのも、なかなかに楽しいものである。

 これが、ライカコンタックスだったら、うるさい連中はいくらもいるのだが、寂しいことに、木製カメラでは話をする相手も少ない。また、大判の実践に参加する人は限られるから、だれに声をかけるか頭を悩ますことになる。大判というのは、撮る気にならないと話が始まらないし、ポートレートに関心がない人もけっこう多いからだ。
 結局、可能性のありそうなごく少数の大判族のほかに、近くに住む人たち、またモデルになってくれそうな人たちを選んで、やや多めに声をかけた。「撮る人は、フィルムだけもってくればOK。現像液はD-76です」。来ても来なくてもけっこう。遅れて来ても先に消えてもご自由に、といういつもの方式である。
◆写真師気分で大満足
 結局4月18日になった。前日は東京に雪が降って、震え上がる寒さだったが、当日は晴れ上がって、本厚木の駅からは丹沢の山並みが、少し雪をかぶってきれいに見えた。学生時代によく、わらじをはいて沢登りに行った懐かしい山である。
 「かとう写真館」は駅からほんの5分のところ、路地を少し入った住宅街にあった。飾り気のない写場にはアンソニーがデンと置いてある。聞けば、元のバックははずして、ナガオカで8x10、5x7、4x5をあつらえたのだという。ボードにはジナーシャッター。これならバレルレンズでも何でもござれだ。
 「何人来るか、来てみないとわかりませんよ」という調子だったが、集まったのはヤジ馬も含めて10人。これに加藤、西山両プロが加わると、写場は人でいっぱいになった。集まったうちの6人が大判族で、5人が撮って4人がその場で現像までやったのだから立派な実践セミナーである。それもアンソニーを使ってだから、気分はもう、昔の写真師そのものだ。(右は小西岳さん 撮影:柳沢)
 といっても、モデルなんてシャレたものはいないから、仲間同士の撮りっこである。ヤジ馬はもちろん、撮る方もモデルになった。自分が写されたときに、どういう結果になるか。これ実は、重要なレッスンになる。ポートレートは写す側と写される側の共同作業——この基本を体感するには、モデルになるのがいちばん早い。
 大判ポートレートは、写される側がその気になっていないと、絶対にいい結果は出ない。写真館に来る客は当然そのつもり。職業モデルなら、これも十分ノリノリだろう。ところが仲間同士だと、生半可な気分がそのまま写ってしまうことが多い。写されて、自分がその顔に写ったときに、「こりゃいかん」と初めて気づくのである。
 被写体をその気にさせるのも、写真師の仕事のうちだろうが、わたしは常々「写らないのはお前が悪い」で通しているものだから、いい結果はなかなか出ない。この日の記念写真をお見せしよう。写す人たちと写される人たちとの微妙な表情の差。乗りの違いというやつだ。ひと声かけたらずっとよくなったはず。おわかりいただけるだろうか。(これはナガオカ8x10で。失敗。集合写真に広角を使ってしまったのと、アオリに気をとられてカメラが上を向いているのに気づかず)
◆素性不明のアンソニー
 さて、この日の主役はアンソニーである。ポートレート専用にいつでもスタンバイという、写真館でしかお目にかかれない代物だ。エレベーターもチルトも蛇腹の伸縮も、回転ハンドルでスムーズに動く。実に扱いやすく、かつ正確だ。三脚をパタパタ組み立てるいつものバイテンが、幼稚園程度に思えてくる。
 加藤さんは2代目ではなかった。写真館は30年になるそうだが、アンソニーは最近オークションで手に入れたとかで、クラシック病にかかったためらしい。このアンソニーはボディーに「MORITO WORKS TOKYO JAPAN」と書いた小さなプレートがついているだけ。加藤さんは、「レンズボードを包んであった紙に、『大正』と書いてあった」という。
 バックを作った長岡啓一郎さんによると「日本でいちばん最初にアンソニーをつくったところ。六桜社や浅沼商会のキングより前」というから、昭和10年頃にはもう作ってなかったらしい。



 しかし、木といい塗りといい金具といい見事な造りで、メッキがはげたりはあるが、いまも完璧に動く。加藤さんも「こんなに撮りやすいとは思わなかった」という。ただしお客さん用ではなく、もっぱら趣味の撮影に使っているそうで、その作品が何枚か、窓際の壁にかかっていた。これがなかなかいい感じである。
 「アンソニー」という呼び方は、日本では写場用大型カメラの通称になっている。初期にはアメリカのアンソニー製しかなかったからだろう。「ジープ」とか「アクアラング」と同じことだが、わざわざ「Anthony」と書いた日本製も見たことがある。写真がまだ写真師のものだった時代のものである。(上、小西さん、右、西山さん。互いに撮りっこの結果)
 そうしたアンソニーは、博物館に入ったり、オークションにかかればまだいい方で、倉庫のすみで朽ち果てたり、捨てられたりが大半だろう。普通の家には置けない大きさなのだから仕方がない。博物館には確かにいいものがあるが、どこも「手を触れないでください」だから、一般の人はおろか、写真家でも触ったことがある人は少ないはずだ。
 その点、「かとう写真館」のは、触り放題である。おまけにジナーシャッターつきだから、ストロボでもいける。というので、この日の露出とライティングは加藤さんと西山さんにおまかせ。参加者は、ピントを合わせてシャッターを押すだけ、というまことに楽ちんな撮影となった。
◆レンズ探求はみんなの仕事
 「かとう写真館」のもうひとつの注目はレンズだ。クーク・ポートレート(12インチ3/4)はいわずと知れたソフトフォーカスの王様。テーラー・ホブソンは、見た目の美しさではナンバーワンである。バレルでは他にコマーシャル・エクター、シュタインハイルやらなにやら、RRからペッツバールまで。シャッターつきでは、コダックポートレート、ワイドフィールド・エクター、ヘリアー、ザッツ・プラズマットなどゾロゾロとある。(西山さんと加藤さん 撮影:小西さん)
 とくにでっかいバレルレンズは、そもそもアンソニーとはそのために作られたようなものだから、もう相性ぴったりである。何の心配もなしに楽々と撮れる。ただジナーシャッターが一時不調になって、立往生した。ジナー専用レンズ用の自動絞りの突起がボードにぶつかっていたのだった。自動でない古いタイプの方がバレルレンズには無難というわけだ。自動絞りなんてバレルには余分なものなのだから当たり前か。
 これらのレンズは、加藤さんもまだ十分には使っていないらしい。35ミリみたいにポカポカ撮って試すわけにはいかないのだから当然で、ここはひとつ、みんなで乗り込んで撮ってやる必要がある。そう「加藤さんのものはオレのもの」の精神である。結果をちゃんと加藤さんに見てもらえばよろしい。そうすれば加藤さんも幸せ、われわれも幸せ。大判の実用派だけにわかる世界である。
 参加者の中で、小西岳さんはバイテンは初めてだったが、結果はご覧の通り見事なものだった。モデルとしても西鉄のユニフォームを着込んだりして、やる気まんまん。役者ぶりとしてはまだ大根の部類だろうが、こうした意気込みが大判ポートレートの可能性を開くものだと、わたしは思っている。
◆次回は丹沢山麓で?
 彼の結果がよかった理由の大部分は、アンソニーにある。おそらく、彼が日頃撮っている4x5や5x7よりもはるかに楽に撮れたはずだ。これから普通の8x10に触ってみれば、その違いがわかる。アンソニーがいかに素晴らしいか。しかし、アンソニーは写場の外には出られない。
 発想を逆にすると、博物館の写真のイベントなどでうまく使うと、いい人寄せになると常々思っているのだが、博物館はどうしても触られるのを嫌う。カメラは撮ってみてこそなんぼのものなのに‥‥。
 とにもかくにもアンソニーのお陰で、この日はバイテン以外のサイズも楽々こなせたし、レンズもまずブランドものはひと通りいけたはずである。それぞれの特性にあった使い方、撮り方ができたかどうかは、いろいろ撮ってみてこそ。レンズは沢山撮らないとわからない。(上は陽気な葬式写真のつもり。撮影:城さん。下は、8x10のプラチナプリント 撮影・プリント:田村政実さん=六本木・田村写真)
 とくにアマは撮る枚数が少ないから、だれもが同じところにいるといっていいだろう。キャリアが多少長いといっても、ほんの30枚40枚余分に撮ったというだけのことなのだから。それよりも、互いの撮ったものを見て、ああだこうだいう場を多くした方がプラスになるかもしれない。大判はプリントするのも大変だから、実はこれがなかなか難しいのだが‥‥。
 終わってありがたいことに、加藤さんが「またやりましょうよ」といってくれた。参加者も「またやりたい」なんていっている。うん、陽気が良くなったら、厚木への遠足は悪くないかも。なにしろ丹沢の山懐だ。今度はフィールドへ出て山でも撮ってみたら、レンズの新たな特性を発見できるかもしれない。
(写真をクリックすると拡大され、レンズなどのデータが出ます。この日の撮影は、どれもF8でした)