さらば写真館

 自由が丘の藤原写真場が店じまいするというので、3月の終わりに、写場で「惜しむ会」をさせていただいた。
 縁あって藤原洋平さん(72)には、カメラとレンズ探求の場として大変お世話になった。それに協力してくれた人、大判にこだわる人、また大判には無縁でも、昔ながらの写真館を見ておきたいという写真好きにも声をかけて、藤原さんのお話をうかがったり、実際に巨大レンズで記念写真を撮ろうという趣旨だった。
 最終的に十数人が集まって、藤原さんは「(写場の)底が抜ける」と冗談をいうほどだったが、古いカメラに囲まれて、だれもが楽しい時間を過ごすことができた。それにしても、この写場がなくなるなんてーー。(撮影:下元真佐夫さん)

銀塩最後の牙城◆
 話はすでに1月ころには、写真関係者の間にさざ波のように伝わっていた。このデジタル化の波の中で、とうとう来るべきものが来たという感慨があった。いま写真館といえば、七五三やお宮参りなどで、神社や貸衣装とセットで撮るところがほとんど。機材もせいぜいが中判カメラで、画像処理は大方デジタルである。
 それを昔ながらの銀塩プリントで、しかもバイテンで二コペルだのなんだのという巨大レンズで撮っている写真館なんて、日本中さがしてももうないかもしれない。藤原さんも、「バイテンはうちだけでしょうね」といっていた。
 今の若者で、写真館を知っている人がどれだけいるだろう。
 かつて、写真というものは冠婚葬祭や学校の終業式などに撮るものだった。せいぜい年に2度か3度、写真館が出張してくるか、写場へでかけていくのが当たり前。できた写真も大事にアルバムに貼り込んで、滅多にみるものではなかった。
 それが変わったのは戦後である。戦時中はカメラを持っているだけで、「スパイじゃないか」と疑われたものが、終戦でウソのように自由になって、空前のカメラブームになった。小西六の蛇腹カメラやリコーフレックスなど手頃なカメラで、だれもが立派な写真が撮れるようになったのだった。
 アルバムをみても、わたしの写真館写真は中学の入学まで。年の離れた妹は、3歳の七五三までで終わりだ。小学校の担任が、女の写真ばかり撮っている助平カメラマンで、妹の5歳の写真はこの先生。7歳になるともう、親父や私が撮り始めていた。今思えば、ほぼカラーフィルムの普及と同時に、わたしの頭から写真屋さんは消えていたのだった。
 それ以来だから藤原写真場は、ほぼ50年ぶりの写真館だった。うかがった動機はきわめて不純で、友人がニコラ・ペルシャイトで撮ってもらったというので、レンズを見せてもらおうというのだった。むろん、あわよくば1枚撮らせてもらう気である。

 何人かの好き者に声をかけて、連れ立ってうかがったのだが、ある意味で衝撃だった。ここで初めて肖像写真というものの原点に触れたのである。
 (初めてのニコペルでレンズ・テスト。ピントは中央の藤原さん、他は全員微妙に距離をずらせてある。F8くらいの撮影だが、ピントの特性がよくわかる アンソニー8x10、ニコラ・ペルシャイト42cm F4.5、TX)
◆1枚しか撮らないワザと誇り◆
 俗にポートレートというと、人体をオブジェとしてアートしたものか有名人やアイドルの個性を追ったものを指し、写真館のウインドーに飾られた写真は、アートの範疇には入らない。商業写真として別扱いなのである。私も長いことそう思っていた。
 ところが、実際にアンソニーに触れて、巨大レンズをのぞいているうちに、「商業写真という垣根を立てること」自体が不自然ではないかと思えてきたのだった。
 藤原写真場には、ポートレートのためのすべてがそろっている。2台のアンソニーは8x10と4x5、キャビネ、手札のバックがある。4x5はリンホフ・モノレールが2台、ジナーが1台、中判はマミヤ3台、フジ2台。デジタルバックもあるし、なかば個人用だが35ミリの一眼レフもある。背景のホリゾントバック(ロールスクリーン)は、付け替えも入れると20種類以上。照明はタングステンからストロボまで自在である。
 要するに、どのカメラとフィルムにするかで、照明はこう、シャッターと絞りはこう、と仕掛けが常備されていて、選択はひもを引っ張るかスイッチひとつでセット完了、そんな具合なのである。
 なんという贅沢、というのはアマのいうことで、商業写真館としては、いつどんな客が来てもOKというのは当たり前。加えて、ここにはあの巨大ソフト・レンズがあった。ニコラ・ペルシャイト、ユニバーサル・ヘリアー、クーク・ポートレートコダックポートレート‥‥まあ、よく撮らせていただいた。
 藤原洋平さんは、機材をそろえたあとは黙って見守っているだけだったが、たまにいただく助言が実に適切で、まあ見るに見かねてのことだったのであろう。そうした中で、やっぱりこれがポートレートの原点だと思い至ったのであった。
 いうまでもなく、カメラもしかけも、いわゆるアートのポートレートとなんら変わるところはない。写真館では客を選べないが、客が来て希望を聞いて、どのカメラやレンズがベストかを決めるところまでは同じ作業である。
 ただ、アート派と違って藤原さんは1枚しか撮らない。子どもなどが明らかに動いてしまったような場合以外は、2度撮ることはしないというのだ。アート派がガチャガチャと撮りまくった膨大なネガの中から、1枚を選ぶのとは全然違うのである。


 その1枚に凝縮された被写体との緊張感、またその1枚にかける写真師の自信、これこそがポートレートの真骨頂ではないのか。そう思えてきたのだった。以来3年、わたしもこれにならって「1発勝負」を続けているが、その確信はますます強くなっている。むろん、失敗してもどこからも文句がこないアマチュアの気楽さに支えられてのことではあるが‥‥。
◆復元シャッターをテスト◆

 だから、実をいうとこの日も、いくつかの企みがあった。藤原写真場のカメラを全部並べて撮ってやろうというのがひとつ。カメラが主役、人間は添え物。もうひとつはむろん、アンソニーにニコペルかユニヘリをつけて、8x10で全員を撮る算段である。
 そして、カメラ写真にはもうひとつしかけがあって、もう何年ももっていたのだが使ったことがなかった「5x7フォーカルプレーン・シャッター」を初出動させた。(写真工業の編集長だった市川泰徳さん、ナガオカの長岡敬一郎さんも顔を見せてくれた コダック2D 5x7、モリソン・バレル 200mm? TX)
 これはディアドルフサイズだったが、木部が破損していてうまく使えず、また幕にアナがあったために長いことほったらかしてあったもの。ところが最近になって、コダック2D用を手作りで改造していたものとわかり、本来の姿に復元したばかりだった。幕の方は、この会合に合わせて城靖治さんが修復してくれていた。
 コダック2Dは、1900年代初めにグラフレックスが一時コダックの傘下にあったときに作ったもので、シャッターと組み合わせてみると、造りとしては後のスピード・グラフィックとそっくりである。


 シャッターもスピグラと同じマルチスリットで、スローは15分の1秒がせいぜいだし、レンズも暗いブラスなのでスタジオの光源ではおぼつかない。はじめから露光不足を増感現像で補うつもりだった。結局X3増感で少し不足気味。まあ、想定の範囲内だった。
 このシャッターに興味を示したのが、長岡啓一郎さん(71)だった。暗箱の長岡製作所の代表である。いまどきこれを復元もできまいが、いにしえのグラフレックスのワザをしっかり確かめていた。さすがワザ師である。
 藤原写真場とは、先代の田中市太郎さん(故人)からの付き合いで、藤原さんもむろん先代の正さん(故人)である。この日の「目玉」である2台のアンソニーは、長岡さんが初めて金属で作った1号機と2号機なのだと、懐かしそうに話していた。おかげで私が大いに遊ばせていただいたというわけである。
 ところが、そのアンソニーでの撮影は、ちょっと誤算だった。残念ながら人数が多すぎて、420ミリのニコペルやユニヘリでは、バイテンで写場の隅までさがっても入りきらない。やむなくコダックポートレート305ミリをお借りすることにした。例のメニスカス1枚玉のソフト・レンズで、コダックのレンズではコマーシャル・エクターをしのぐ人気。とにかくここには何でもあるのだ。
 一度これで、自由が丘を中心に活動しているボサノバ・デュオ(中山聖子さん・増田慎也さん)を撮ったことがあった。300ミリは8x10ではやや広角だから、かなり近寄って撮った。絞ってもフレアが残って感じのいいソフト画像になるが、ちょっとくせがある。(アンソニー8x10、コダックポートレート 305mm F4.8、TX)
 集合写真だと周辺が問題になるのだが、イメージサークルがでかいから、まあ大丈夫だろうと踏んだのだったが、結果はこんなことになった。ピントが真ん中だけで、周辺はアウト。完全なレンズ選びの間違いである。
 絞りはF8くらいだったと思うが、やっぱりメニスカスだ。ボサノバ写真ではわからなかったが、周辺まで撮ろうと思ったら、ぎゅうぎゅうに絞らないといけないらしい。おそらくF16とか22でやっと、というところか。このレンズには405ミリというのもあるので、本来そちらがバイテン用なのであろう。(アンソニー8x10、コダックポートレート 305mm F4.8、TX)


◆3人組の写場荒らし◆
 写真館へカメラを持ち込んで写真を撮るというのも、考えてみればずいぶんと厚かましい話で、いってみれば藤原さんのお人柄のおかげである。これに甘えたのが別に2人いて、小西岳さんと西山浩明さんという元気のいい若手。この日小西さんは5x7のナガオカの暗箱だった。
 とにかく人が集まるところへカメラを持ち込むのが大好き。ただ、彼の場合は自分も写りたいと、はじめからエア・ケーブルのレリーズ持参だ。これで銀座のホコテンでもなんでも、みんなを並べておいて、最後はケーブルをズルズルと引きずって自分も被写体に加わるのである。
 同じ絵柄だが、私のレンズよりかなり広角だったのでゆったりと展開でき、また近代レンズでコパル・シャッターだから写りはこっちの方がはるかにいい。これらを較べてみると、機材とレンズの個性の違いがわかって面白い。これが実は、ビンテージ大判遊びの核心なのである。ただきれいに撮ってプリントするだけなら、もうデジタルにかなわないのだから。
 もう1人の西山さんは、バイテンのフィルムだけをもってやってきた。むろん、アンソニーに巨大レンズをつけて撮ろうというもくろみ。写場へなぐりこんだうえに、そこのレンズまで使おうというのだからずうずうしい。え? お前がいつもやってる? ハイそうです。
 しかし、西山さんはプロだからさすがに腕がいい。以前ニコペルと幻のピンカム・スミスとの撮り較べをやったとき、撮り較べどころか、2枚の立派な作品に作っただけでなく、みごとレンズの特性の違いをつかまえてみせたのだった。以来一目も二目も置いている。
 
 どこが違うかというと、構図の決め方、ピントのおき方で絶対に手を抜かない。じっくりと時間をかけて、しっかりと撮る。当たり前のことだが、ここが大判写真でもっとも肝心なところ。適当なところで「ま、いいか」となりがちなアマとは、はっきりと違うのである。
 藤原さんが実はそうなのだ。何度か撮ってもいただいたし、お客さんを撮影する場面も見ているが、シャッターを押すときの集中力はすごい。多くは初対面のお客を見て、注文を聞いて機材を選んで、ベストのポーズをつけて1枚で仕上げる。ワザが凝縮した瞬間なのだ。
 できたものは普通の写真ではあっても、モデル撮影なんかで「何枚も撮っているうちに自然な表情になってくる」なんていう世界とは対極の、ぴりぴりとした緊張感。撮られた側も「今日は撮られた」と思える1枚の重さ。これこそが、肖像写真の原点ではなかろうか。
 (藤原さんのポートレート。おそらくこれが正しいニコペルの使い方である。西山浩明さん撮影 アンソニー8x10、ニコラ・ペルシャイト42cm F4.5、TX)
◆大判ポートレートの醍醐味◆
 リンカーンを前にしたマシュー・ブレイディー、ボードレールバルザックを撮ったナダール‥‥とまではいわなくても、カメラをはさんで撮る側と撮られる側との間にある一種の呼応は、大判肖像写真でしか味わえない醍醐味なのである。写真館がなくなったとき、これを味わえる場がほかにあるだろうか。
 それでなくても、写真はますます簡便なものになっている。家電製品と変わらない風情のカメラ。撮ったその場で結果が確認できて、メモリチップを差し込めば、たちどころに現れるプリント。便利さと引き換えに失ったものが、なんと大きいことか。とはいっても、元を知らなければ、失ったものもわからないか。困ったことである。
 それかあらぬか、この夜藤原写真場に集まった仲間たちは、おそらく最後の写真館をたっぷりと味わい、ユニークで愉快なひとときを過ごすことができたのだった。