奇跡!蘇った乾板

 いつも刺激的な話を持ち込んでくる城靖治さんが、「ポストカードの乾板を手に入れました」という。ポストカードは、その名の通りハガキに使ったもので、イギリスから始まってアメリカでも大陸でも、カメラはときどき見かける。しかし、フィルムがないのでどうにもならない代物だった。

 イギリスのフィルム・乾板のサイズは、フルサイズの6-1/2 x 8-1/2(インチ、以下同じ)を基準に、キャビネ(1/2)、手札(1/4)とある。ポストカードは、最小の手札の長辺をさらに1インチ余長くした、ともかく幻のサイズである。
 みつかる撮り枠(ホルダー)がみな乾板用なので、フィルム時代にはもう終わっていたのかもしれない。乾板は戦後の60年代まで使われたが、フィルムとの併用期間は50年以上もある。カメラが乾板用しかないとなると、みつかった乾板も戦前のさらに先は間違いない。期限切れ70年以上? おいおい。
◆現れ出たる幻のサイズ
 城さんは、珍しいプリモNo.8というポストカード・カメラをもっている。ガラス板に工夫をして、フジのキャビネ半裁(手札より1cm長い)をセットしてよく撮っていたのだが、本来のポストカードはもっと横長。パノラマに近く、風景写真にはいいかもしれない。
 実寸は長辺がほぼハガキに近いが、縦横比はハガキよりずっと細長い。密着で焼くとかなりの余白が出るが、そこに通信文でも書いて切手を貼って送ったものであろう。城さんによると、このサイズはアマチュア用だったそうで、そういえば、カメラの造りもあまり高級ではない。旅行のお伴カメラだったのだろう。たしかに、絵はがきを商売にするプロなら、4x5判の方がはるかにハガキの実寸に近い。(上はポストカードだが、左右をトリミングしてある。右がプリモN0.8)
 そうこうするうちに、城さんがカメラをもってきて、実際に撮ってみせてくれた。乾板の箱には「CENTRAL DRY PLATES」、会社はSt Louisとある。だが感度がどこにも書いてない。箱の底に「D.C.7199」という数字があるが、使用期限か? もしそうなら1899年7月1日? まさか。それじゃ明治時代だぜ。
 好天の午後、環8に近い公園で店を広げた。さあ、露出をどうするか。以前、フジの期限切れ40年の乾板を撮ったときは、感度をASA50、年月で半分の25に落ちていると踏んで、さらに余分に露出をかけてうまいこといった。ASA10くらいで撮ったことになるから、計算上はちょうど徳川慶喜が撮っていたころと同じ感度になる。
 年月が経てば当然感度は落ちる。しかし、何年経っているのかもわからないのだから、まあまるっきりの当てずっぽうに近い。結局、私の方式よりさらに露出をかけて、ほどほどの結果が得られた。
 実は城さんは、5x8の乾板も手に入れていた。8x10のちょうど半裁だが、横長すぎるので、1インチ短くした5x7が標準になって、5x8は早くに廃れた。5x8は私も1台もっているがアンソニーで、城さんのカメラはスコビルだ。長年のライバルだったが、どちらも世紀の変わり目のころにコダックにたたきつぶされた。その負けた2つが一緒になったのがアンスコである。

◆大正時代が写るとは‥‥
 こうした時代背景から、乾板は「5x8は大正時代、ポストカードは戦前でしょう」と城さんはいう。いずれも使い手がないから、売れ残っていたのだろうと。そんなもの買う方も買う方だが、とっておいたアメリカ人も相当なものだ。が、これまで使えなかったカメラが蘇るのだから、遊びとしては面白い。
 5x8はすでに箱根で試写をして、厚木のかとう写真館の加藤芳明さんが現像して、まずまずの結果を出していた(写真左)。さらに横浜の元町公園の一郭にある洋館「エリスマン邸」で開かれていた、田村写真(六本木)のプラチナプリント写真展の会場で撮るというので、こちらも暗箱かついで出かけていった。
 元町も久しぶりだったが、実は裏の外人墓地や元町公園へ登ったことはなかった。坂道をえっちらおっちら登っていたら、登り切ったあたりから急に人が多くなった。聞けばいまはエレベーターがあるんだそうだ。そういうことは、先にいってもらわないと困る。


 エリスマン邸は、元町公園へ切れ落ちる斜面の肩に建っていて、表から入ると写真展会場は地下になるのだが、そのまま気持ちのいいテラスが開けて、公園の濃い緑が借景になっている。そのテラスにイスをずらりと並べて撮ったのが下の2枚である。(右のカメラはScovill 5x8)
 上がポストカード、下が5x8だが、縦横比はほとんど同じ。横にずらりと並べて撮るには確かにいい。結果を見ると、レンズの違いは別として(ポストカードはRR、5x8は単玉レンズ)、乳剤の状態はポストカードの方がはるかにいい。まあ、年月の違いを表しているのであろう。しかし、大正時代?の乾板が立派に画像を結ぶのには、完全に脱帽だ。しかも、現代の現像液でちゃんといける。先達のワザの確かさは感動ものである。
 エリスマン邸から山を下りて、中華街で腹ごしらえ。さらに山下公園氷川丸の前で5x8で1枚撮った。日曜日だったので、暗箱を物珍しげにのぞきこんだり、携帯で撮ったりもあったが、声をかけてくる人はいなかった。日本人は概して好奇心が薄い。120年前のカメラだといったらビックリしたかもしれないが‥‥。
◆顔が黒く写るわけは?
 乾板はぴったりと重ね合わせてパックしてあるが、空気に触れた度合いの違いから、パッケージの外側と内側では、乳剤の状態に差が出るのは当然で、中にはかぶっているものもある。つまりは1枚1枚状態が異なるから、現像してみないと結果はわからない。また、周辺部はさすがに乳剤が死んでいて全く感光していない。周囲が黒いのはそのためである。
 むろんまだ、オルソクロマチックだ。全ての色に感光するパンクロマチックと違って、感光するのは紫、青から黄色までで、赤い色はダメ。それで日陰では顔の色や赤い洋服などはちょっと黒ずんでしまう(トップの2枚の写りの違いにご注目を。オルソの乾板では、ジャケットの袖の赤が感光していない)。オリジナルのままだとコントラストも弱い。
 いったん密着で入念に焼いたうえで、それをスキャナーで読み込んで、photoshopで焼き込んだりコントラストを整えてようやくである。しかし昔の人は、オルソクロマチックに青いフィルターをかけたりしてちゃんと撮っていた。乾板の状態がもっといいとはいえ、そのワザにはただただ感心するばかりである。
 それにしても、なんでこんな細長いサイズができたのか。5x8はただ8x10を半分にしただけだが、アメリカ人はその横長を生かして、広い風景や大勢が横に並ぶ記念写真、あるいはステレオ写真に大いに使った。彼らは何によらず貪欲で現実的なのだ。
 しかし、それとほとんど同じ縦横比のポストカードが、なぜイギリスで必要だったのだろう。幅は手札と同じ(3-1/4)だから、そこから派生したのは間違いなかろう。そしてカメラを作って輸出して、輸入したアメリカでは、こうして乾板まで作っている。5x8の小型版として珍重されたのだろうか。
 いちど撮ってみればわかるが、この長さはかなり手に余る。広々と水平線が広がる風景か、あるいはタテ位置で細長いものでも撮るならまだしも、普通の撮影には長過ぎるのである。われわれが普段使う判でいちばん細長いのはライカ判だが、その感覚で記念写真を撮っても、左右が大きく余ってしまう。
 プリモNo.8をみると、タテ位置でレンズがかなりライズするようにできているから、エンパイヤステート・カメラのような使い方をしたのかもしれない。しかし、高層ビルを撮るのは、世紀の変わり目ごろのアメリカだけの、特種な需要である。それよりはるか以前に、イギリスサイズの変形カメラが作られた理由がわからない。昔はだれでも知っていたことだろうに、いまでは文献すらない。時代とはそうしたものであろう。(上は5x8で氷川丸。撮影:西山浩明さん。下はポストカードで黒川義弘さん。タテ位置だとこんなに長い。撮影:城靖治さん)
◆乾板の裏表を見分ける法
 かくて蘇った乾板の画像をmixifacebookに載せたところ、みんな驚いたらしい。なにしろ、巧まずして古色蒼然たる写真ができあがっているのだから、黙っていれば本当の古写真と区別がつかない。日頃モノクロのトーンにこだわっている人ほど、衝撃があったようだった。乾板からいきなり焼いたのでは、ちょっと無理なのだが‥‥。
 いま、こうした調子に目を向ける人が増えているのかどうか。ネットで画像を送ると、レトロな調子に仕上げてくれるサービスもあるらしい。友人の1人は、「そんなものを銀河の果てまで追いやるパワーがあります」といっていた。そうかもしれない。やっぱり本物だからね。そしてその友人はまた「うちにも乾板があるぞ」といっていた。
 城さんによると、ポストカードの乾板は、「Special」と「Special XX」の2種類があって。「XX」の方が感度が2倍。5x8は低い方で同じくらい。どれもオルソだから、赤いセーフティーライトの下で、具合を見ながら現像できるそうだ。ただ、フィルムよりは、定着液のヘタリが早いので、停止液を使った方がいいという。
 また、今回何枚かは裏返しにセットしてしまったという。乾板の裏表は実は判別が難しい。昔の人は、「なめてみればわかる」というのだが、乾板のガラスは切りっぱなしだから、暗室では気をつけないと危ない。オルソならばむしろ、セーフティーライトで確かめた方が確実のようである。


 また、乾板は銀塩の量が多いので裏にまでまわりこむことがあり、それをはがすための薬品「INGENTO REDUCING PASTE」というものまであった(写真右)。けっこうな手間をかけていたわけである。
 火付け役になった城さんたちはいま、眠っている乾板を掘り起こせないかと企んでいるらしい。外国から買った古い暗箱カメラに、未開封の乾板がついてくることはよくある。包みを開いてしまえばそれっきりだが、何気なく保管している人もいるはず。それらを掘っくり返して、あわよくば乾板写真の展覧会でもやろうかというのである。
 エリスマン邸でも、城さんと加藤さんが持ち込んだプリントが、大判族の注目の的だった(写真右)。田村写真のグループにもきっと乾板を持っている人がいるに違いない。何しろ好きな人たちである。こういう予感は案外当たるものだ。
◆乾板野郎集まれ
 ただ、乾板で遊ぶには、自分で現像できないといけない。そんなものを引き受けてくれるラボなんかないんだから。そして、さらに密着で焼ければいちばんいい。これまでのところ、乾板自体が完全というわけにはいかないから、焼きでかなり補ってやらないといけない。また、ここでお見せしているのは、さらにphotoshopコントラストをあげたり、焼き込んだりしてある。
 ところが久しぶりに加藤さんに電話してみたら、なんと別にみつけた乾板の状態が、けっこういいという。ひとつがイルフォードの手札判、もうひとつが旧ソ連製の9x12センチ判で、ともによく写るそうだ。イルフォードはさもありなんだが、ソ連製なんて初めて聞いた。
 多分ヨーロッパで見つけたんだろうが、そういえば、ソ連製の暗箱カメラがよくeBayに出てきたのは、5、6年前だったか。けっこう真新しいものもあったから、案外最近まで乾板があったのかもしれない。あの国はいまだによくわからないところがある。
 加藤さんはほかにも、アメリカで5x7をみつけたのだが、ネット・オークションの手続きが止まったままで、まだ入手できないのだと。つまり、その気で探せば、乾板はまだゴロゴロしているということかな。うーん、こうなるとまた、話は違ってくる。
 少し暖かくなったら、盛大に乾板パーティーでもやってみるか。さてどこで何を撮ったらいいか。